MENU

いまも、君を想う<川本三郎>

■いまも、君を想う<川本三郎>新潮文庫 20201117

 筆者は2008年に、ファッション評論の仕事をしていた6歳下の奥さんをがんで亡くした。57歳だった。奥さんとの2人暮らしの思い出をつづるエッセー集。
 時系列で描くのではなく、猫の話から説きおこし、オムニバスでつづっている。文章がうまいから湿っぽくなりすぎない。まねできない芸当だ。
 でも奥さんのかわいさや、彼女を失うまでのやりとりやその後の心情はおどろくほど似ている。
 筆者の「マイ・バック・ページ」に描かれていた、朝日ジャーナルの記者だったときの逮捕劇の最中に、当時武蔵野美術大の学生だった奥さんと出会った。新聞社を辞めたとき結婚をキャンセルしようとしたら「私は朝日新聞社と結婚するのではありません」と言われたという。
 文章の端々から、ゆかいで明るい奥さんの姿が浮かび上がってくる。
 くそまずいそばの話を何度もしていたら、「そのまずいそば食べたい!」と言い、食べ終わると「聞きしにまさるまずさね」。映画に感動して涙を流す筆者を笑い、「泣く子はいねが」と秋田のなまはげの真似をした。なまはげの真似まで僕の妻と同じだ。「ごめんね。人生、狂っちゃったね」という言葉は「ごめんね。もっとあちこち飛び回れるはずだったのにね」という言葉といっしょ。
 亡くなる5カ月前にも歯医者に通い、治療をつづけていたという。僕の妻も眼科医に使い捨てのコンタクトを注文し、「ちがうがんだから」と乳がんの定期健診にも行った。
「こんなにも私の健康に気を使ってくれた家内のほうががんで先に逝ってしまうとは本当に申し訳ないと思う」と筆者は記す。その思いも一緒だ。だから「健康食品」「安全な食品」への興味が失せてしまった。
 奥さんの没後、ふたりで通った店に行く気になれないという。僕も、店だけでなく、松江や能登、信州には行きたくない。
 奥さんががんになってから、短歌をつくりはじめたというのもいっしょ。
 散文では悲しみや苦しみにのまれてしまい、筆が進まない。でも不思議と短歌だと31字のなかに表現する気になれる。
 なぜだろう?
「短歌のもっている定型が、むきだしの感情をやわらげてくれるのだと思う。個人的な思いが古来の形式を踏まえることによって普遍へと昇華していく。…悲しみや嘆きを生の言葉で表出するのではなく、あくまでも短歌という形式に封じ込める。形式の美しさ、強さを思い知る……」と筆者は書く。なるほどなあと思った。

 仲代達矢は1996年に奥さんを失った。藤沢周平も28歳の奥さんを失い、「そのとき私は自分の人生も一緒に終わったように感じた。…胸もつぶれるような光景と時間を共有した人間に、この先どのような名望みも再生もあるとは思えなかったのである」と書いた。
 画家の谷川晃一は、奥さんの宮迫千鶴さんをがんで亡くし「かわれるものならかわってやりたかった」とつづった。そういう文を読んで筆者は「みんな同じような思いをしている。そのことが小さな慰めになった」と書く。
 まさに筆者の文章を読んで僕が感じていることだ。

======================
▽28 おしゃれとは?「近くのポストまで手紙を出しに行くとするでしょ。そんなときでも家にいるときとはちがう服に着替える人のこと」
▽29 女性へのお返しに何を贈ったらいいのか。家内は迷うことなく「香水」と言った。セルジュ・ルタンス
▽53 編集者から土鍋が贈られた。これで炊くとご飯がおいしい(たしかに土鍋はおいしかった)
▽55 家内が料理をしてくれるので、私の仕事はゴミ出しくらいしかなかった。キッチンに入っただけでも嫌がられた。それがいまとなっては裏目になってしまった。
▽82 「ごめんね。人生、狂っちゃったね」と言う家内がいじらしかった。
▽96 子どもがいなかったから夫婦の会話は他愛のないものが多かった。いま思い出してみるとそれが楽しかった。
▽106「一人食う飯はまずく 女房と食べた晩飯は楽しかった」(伊藤茂次)
 仲代達矢さんは1996年に奥さまを失っている。「老化も進化」
▽110 家内の入院中、私は、夕方に病院に行き、…病室に泊まった。朝、また一緒に朝食をし、いったん家に帰る…
▽123 家内は、「二十四の瞳」を見ても、ほとんど泣きっぱなしの私の隣で平然としている。「かわいくないやつだな」といっても、「あなたのほうが泣きすぎなのよ」と笑い、「泣く子はいねが」と秋田県のなまはげの真似をした。
▽126 後悔ばかりが出てくる。…オレは何をしているんだろう。家内のそばにずっといるべきではなかったか。…最後の日、どうして1日、病室にいてやることができずにいったん家に帰ってしまったのか、小さな原稿を書くために。
▽135 「ゆくぞ」と声をかけると、家内は「おう」とにこやかに応じ、いそいそと身支度をはじめる。…一人になったいま、どうしてもその店に行く気になれない。…家内と楽しい時を過ごした店に、自分だけが行くのは家内に悪いような気がする。…家内と一緒に行った店からはいつの間にか足が遠ざかってしまう。
▽140 人間の暮らしには、日常生活とは別の時間が流れる「儀式」が必要だと思う。死という圧倒的な不条理を前に「形式」は必要だと思う。悲しみという生の感情を形式によって一度冷却する。
…お経にも初めて心動かされた。お経という昔から伝えられてきた人の知恵によって個人的な悲しみが普遍的なものへと昇華する。
▽150 (亡くなる前の)5月のはじめになって急に、「家に帰りたい」と言った。「家で死にたい」とも。5月10日。
…家にもどって2週間ほどたったとき、家内が言った。「病院にもどる」。5月27日。
…家内がいって年近くなるが、いまだに家内の部屋を片づける元気がない。
▽170 家内の写真を整理し「アルバムづくり」を下。赤ん坊の時から、成長し、結婚し、そしてファッション評論の仕事をしてゆくまで。
▽173 飯島正さん「短歌というものは、文章で書くことができないことをテレもせず、心安らかに表現しうる形式だな、ということ」
▽177 いま週に一度は、親しい友人たちと酒を飲む。楽しい。しかし、楽しければ楽しいほど、夜遅く、だれもいない家に戻ったときの寂しさがつのる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次