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わが夫、チェ・ゲバラ 愛と革命の追憶 <アレイダ・マルチ>

後藤政子訳 朝日新聞社 200807

チェ・ゲバラの妻アレイダ・マルチは、40年近くも、チェの思い出を語ろうとしなかった。胸の中にためた個人的な思い出を一気にはきだした本である。
完成された革命家としてのチェではなく、たえず自らを成長させつづけた向上心のかたまりだったチェの姿をえがく。家族への思いにひきさかれながら、コンゴやボリビアにでかける様子。あふれんばかりの愛情を軽い諧謔につつんだ妻への私信……。チェの人間らしい部分、ロマンチストである部分に親しみがわく。アレイダ自身の子供のころからの写真や、チェとの写真も数多く収録され、当時のキューバの雰囲気をつたえてくれる。
アレイダは農民の父母をもち、大学をでて都市ゲリラにくわわる。山中のゲリラ基地でチェとであい、革命戦争に参加する。はじめてゲリラ基地に合流したときは、男達の注目を浴び何度も声をかけられる。ラテンの革命ってそういういいかげんな部分が実はコアにあるような気がする。
フィデルをふくめた革命の戦士たちの様子が血の通った人間とて生き生きと描かれている。-------抜粋・メモ---------
▽154 原爆の町です。このドームのなかには7万8千人の死者の名が刻まれています。合計18万人と推定されています。平和のために断固として闘うにはここを訪ねるのがよいと思います。
……頭の中ではきみに忠実だと思っているのですが、ここにはすばらしいモーロ人女性たちがいます。
▽203 州訪問は頻繁に。問題点を把握するため、直接の接触を非常に重視していた。それによって、管理部門の党や労働組合の怠惰、共謀、官僚主義を回避でいる。
▽237 コンゴへ出発する直前。海の家に宿泊し、「出発する」と告白。詩を朗読したテープをのこす。
▽250 読書リスト コンゴの闘いがどう失敗したか。
▽283 ボリビアに行く前、「パパの友達の老ラモン」に変装し、子供達と会う。「ママ、この人、私に恋してるみたい」。私たちはなにも言えませんでした。衝撃で、ただただ顔が青ざめるだけでした。その家から空港に向かい、ヨーロッパを経由してボリビアへ。最後に、詩をつくっておいていった。
▽320 生身の人間としてのゲバラであり、日々成長するゲバラである。これまで「完成した人間」としてゲバラ像を描いてきたが、アレイダはそんな私たちのゲバラ像を打ち砕いてしまう。
▽322 ゲバラ信奉者だったレジス・ドブレも、ゲバラに会ったあとにボリビア軍に逮捕されてからは、ゲバラ理論の批判者となった。ラテンアメリカ革命論についての彼の批判は当たっており、歴史的評価もほぼ定まっている。
キューバ革命は、キューバ固有の条件と歴史が存在した。ゲバラは経験の理論化に取り組むが、ゲリラ戦時代にシエラ・マエストロから見たキューバであり、革命成功後は米国の理不尽な制作に抵抗して国民が一丸となって闘うキューバだった。
そのため、ゲバラ理論からはキューバ革命のもつ複雑かつ多様な側面が失われ、純化されたものとなた。それがボリビア・ゲリラの悲劇的結末にもつながることになる。

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