晶文社 20080806
トマトがないころ、イタリア人はクリームやチーズや野菜で作ったソースをパスタにかけていた。麻婆豆腐などの四川料理も、トウガラシがなかったから山椒の辛みしかなかった。インド料理も、黒胡椒やクミン、コリアンダー、生姜で辛みをだしていた。サツマイモのない鹿児島県、ジャガイモのないアイルランド料理やフィッシュアンドチップス、チョコレートのないフランス菓子……
想像すればするほど、16世紀の欧州人のアメリカ大陸への侵略・進出が、世界の料理を根底から変化させたことに気づかされる。
アフリカ人の主要な食物であるキャッサバやトウモロコシやピーナツも、中南米から欧州をつうじてもたらされたものだった。これらの作物がなかった時代、アフリカの人々はどうやって飢えをしのいでいたのか。マリなどの古代文明をもたらした穀物はなんだったのか……
ちなみに、カリブ海のハイチ人が常食としてているトウモロコシ粥は、黒人奴隷によってアフリカから逆輸入されたものだという。
=====覚え書き=====
□トウモロコシ
▽25 トウモロコシ メキシコからアメリカ大陸全土へ。聖なる植物、神の贈り物、命の糧と考えられ、先住民の宗教にはかならずトウモロコシの神がいた。
▽31 北米では木の灰を入れた湯でゆで、熟した粒の外皮をとりのぞいた。マヤやアステカは、すりつぶした粒に水を混ぜ、薄いポリッジ(粥)をつくり常食とした。現代でもアトレという粥を食べている。 インカにはチチャと呼ばれる飲み物があった。また、メキシコからニューイングランドの先住民は、ポップコーンを食べていた。
▽37 アメリカ大陸以外では、痩せた土地向きの作物として、貧しい人々の食料として受け入れられた。
▽41 奴隷貿易はアフリカにトウモロコシを伝え、アフリカ風トウモロコシ料理をアメリカ大陸に紹介する。クークーというアフリカ料理は、オクラをトウモロコシ粥に混ぜたもの。クークーはファンジーという具のないトウモロコシ粥と並んで、カリブ諸島で見かける。ファンジーはアフリカでは、スパイシーなスープやシチューといっしょに食べる。
……現在、中国のトウモロコシ生産は米国についで2位。
▽43 メキシコでは石灰を入れた湯でトウモロコシをゆでてからすりつぶし、北米では石灰のかわりに木の灰があく抜きに使われた。灰などのミネラルが、有害成分を中和して、ペラグラの発生がおさえられていた。(欧州では発生)
□ジャガイモ
▽54 サツマイモは1500年代にはペルーの低地はもちろん、カリブなどでも栽培されていた。サツマイモはカリブ人のタイノー語で「バタタス」と呼ばれていた。
▽59 ジャガイモは栽培が簡単で、収穫量が多い。3カ月で収穫できる。地下茎だから強風や雹の影響も受けない。
▽67 アイルランドのジャガイモ飢饉 → 合衆国に移民。1850年代に100万人も。
インド北部、中国、アフリカの一部も。暑すぎる国にはサツマイモ。インドネシアや日本にも。生産量はロシアが1位、2位は中国、ポーランド、合衆国も生産地。
▽70 薄目にきって油で揚げた「フレンチフライ」。ポテトチップスは米国で。
□トウガラシ
▽73 ナス科。
▽75 黒胡椒は効果で貴重。ヨーロッパの香辛料の貿易はアラブ商人に牛耳られていた。そこで、香辛料をつくるインドや東インド諸島へ到達する新しいルートをさがす。
トウガラシを世界に広めたのは、ポルトガルの貿易商人。1500年代前半にはサハラ以南のアフリカで食べられるようになり、1540年代にはインドでも栽培され、またたくまに広がる。1500年代前半に中国にも伝わった。雲南省と四川省などでは、何百年ものあいだサンショウを香辛料として使っていた。が、トウガラシが大歓迎される。
□トマト
▽92 アンデス山脈に野生の原種。最初に栽培したのはメキシコ人だった。トマトはナワトル語のtomatlから。
▽96 ナスは北アフリカからヨーロッパに伝わった。
▽98 スペインのガスパッチョ もとは固くなったパン、油、水、ヴィネガー、ニンニクで作った火を通さないスープだったが、キュウリとピーマンのほかに新鮮なトマトが加わるようになると、スープから一種の液体サラダへと変わった。昔のような白いガスパッチョはスペインでは今もみられるが、それ以外ではトマト入りがふつうだ。
▽99 イタリア人は1400年代からパスタのヌードルを食べていた。オリーブ油、チーズ、バター、人参のような野菜をつぶして煮てトッピングにしていた。1500年代にトマトが導入され、1800年代になるころには、南イタリアではトマトソースがかけるのがもっとも一般的になった。
□インゲン豆
▽108 多くの古代文明では一般庶民はほぼ毎食、ポリッジやスープやシチューに乾燥させたレンズ豆を入れて食べていた。中国などのアジアでは大豆がもっとも重要な豆だったが、小豆や緑豆も不可欠だった。ヨーロッパではソラマメが一番よく食べられた。古代ギリシャやローマでは乾燥したソラマメをニンニクやタマネギと一緒に料理して食べた。
▽112 アメリカ原産「種」のインゲン属は4つある。ライマメはそのひとつで古代ペルーで食された。一方、大陸のほとんどで人気だったのがインゲンマメだった。アステカでは中央政府が徴収する貢ぎ物に必ずふくまれていた。
▽120
□ピーナツ
▽131 ピーナツがアフリカに到着すると、肉をほとんどとらない人々の食生活に貴重な栄養素が加わることに。重要な食材になった。アジアでも。
□カカオ
▽142 メキシコのオルメカ文明の人々が最初に栽培。マヤは、豆を炒ってひいて粉にし、水やほかの材料と混ぜてペーストにして強烈な風味の飲み物をつくった。アステカもその伝統を受けつぐ。……富裕な権力者の飲み物だった。
▽160 ホワイトチョコレートは、チョコレート製造過程でカカオ豆から絞りだしたココアバターがその主原料。
メキシコではチョコレート菓子ではなく、肉にそえる辛いソース「モーレ」の材料になり、祖先と同じようにココアを飲む。カカオペーストと砂糖とシナモンとアーモンドパウダーがすでに入っている板状チョコを熱湯やミルクでとかしてから、泡立てる。
□キャッサバ
▽166 カリブで栽培しているのをコロンブスが発見。茎を切って土中に植えるだけで育つ。ポルトガル人がアフリカに伝えると、ほかに作物がほとんどない熱帯地方にたちまち広まった。……タピオカは乾燥したキャッサバから作られている。
□▽173 アメリカのベリー 旧世界のものより粒が大きくてたくさん実る。北アメリカ産と南アメリカ産の二種類の苺をかけあわせて大粒のイチゴを作った。このイチゴが世界中で栽培されているほとんどの栽培用イチゴの先祖である。
コメント