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「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま<奥野滋子>

■ポプラ新書 20200130
 妻を看取った経験を思いだし、何度も涙で中断させられた。「お迎え」の重要さについては岡部健医師の本で読んでいた。筆者は緩和ケアの医者であるとともに、死生学を学んだ立場から、「お迎え」をより積極的に位置づけ、「看取り」体験の大切さを訴えている。
 医療現場では「お迎え」を「頭が変になった」と判断し、薬物で眠らせてしてしまうことが多いという。でも筆者は、対話と観察で、死にゆく人が何を感じているかを読み取り、その言動に意味があるなら薬物治療はやめて見守る。
 私も家で看取ったから、「お迎え」らしきものを見ているのはわかった。「私死んだから今晩はフルーツパーティーや」「じいちゃん、いま行くよぉ」……といった妻の言葉は「異常」なのだけど、かわいかった。本人にとっても大切な過程だったのだ。
 緩和ケア病棟をいくら自宅に似せて整えても生活の音やにおいがない。15年ほど前、年上の友人がホスピスで亡くなった。清潔なのだけど、人工的で寒々しさも覚えた。その経験があるから、ホスピスを選ぶのはためらった。正解だったと思う。
 「看取り」は、旅立つ人を安心させ、彼らが自分の人生を肯定する作業をそっと脇で手伝うという意味と、看取る人が、「喪失体験」を取り込んでそれを糧にして成長するという意味があるという。
 前者は意識していたが、後者については、喪失感しかない。自分の成長につながるとは思えない。死が怖くなくなったことだけが唯一のプラス面だと思う。でも今後も生きなければならないとしたら、この経験を生かさなければ生きる意味はないとも思う。
 「死ぬ過程まで故人と濃厚に過ごした時間があるからこそ、それを乗り越える力が備えられる。ともに生きることで、ともに死を乗り越えられる」
 「悲しみは乗り越えなければならないものではない。むしろ、哀しみや寂しささえも自分の一部として取り込んで生きていく。それが残された生きる人の役割」 「悲しみを抱いて生きるとは、亡くなった人との交流をつづけていくこと。時空を超えた関係性をつづけることで、人は激しい悲嘆と向き合いながらも、その辛さとつきあっていけるのではないか」
 「死とは、その人が生きた人生経験、かかわった他者との縁や関係性、人間性や自己認識、最終的な自分の人生に対する肯定、そういったものが積み重なって得られる「賜物」だと考えているのです」

