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神々の山嶺 上下 <夢枕獏>

集英社文庫 20080819

たかだか3000メートルの山でも、重いリュックを背負ったまま中腰になってカメラをかまえ数秒息を止めるだけで何度も荒い息をつかなければならない。3700メートルのラサでは、4キロ坂をのぼるのがしんどい。5000メートルの峠では頭ががんがんと痛む。高所では無理してでも水分を補給しなければならない。
高山に順応できるのはどんな登山家でも6500メートルまで。それ以降は、滞在すればするほど体力を奪われる。ましてや8000メートルの山では、数メートル歩いてはゼーゼーと荒い息をつき、数歩歩いて息をつき……という繰り返しだという。固形のものは食べられない。乾燥でのどは痛み、咳がとまらなくなる。幻想や妄想もでてくる。
斜度60度の斜面は見た目には垂直に見える。上からは次々に岩や氷が落ちる。雪崩にあうかあわないかは運だ。落石の危険がなくテントをはれる場所は広大な山系でもごくごく一部で、それもほんの数十センチという場所に限られている。……そんな極限状況が、心がひりつくほどの細かさで描かれる。著者本人が8000メートルを体験したかのように。
冬山の氷壁や8000メートルの山は、死と隣り合わせの世界だ。たえず死を意識する。もう2度と来るまいと思う。でも日本に帰ると、生ぬるく薄っぺらな時間に耐えられなくなり、死と隣り合わせの濃密な場にもどっていく。
末期癌で死を前の前にした友人が、この本に共感した理由がひしひしとわかる。死を意識するから濃密な時を生きられる。だから「死を身近に生きよう」とメモを記していた。
死を覚悟して山に登ったからといって、なにかが待っているわけではない。幸せになれるわけではない。ぬるま湯のような日常にもどったとしても、また焼け付くような渇きにおそわれる。そしてまたでかける。アルピニストや戦場カメラマンというのはそういう人種なのだろう。
「日常」に満足することは、悪いことではない。でも、「今・ここ」を大切に生きるにはやはり、死を意識しつづけなければならない。限りある命だと意識するからこそ「今・ここ」が輝くのだから。
--その人が死んだとき、いったい、何の途上であったのか、たぶんそのことが重要なのだと思います。何かの途上であること--
濃い時間を生きるとは、絶えず何かの途上であることである。それは一人の人生だけでなく、「民主主義」にも「福祉社会」にも置き換えられるだろう。もとめつづける意思と過程にこそ意味がある。

ネパールの町の様子もにおいまでが伝わってきて、なつかしい。
===覚書====
▽上119 マロリーの最終アタックの服装。乗馬服にマフラー。脛にゲートルを巻き、登山用のブーツを履いていた。今日、そのような軽装では、日本の冬山にも入らないであろう
▽373 ベースキャンプくらいまでいくかも。高度順応のため、木曽駒でトレーニングをした。2700メートルの千畳敷に宿をとり、1日に1回、木曽駒の頂上まで歩いて帰ってくることを繰り返す。
▽411
▽下12 ヒマラヤの森林破壊が一因となり、バングラ国土の62%が水没。
▽27 グルカ兵 ロンメル将軍の機甲師団や日本軍のインパール作戦を粉砕。フォークランド紛争でも最前線に。ネパールが外貨を獲得する手段としてグルカは、ヒマラヤという観光資源と並ぶ大きな財源。
▽92 シャッターを押すときは一瞬、呼吸を止める。その、ほんの一瞬呼吸を止める状態が、ほんの2秒も長くなっただけで、押し終えた後で、喘いでしまう。……眠っているときもそう。眠ると呼吸の速度が遅くなるから、苦しくなって夜中に何度も眼を覚ますことになる。
▽97 シェルパもグルカと同様、外国人のために生まれた職能集団。ナムチェバザールは、登山者が増えるにしたがって、クンブ地方の経済的中心地となっていった。
▽107 薪が燃料として使用され、登山コースにあたる山域から樹木が激減する。
▽187 「何であれ、待っていても、誰かがそれを与えてくれはしないのです。深町さん。国家も、個人も、その意味では同じなのです。……欲しいものがあれば、自らの手でそれを掴み取るしかないのですよ」
▽222 血液中の水分濃度を標準値近くに保つには1日に4リットルの水を飲まねばならない。
▽237 生と死が、リアルな存在として自分の背に張りついてくる山での濃い時間を体験してしまったら、下界ですごす日常の時間は希薄すぎるのかもしれない。……
▽240 「おれを、撮れ……」「おれが、逃げ出さないようにな」
▽482 何故走っているのかと考えながら走っている。もう、41歳だ。何を、自分は抵抗しているのか。今の日常を淡々と受けとめている。時間が過ぎてゆく。薄い時間だ。濃い時間を、自分はもう知ってしまった。あの、骨が軋むような時間。……41歳だ。残りの時間が気にかかる歳だ。残りの時間で自分に何ができて、何ができないか。終わっていいのか。これで。……走っているうちは、終わらない。……
▽542 マロリーとアーヴィンは、今も歩き続けているのです。頂にたどりつこうとして、歩いている。……そして、いつも、死は、その途上でその人に訪れるのです。その人が死んだとき、いったい、何の途上であったのか、たぶんそのことが重要なのだと思います。何かの途上であること--

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