■だれのための仕事 労働vs.余暇を超えて <鷲田清一> 講談社学術文庫 20170210
生きがいって何だろう。労働と余暇とわけられたとき、労働は苦役で、余暇は遊びとされる。その分割が、仕事から遊びの要素を奪い、遊びからやりがいの要素を奪った部分があったのではないか。
そもそもサラリーマン社会になって、家から仕事が分離され、家は消費の場になってしまった。何かを生みだすことによる「やりがい」が生まれなくなってしまった。一方の仕事も、分業化が進んで、「生産」から切り離された仕事が増えて、自分が何を生みだしているのかわからなくなってしまった。
それによって生きる実感が薄れてしまったのではないか。
ここまでは考えていたけれど、ならば今後どうすればよいのか、というと、アイデアは浮かばなかった。
近代以降、前のめりの時間意識が支配している。小中学生は「高校に入るため」、高校生は「よい大学に入るため」勉強する。大学生は「社会に出る」準備をしていて、就職して身を粉にして働くのは「満ち足りた将来のため」、そして定年になると「社会から出る」ことになる。こうした前のめりの時間意識は、未来の幸福のために現在を貧しくしてしまう。
時間の感覚と労働の観念とを近代的なかたちで結びつける標語にフランクリンの「時は金なり」がある。マックス・ウェーバーは「資本主義の<精神>」をそこに読み取った。そこから、より効率的に価値を生産しなければならないという強迫観念や、時間の空白は価値あるなにかで埋められなければならないという意識が生みだされる。
マルクスは、労働がポジティブな意味をもつのは、みずから設定した目的の実現過程としてあるからであるとし、生産手段が資本家によって独占されることで、自己の外化(目的達成)が自己の疎外へと裏返ってしまうと考えた。
アダム・スミスは、労働こそ価値の源泉であり、交換価値の基準であると考えた。そこから「勤勉・勤労」という美徳が生まれ、休まず働くことが意義あることだとされた。労働が、人生の生きがいと受けとめられるようになった。
でもまだこの時代は仕事が生きがいとなりえた。現在の高度消費社会においては、生産労働という形での仕事はかならずしも満足感をあたえるものではなくなってしまった。
余暇や遊びにまで、効率と生産性の論理が浸透する。バブル時代には「ゆとり」や「感性」といった、能率や合理性と対立するような観念まで、企業戦略のターゲットになった。90年代に入って「環境保護」や「清貧」も先端の流行商品になった。
余暇や快楽でさえも、「気持ちのよいことをしなければ」というように強迫的に感じられるようになる。
今こうした「インダストリーの精神」が飽和状態に達し、生活そのものの目が詰まり、緩みがなくなり、息苦しくなって、そこからの脱出口を見つけようとやっきになっている。
遊び=余暇が増えても必ずしも生きがいにつながるわけではない。
仕事と遊びが両極化されるとき、仕事はがちがちの組織化された過程となって「遊び」がなくなり、遊びの方は個人のプライベートな時間に収束させられて、他人との共同作業が重荷に感じられるようになってしまう。仕事にも遊びにも、ときめきがなくなる。仕事も遊びも、何らかの意味で存在を揺さぶる可能性がなければ生きがいとなりえないからだ。
家庭が生産の場から消費の場へと変化してしまい、主婦の仕事は、夫の労働と生活を陰から支える補助的な作業に縮減された。
外食産業やクリーニング、皿洗い機などによって、家事労働は次第に減ってきた。調理は、自然との接点として家庭内に残された最後の営みだったが、この過程までが外部化してきた。
19世紀後半、女を解放するために、協同組合式の家事労働設備「公共キッチン」が提案された。その取り組みはペルーのスラムやニカラグアのコーヒー農園でも見られた。
いま、商品とサービスで家事労働は劇的に減ったが、周囲の人と助けあって生きる力や習慣が失われてしまった。家事労働に社会性がなくなり、専業主婦たちは遊びのなかでしか社会性に関与できなくなった。
ではどうすれば、生きがいを取り戻せるのか。
ボランティアは一つの選択肢だという。
ボランティアでの経験は、「ともに生きてある」という感覚を生みだす。あらかじめ目的地が決められているパック旅行ではなく、常に別の場所に向かっているという感触がときめきをあたえる。
右肩上がりでない時代の人たちは、つねに次の世代のこと、子孫のことを案じていた。災害や事故が起きると、回復できないほどのダメージを受けるからだ。
右肩上がりの時代に育った人たちは、明日は今日よりもっとよくなると根拠なく信じ、なんとかやりくりすれば、技術力に支えられた経済発展がかならず問題を解決してくれる、…というふうに考える。
右肩上がりの近代とは異なる、来たるべき「定常社会」のあり方と生き方を模索しなければならない。その芽を筆者はボランティアのなかに見出している。
=========
▽「生産」(インダストリーの精神) 仕事中毒や遊びまで無駄なく効率的にやろうとする生産の論理、あるいはつねに不在の未来との関係で現在の行動を決定しようという前のめりの生活に、典型的な形であらわれている。
インダストリーの精神が飽和状態に達し、生活そのものの目が詰まり、緩みがなくなり、先も見え、息苦しくなって、そこからの脱出口を見つけそうとやっきになっている。
▽75 ひとは他者が指示した対象にしか欲望を抱かない。欲望は、同じ対象に対する他者の欲望の模倣として発現する。
▽88 工業社会の文化が出現するに及んで、人は仕事というものを自分自身についてのイメージの中心に置くようになった。(〓それまでは中心ではなかった?)〓 それにともなって、それ以外の活動は非労働の時間となって……仕事が生きがいとなりえた時代の話である。しかし、現在の高度消費社会においては、生産労働という形での仕事はかならずしも満足感をあたえるものではない。
