2008年に奥さんを亡くし、8年後に出した本。
「悲しみのみが悲しみを慰めてくれる。淋しさのみが淋しさを癒やしてくれる」という柳宗悦の言葉をひき、「悲しみ、淋しさと共にありたい」と綴る。
奥さんと訪ねた台湾は、自分だけ楽しむような気がして再訪を控えていたが、7回忌を終えて再訪した。七回忌をすませて心が落ち着くようになったという。
元気でいるための池内紀さんの3原則、医者と仲良くすること、適度な運動をすること、四十代の女性と親しくすること。最後のひとつがユニークだ。
ただ、生死の問題を扱っているのはほんのわずかで、大半は、鉄道の乗って思いついた駅で降りて、あちこちを歩きまわる旅の話だ。ある意味で肩すかしを食ったけど、それもまたおもしろかった。
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▽15 岩手県の小繋駅。小繋山の入会権をめぐって、地元住民と地主のあいだで大正6年から昭和41年まで裁判で争われた。住民側が敗訴した。
…町と川と山が共存していることが盛岡のよさ。昭和23年創業の福田パン。駅ビルの地下にある「清次郎」という回転寿司。
▽27 常磐線は常磐炭鉱の石炭を運ぶために建設された。蒸気機関車の時代とは石炭の時代でもあった。
▽44「明治の文学者は概して貧乏であった」。樋口一葉が若くして死んだのも貧しさゆえ。島崎藤村はパリに行ったが帰国の費用を捻出するのに苦労した。社会的地位も低かった。それが変わってくるのは第一次大戦の後だという。明治のころは作家が死んでも新聞に大きく報じられなかった。文人の病死が重々しく取り扱われたのは大正5年の夏目漱石にはじまるそうだ。
▽92 久慈市は琥珀の有数の産地。琥珀博物館がある。
▽94 江差線。非電化の木古内〜江差間は2014年廃線。江差は、ニシン漁と木材ヒバ、北前船でにぎわった。
▽99、111 赤羽周辺が人気のある町。「いこい」「まるます屋」等、朝から開いてる居酒屋があるからか、荒川と隅田川が分かれる岩淵水門あたりの風景がいいからなのか。
…大正時代に10年以上かけて造られた放水路が荒川。もとは隅田川。以前は荒川放水路と呼ばれたが、河川法改正で昭和40年に荒川が正式名になった。
「大河紀行 荒川 秩父山地から東京湾まで」
▽102 肥薩線には日本三大車窓のひとつ、矢岳越えがある。大ループとスイッチバックで越える。
▽118 中央本線。思いついた駅で降り、駅の周りを歩き……春日居町は穴場。
▽126 秩父の札所 十六番の西光寺。四国88カ所の本尊の模像が並べられた回廊堂がある。捨て猫をかわいがっている。
寄居には、木造二階建ての商人宿風の旅館。山崎屋旅館
▽144 「線路はつながった 三陸鉄道復興の始発駅」(新潮社) 停電になったが、車両に災害対策本部を置いた。電車ではなく気動車だからそれができた。
▽146 東京では戦時中、空襲の後にも鉄道は走った。町を焼き尽くした空襲のあとの朝も、いつもと同じように鉄道は動いていた。
長崎に原爆が投下されたその日の午後にはもう汽車が走り、被災者を諫早や大村などに運んだという。
▽148 谷川晃一さんによれば、雑貨が広く親しまれるようになったのは1970年代頃から。豊かになり、雑貨という役に立たないものを集める余裕が生まれた。
▽151 水郡線。矢祭町 東館駅前に小さな町立図書館「矢祭もったいない図書館」2007年、全国から本を送ってもらって開館した。…町には桶屋もある。
▽154 大宮の鉄道博物館
▽160 成田線の下総神崎駅。神岬町は「発酵の里」。醬油蔵。
▽172 「死者を弔うということ 世界各地に葬送のかたちを訪ねる」イギリス人ジャーナリスト。父親の死に接し、世界の人々は死者をどう弔うのか、取材していく。…旅しているうちに、死が怖れるものではないと思うようになっていく。
▽188 走行中の多くの列車が地震/津波に遭遇したものの、幸いにしてひとりの犠牲者も出なかった。「被災鉄道 復興への道」はこの奇跡を検証した労作。
▽192 音威子府 駅そばで有名。この駅からは以前、オホーツク海沿いに稚内に行く天北線が出ていた。1989年に廃線になった。
▽201 八高線の小川町。南西にある根古屋に、浅野総一郎によって石灰石の採掘所がつくられ、石灰石を小川町まで運ぶ根古屋線という東武の鉄道があった。1967年まで走っていた。
青梅線も石灰石を運ぶ鉄道だった。秩父鉄道もそう。
▽217 宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩く」
▽220 砂澤ビッキというアイヌの木彫り作家がいた。音威子府村にある「エコミュージアムおさしまセンター」は廃校をビッキがアトリエにしていたもの。
▽226 沼津の駅弁「港あじ鮨」 若山牧水らの文学館がある。
▽241 房総の花作りは和田町で盛ん。大正時代にはじめられ、関東大震災後、死者の霊を慰めるため、花の需要が増加した。だが戦時中は「花など無用のものをつくるより野菜を作れ」と軍部に言われ、迫害を受けた。
▽244 いわき市 草野心平記念文学館「カエルの詩人」……「日々の新聞」を発酵している安竜昌弘さん。……東京23区内にある島、江戸川河口に近い妙見島。草野は戦後、ここに住んでいたことがある。
▽260 台湾には居酒屋でひとりで飲むという一人文化がない。「個食」はない。
…国というのは小さいほどいいのではないか。鉄道が整備されているのは、小さい国だからこそだろう。
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