■修行と信仰<藤田庄市>岩波書店 20161019
みなべ町の赤松宗典住職の章だけを熟読し、あとは流した。
10分間でも苦痛な座禅を何日もつづけたり、大峰山や比叡山を天狗のような速さでのぼっていったり、わけのわからない問答を延々とづけたり……。何か意味があるのだろうけど、よおわからん、と思っていたことを、一人ひとりの僧や修験者をとおして具体的に紹介している。
「言葉」はしょせん二次元の表現でしかなく、ホンモノを知るには、時間を含めた四次元、あるいはそれ以上の次元を感じなければならない……というのは、南方熊楠関連の本にもよく出てくる。禅の「公案」は、論理的な思考を一度取り払って、もっと奥深いものを感得するための手法だという。
スマホやネットでコトバばかりが氾濫し、その裏付けになる実体験がやせ細っている現代にこそ、コトバを越えて「感じる」という感覚が大事なのだろう。
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臨済義玄
▽深刻な鍛錬道をへた果ての「魔的な響き」。明るさ。
▽唐の仏教は華厳宗あり天台法華宗あり、…それらは複雑で膨大な教学体系を誇っていた。禅宗はそうした先行の仏教のアンチテーゼとして釈迦の悟りの真実を伝えていると主張した。
▽あらゆる意味を脱落させ、あらゆる論理を切断した、頑とした言葉の塊。修行者からすべての知的分別を奪い去り、その心を追いつめて捨て身の跳躍を迫るものとしての「公案」
▽江戸時代に入って白穏が登場。臨済禅は新たに復興。現代の臨済・黄檗の禅の系譜は白穏に発している。「白穏の再編によるもっとも若い宗教の一つにほかならぬ」(柳田)
▽新学長の禅僧を歓迎する会で、赤松師はうれしさのあまりか、川に投げ込もうと後ろから喉をしめにかかったという。
▽奥深い悟りのためには論理的な思考を断絶させる必要がある。
▽「全身全霊で力を集中して座っており、堂々として圧倒されるような座禅でした」「寒さを嫌だと思えば、何もかもいやになる」「寒さを好きになれば、すべてが楽になる」
▽赤松師に「寒くなかったのか」と問うと、「ぜんぜん」とのことだった。…「心頭滅却すれば火もまた涼し」といった快川和尚の言葉は偽りではないのだろう。
▽しかし禅僧としての決定的転機は1990年1月23日、9歳だった娘真理子の急病死だった。…自分の首がスパッと切り落とされた妙な感覚だった。…娘の死を悼んでくれる人々のまごころが自分を救ってくれたことを自覚する。
…現実世界は一変し「すべての人が輝き、ありがたく見える」のである。その後、彼のところには「血の吹き出る思い」をぶつける人が集まるようになった。娘が殺されてセメント詰めにされた親、息子が誘拐されて殺された親、娘の命があと3カ月の親…。そうした人々に生き抜く決心をしてもらうように努められる力の根源は、彼に内在する真理子の魂だった。
▽「もう宗教から解き放たれています。クソ坊主、ころも脱いだらタダの人、です。人々にいいように使われてこそ僧侶の本分でしょう。私が宗教の鎧兜を着けていたら警戒されます。我がないのに宗教はありますか…」
▽言葉にならないもの。言葉をつきぬけるもの。言葉は二次元でしかないけど、本来の認識は時間を含めた四次元あるいはそれ以上を一気に感じる。そういう認識のありかた。
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