▽88 労働時間の減少がかならずしも仕事の喜びにつながるわけではない。それよりも私たちの仕事から、かつて仕事の喜びと言われたものがどんどん脱落してきた事実にこそ着目する必要がある。
▽103 ぼんさんがへをこいた 誰かが突然現れたり,消えたりする感覚。じぶんが消える、壊れる、なくなる……「死」のシミュレーションゲーム。
身体感覚の激しい振幅。緊張と弛緩のすばやい交替。
▽110 「遊び」にこそ、アイデンティティを揺さぶるような、あるいはアイデンティティの根拠を賭けるような真剣さがある。こわばりつつある自分の存在、それをほどく力こそ「遊び」というものではないか。
…出現と消失、緊張と弛緩といった、存在の開閉という運動が遊びの快感をかたちづくっている以上、仕事とはそういう快感を内蔵していなければ、喜びとはなりえないものである。何らかの意味で存在を揺さぶる可能性のない仕事など、およそ生きがいとはなりえない。
〓仕事と遊びが両極化されるとき、仕事はすみずみまで組織化されたがちがちの過程となって、「遊び」がなくなり、他方、遊びの方は個人のプライベートな時間に収束させられて、他人との共同作業がまるで義務のように重荷に感じられるようになってしまう。仕事にも遊びにもときめきといったものがなくなる。
▽118 労働の空疎化の過程を裏側から補完するのが、遊びの余暇化である。本来、スポーツも芸術も、本来は労働以上に厳格な規律を持ち、ときには過酷さもあるはずだったのに、余暇のアマチュアリズムはその危険を除き、すべてをほどほどに楽しませようという思想。
…人間の余暇時間を充実させるための思想と見えるアマチュアリズムが、じつは労働過程の目的至上主義を補完するように働いている。
▽123 収入が夫の賃労働によって外部から獲得されるようになることで、過程は生産の場からもっぱら消費の場へと変化してしまうのである.主婦の仕事は、夫の労働と生活を陰から支える補助的な作業に縮減されてしまう。
▽125 外食産業やクリーニング、皿洗い機やシルバー産業…家庭内における「隷属的」な労働を次第に免除していき、自由な時間を少しずつ確保するのを可能にしていったが、…舵がこのように過程の外部へと押し出されることで、いくつかの重大な問題が発生することになった。(〓どんな問題)
……調理は、自然との接点として家庭内に残された最後の営みだったのである。この過程までが外部化するというのは、人間の現実感覚にとって、決定的な変化を意味するようにおもえてならない。
▽130 私の義理の祖母は、虫歯の時はどういう葉っぱを噛みしめればよいか、風の時はどういう草を煎じて呑めば効くか、知っており、90を過ぎるまでは一度も医師にかかったことはない。そういう自己治療、相互治療の習慣は今ではめったに見られない。
▽132 19世紀後半、家庭内に孤立する女を解放するために、協同組合式の家事労働戸設備を提案した。公共キッチン。(ペルーのスラムやニカラグアのコーヒー農園でも)
…商品とサービスで家事労働は減ったが…家事労働と社会性とが分離し、専業主婦たちは非労働、すなわち遊びのなかでしか社会性に関与できなくなった。そのことが多くの主婦たちに仕事と遊びの両面でむなしさを強いているように思える。
▽134 自分にとって、あるいは他人にとって、意味のある仕事、自分がここで生きているという事実にある明確な輪郭を与えてくれるような仕事に、立ち戻ろうとしている…
→ボランティア
▽147 特定のだれかとして他の人たちにかかわるという契機が、仕事にとって本質的なはずのそのような契機が、非労働の場面、ボランティアなどの場面でこそ、より生き生きしたしかたで見いだされるということ。
▽160 あらかじめ目的地が明確に設定されているパック旅行ではなく、常に別の場所への移行状態にある、何かに向かっているという感触が、仕事に充実感やときめきをあたえる。今の自分を超えた別の自分への移行の感覚が、個々では重要である。
…「ともに生きてある」という感覚が仕事のなか、遊びのなかで生成するとき、あるいは、私たちそれぞれがそれとの関係で自分をはかる、そういう軸のようなものが、世界のなかで、私たちの間で生成しつつあると感じられるとき、それをひとは「ときめく」と表現するのだろう。現在を不在の未来の犠牲にするのではなく、「いま」というこのときをこそ、他者たちのあいだで「時めかせ」たいものだ。
▽167 自分の存在は他の人の存在によって支えられているという感覚だけはなくしてはならない。
▽171 仕事を懸命にすればするだけ、「他人のおかげ」ということを思い知らされるのが、仕事というものだ。それを達成したとき、「自己実現」などという当初の目標自体がむなしく見えてくる。
▽172 人としての「限界」に向き合い、それと格闘すること、そこに仕事の意味がある。…仕事を自分の可能性のほうからではなく、自分の限界のほうから考えてみることは、仕事の意味を自分のほうからではなく、その仕事がかかわる他人のほうからも考えてみることとともに、仕事について別のイメージを得るために大切なこと。
▽181 血縁・地縁・社縁をはずれたところで、それぞれがたんなるワン・オブ・ゼムとして参加するボランティアの活動、あるいは匿名のままで交通しあうネット社会、そこに現代における「無縁の縁」へのやみがたい欲望を見いだすことができるのかも知れない。(網野の「無縁の場」としての寺院〓)
▽187 右肩上がりでない時代のひとたちは、つねに次の世代のこと、子孫のことを案じていた。災害や事故が起きると、回復できないほどのダメージを受けるからである。
右肩上がりの時代に育った人たちは、明日は今日よりもっとよくなると根拠なく信じていて、なんとかやりくりすれば、技術力に支えられた経済発展がかならず問題を解決してくれる、…というふうに考える。