■朝日文庫20210405
ナチスの強制収容所を生き抜いたフランクルの人生と、犯罪や事故で家族を失った人や末期がんを患った人……ら、フランクルに救いを感じた人々の生き様を新聞記者がたどる。
強制収容所のガス室で母を殺され、妻は解放直後に病死した。解放されたあと、深い失意のなかで書いたのが「一心理学者の強制収容所体験」(=夜と霧)だった。
過酷な収容所でも、最後のパンの一片を他人に与える人がいた。それが、どんな運命に見舞われたとしても、その運命に対してどんな態度をとるかという人間の最後の自由を奪うことはできないという確信につながった。
労働や何かを創りだすことで実現される「創造価値」や、自然や芸術を鑑賞したり誰かを愛したりすることで実現される「体験価値」という「生きる意味」を失っても、変えられない運命に対してどのような態度をとるか、という「態度価値」は残される。「意味」とは、状況に直面した者が自ら見出さなければならないものなのだ。
人生からわれわれが何を期待するかではなく、人生が何をわれわれに期待しているかが問題であり、人生に突きつけられる問いに対して、行為によって応じなければならない。「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待することをやめない」「本当の生きる意味は根源的に与えられていて、その人が見つけるのを待っている」と言う。
自分のしていることに何の意味があるのか……と問うのではなく、刻々と問われることにこたえる。他者と競うのではなく、完璧を求めるのでもなく、その時々の最善を尽くすことが大切なのだ、という考え方は救いになり得る。
フランクルは、この世に何も残されていなくても、心の奥底で愛する人を思えば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれると、収容所で理解した。耐えがたい苦痛のさなかでも、愛する人の面影を呼び出すことにより、満たされることができるという。「輝ける日々ーーそれが過ぎ去ったからといって泣くのではなく、それがあったことに、ほほえもう」と説く。
「その人が生きた時間、その人とすごした時間は、誰にも何にも奪えない」「(亡くなった)けんちゃんの魂は、私自身が生きなければと思った時に、心のなかに入ってきた。…悲しみは乗り越えるものではない……亡き人を思う苦しみが、かき消せない炎のようにあるからこそ、亡き人と共に生きていけるのだと思う」といった言葉も、悲しみは幸せの一形態であり、それがあるからつらい人生を生き抜ける糧のようなものなのかもしれないと思わせてくれる。
そんなフランクルでさえも、収容所から解放され1年後に2冊の本を書き上げたとき、もう自分を待っているものは何もない、すべてが終わったと思えて生きる意欲をなくしたという。彼でさえもそうだったということも凡人には救いになる。
人生にはさまざまな局面が訪れる。「それでも」「にもかかわらず」「それでもなお」……生きる意味はあるのだとフランクルは説きつづけたという。
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