 若松英輔につながるこれらの言葉は、まだ頭でしか理解できない。もし実感としてわかるときがくれば、空っぽ状態から何かが変わっていくのかなあと思った。

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▽23 「死は怖いが、自分は子どものころから強い男でしたから、今回も乗り越えられます」と語っていた男性。あるとき感情を爆発させる。「死にたくないんだ」「なんでオレなんだ」
▽「お迎え」現象と思われるような言動が見られるようになると、私は、その患者さんの逝く日が近づいていることを推測します。
▽「歩けるようになりたいからリハビリを」「もっと体力をつけたいから、栄養がつく方法を教えて」…などと言って、徐々に衰弱していく体を認めようとはしませんでした。…「お迎え」を見てから変わった。(僕も認めていなかった。リハビリして欲しい。せめて自分の手でブドウを食べさせようと、酷なことをした)
▽35 自分の死を見つめることができなかった患者が「お迎え」現象を何度か経験するうちに、ようやく自分の死を認め、受け入れるようになった。
▽43 対話と観察から、死にゆく人が何を感じ、何を考えているかを察知するのです。言動に意味があるようなら、薬物治療に進むことをせず、そのまま見守るようにしています。
▽息子に、料理の方法を教えはじめる女性。〓
▽47 岡部健医師による「お迎え」現象についてのアンケート。社会学者の相澤出さんが関与〓。
▽58 病院の緩和ケア病棟 いくら環境を自宅に似せて整えても、やはり自宅で聞いていた「生活の音」がしません。…台所では奥さんが夕食の支度をする音……。生活の音に囲まれていると患者は安心します。(家でよかった…)
▽70 「せん妄」はガンだけでなく、肝不全、腎不全、脳梗塞など全身状態が悪いとき、しばしば起こる。脳の機能不全であり、これが認められると全身状態が悪いことを示すものなのです。
▽82 お迎えを、意識障害と判断してすぐに薬剤治療をして眠った状態にしてしまうと……。患者本人も家族も「お迎え」の情報がなければ「頭が変になったみたい」と思い込んでしまいます。
 …どんな人でも「お迎え」があるかどうかをできるかぎり探ってあげたいと考えています。そこにはその人らしい人生があり、人生に向き合うことで穏やかな最期が迎えられるからです。
▽92 1977年に人口の半数が病院で死ぬようになった。いまや8割、がん患者に至っては9割が病院死。こうした状況は先進国でも日本だけ。
 医療に囲い込まれてしまい、「お迎え」はオカルトがかった奇妙な話にされ…。
 家族や友人たちとの交わりのなかで迎えていた死は、いつの間にか孤独な死へと変わり果ててしまいました。
▽95 病院では死そのものをタブー視する時代が最近までつづいていました。「絶対に人を死なせてはいけない場」と認識され、「穏やかに死ぬ」ということはテーマにすらなりませんでした。
▽96 今では、がんの終末期患者でもうするべき治療がなくなると、たとえ目の前に死が迫っていようとも病院から追い出されてしまうという話をよく聞きます。(〓まさにそれ。でも結果的には追い出されてよかった。幸い、と思おう)
▽103 家族は、死のプロセスに関われないことで、同時に、死について学ぶ機会も奪われている(〓そういう意味では学んだ。死は怖くはなくなった。)
▽108 緩和ケアがはじまったのは、1073年。81年にははじめてのホスピスが、聖隷三方原病院に開設された。84年には大阪の淀川キリスト教病院に最初のホスピスケアを提供する病床が誕生した。
▽114 スピリチュアルペイン 逝くときが迫るなかで行き続けることに対する恐怖や「生きがいの喪失」。そうした「心の痛み」「魂の叫び」こそが、スピリチュアルペイン。…日本の緩和ケアでは欠落しがちな、弱い部分。
▽116 不眠を患者が訴えたり、せん妄だと思われると、すぐに薬を出してしまう。眠れないときは「どうして眠れないのか」を明らかにする方が重要です。「眠れないときにどうしているの?」と患者に聞けばいい。「家族のことが心配で眠れない」と言うのなら、それを解決するのは薬ではないはず。
 何でも薬で対応しようとする医師の対応に、一部の医療たちは危機感を抱いています。
▽117 「先生死んだらどうなるの?」「死ぬって苦しいの?」という問いに即座に答えられる医療者はどれだけいるでしょうか。…かつて往診していたころの医師たちは、患者のそうした苦しさに寄り添うということをしていました。死について語り合い、死にゆく人に寄り添うことが自然にできていたのではないか。
▽臨床医として働きながら、東洋英和女学院大学大学院の…宗教学分野に進学。
…「死んだらどうなるか」。美しい景色や親しみのある人との再会、あるいは新しい挑戦の機会として死をとらえられたとき、心が穏やかに、心が軽くなる人を多く見てきました。
▽121 自分らしく生きて、自分らしく死にたいなら、今こそ死生学を学ぶべきだと思うのです。「お迎え」現象を知ることで、先祖や仲間のみまもりのなかに自分の存在がある、自分は孤独ではないという感覚を持てたなら、死はまた別のものになるのではと考えています。
▽126 「看取り」 とりわけ、看取る側にとっては貴重で有益な経験です。看取りとは「死の予習」ができる大切な機会。看取りをする人は、ひたすら旅立つ人に接します。…小さなつぶやきに耳を傾け、世話をしながら相手をもっと理解しようと努力します。「お迎え」現象が起きたとしても、単なる終末期の意識障害として片づけることなく、逝く人の言動の意味を探るようになります。
 看取る人の役割 ①旅立つ人を安心させ、彼らが自分の人生を肯定する作業をそっと脇で手伝う。②看取る人が、自分のその後の成長に看取りで得た経験、「喪失体験」をも取り込んで、それを糧にしていくこと。
▽130 病院より自宅という生活の場で看取る方が、家族にとっての喪失感は大きいでしょう。でも、逆に死というものにリアリティが増し、実感も得られるものです。…看取りの過程であれこれ悩み考え、さまざまな工夫をこらして歩んできた経験が、精いっぱいケアができたという満足感や達成感につながることもあります。
▽132 妻の死後に後追い自殺まで考えた60代男性。
 厳しい状態の妻に落ち着いて淡々と接していたが、ある日「食べろ。食べなきゃ死んじゃうよ」と厳しく言う。奥さんは「怒らないで。もう食べられないの。がんばっても、もう無理なの」と泣いています。(薬を嫌がるようになったとき、無理矢理のどに突っ込んだ。「お願いだからのんで」と。酷だったなあ)
 それまでは早く自宅に帰るようにと言っていた奥さんが、ある日、「きょうはそばにいてほしい」と懇願した。……(同じだ〓)
 (この男性 筆者に「力が抜けきってしまって、何もする気がしない」と、自殺を試みたことも相談する。そうやって相談できる場が大事だ。看護師でも医師でもよい)
▽141 定期的に病棟に会いに来てくれるように遺族にお願いし、その後の生活状況や健康状態についても話を聞くようにしています。…担当看護師から四十九日ごろに故人を偲ぶ手紙を送り…(〓そんな医師もいるのか)
▽147 家族の死を手がかりに自分の死を見つめることで、見つめることで、今を精いっぱい生きる重要性や大切さに気づく。
 …悲しみが深ければ深いほど、言った人が自分にとってかけがえのない大切な存在であったと改めてわかるのです。
▽158 亡くなる前に抱きしめる。(してあげたかった。ベッドの柵を取ることさえ躊躇してしまった。麻薬と尿の袋を吊り下げていたから。たいしたことではなかったのに。「サクをはずして」って言ってたのに)
▽166 先祖との関係が疎遠になり、生者と死者とのつながりが意識されなくなると、孤独と死への恐怖が一層高まってくる。…ビジネスマンたちは、「死んだらすべてが終わって存在すらなくなってしまう」と思いこみ、生に強く執着する人が少なくありません。
▽178 余命1カ月もないときに、どのような方法をとってもとりきれないつらさが現れることがあります。身の置き所のないだるさや、息が吸いにくいといった呼吸困難感、くり返すけいれん発作など、眠ることでしか取れない苦痛です。これらに対しては、持続的に鎮静剤を投与して、眠った状態を保つ方法があります。

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