■上を向いてアルコール<小田嶋隆>ミシマ社 20180615
アル中が重度化して、幻聴を聞くようになり、知らない間にトイレとまちがえて衣装ケースに小便をするようになってしまった。
専門医に「8,9割は治らない。だけどまあ、あなたはどうやらインテリのようだから、もしかしたら治る見込みがあるかもしれないから、診てあげることにする」といわれて断酒をはじめた。アルコールをやめるためには、単に我慢しつづけるのではなく、生活のプランニングを一からすべて組み替えなければいけない。それは知性のない人間にはできない、と。
さすがオダジマン。単なる体験記に終わらず、酒飲みで有名だった太宰治や赤塚不二夫を持ち出して「アル中になる人は心が傷つきやすい、なんてうそ。太宰治が傷つきやすかったのは、人間が曲がっていたから。赤塚不二夫だって、おもしろい作品は30歳過ぎてちょっとくらいまで」とばっさりと切る。
スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じだという。自分の時間をすべて情報収集に費やしていては頭を使わない。外部に情報を求めるということは、自分の頭で考えないということ。アル中が肝臓を傷めるのと同様、スマホ中毒は脳みそを傷めしてしまうという。
断酒会やAAは、酒をやめた人のコミュニティをつくる。飲まないコミュニティをつくらないと、飲まないことを続行することができない。コミュニティに引きずられがちな人は、酒を飲むにしても、やめるにしても、コミュニティ頼みになる。
酒をやめるというのは、酒にかかわっていたものをまるごと人生から排除するわけだから、4LDKのなかの2部屋で暮らしているような寂しさがある。パーティーの場での酒は、いろいろなことの「のりしろ」みたいなもの。それがなくなるのが、世間を渡っていく上ですごくキツい。飲んでつきあっていた人とは、つきあいそのものが消滅する。
酒を飲まないパーティーの居心地の悪さ、その居心地の悪さがずっとつづくのが断酒なのだとよくわかる。
オダジマンの文章を読んでいると「そうそう」と何度も思う。でも自分では、彼ほどの切れ味の文章は書けないんだよなあ。
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