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コロンビア内戦 ゲリラと麻薬と殺戮と<伊高浩昭>

■コロンビア内戦 ゲリラと麻薬と殺戮と<伊高浩昭> 論創社
コロンビアは、麻薬カルテルと左翼ゲリラと右翼民兵がごちゃまぜになった暴力が吹き荒れてきた。貧しいものの味方であるはずの左翼ゲリラも、冷戦崩壊後の危機を麻薬を資金源とすることで生き抜き、麻薬のカルテルとかわらない存在になってしまった。
泥沼の暴力が吹き荒れるなか、筆者がインタビューした政治家も、次々に暗殺される。法務大臣や検事総長、上院議員……どんなに気をつけても一度狙われると殺される。海外に逃げても暗殺者が追ってくる。
そんなカオスの国は、圧倒的な貧富の格差によって生みだされた。寡頭体制側は、自らの地位を守ろうとする。麻薬組織は麻薬を広めることで中毒者を増やし、消費を拡大させる。
筆者は1969年にはじめてコロンビアに足を踏み入れ、通信社の記者として30年以上取材してきた。細かな事実の積み重ねが説得力をもたらしている。

内戦のはじまりは、寡頭支配体制批判で人気を得た自由党のガイタンの暗殺だった。暴徒となった貧困大衆や自由党員は保守党員によって大量殺戮され、その反動として農村部に自由党系のゲリラ(武装自衛組織)が出現した。
当初民族主義を掲げたリベラル系ゲリラの支配地域は、63年末から64年にかけて武力討伐で押しつぶされた。敗走したマルランダら幹部がFARCの前身となるゲリラ集団を結成して64年に武闘を開始した。
アマゾンのフロンティアの入植者たちは、稼ぎになるコカ栽培に飛びついた。公権力が空白だったそんな辺境に「自治権力」としてFARCが浸透した。70年代末から80年代初頭にかけての「コカイン景気」は大量入植を招き、それがFARCの要員源となった。
一方麻薬のメデジンカルテルは、殺し屋部隊を組織し、潤沢な資金でM19などのゲリラ関係者や左翼活動家らを抹殺した。カリ・カルテルは、地域の当局者を広範に買収して、平和裡に強大な権力者になっていった。
右翼の私兵隊は軍や警察と連携して、農民、労組幹部らをゲリラシンパと見なして虐殺した。全国の私兵隊が集まってコロンビア統一自衛軍(AUC)を97年に結成。麻薬マフィアや治安部隊から庇護を受けながら、左翼ゲリラを主要な敵として殺戮戦を展開した。
メデジン・カルテルのエスコバルは、自分のための豪華な専用刑務所をつくって「自首」し、そこを拠点に自由に出入りしていた。刑務官と警備の部隊も買収されていたのだ。 エスコバルを葬るため、軍は護送中にわざと脱獄させ、カリ・カルテルなどと謀議して隠れ家にいるところを襲撃して殺害した。
麻薬カルテルがニカラグアのサンディニスタ政権の弱みと、米当局の影響力が及ばない利点を計算し、同国内にコカイン精製施設を建設していたというのも初耳だった。

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□早田英志 日本人のエメラルド王。
▽ …この界隈で取引する日本企業は100社を超える。彼らを通じて日本に輸出されるエメラルドは、合法取引量の3分の1を占める。日本が最大のお得意。
▽21 エメラルド売買を使って、…手数料を不正輸出業者に支払ってでも、麻薬密売で稼いだ外貨をエメラルド代金としてコロンビアに送金する。早田にも、資金洗浄のからくりに加わるよう何度も働きかけた。「私の資金を、あなたのエメラルドの輸出代金として米国から送りたい。たっぷり礼金を払うから」
…資金洗浄業者がのさばるのも、無処罰(インプニダ)が社会全体を支配しているからだ。
▽30 早田は2001年、「アンデス・アート・フィルムズ」という会社をおこし、映画制作に乗り出した〓。はじめて制作した映画は、みずからの30年近い歳月を実話として描いた。「エメラルド・カウボーイ−−エスメラルデロ」〓


▽39 シモン・ボリーバル。奴隷を独立戦争に志願兵として参加させ、兵士になった者だけを自由にするのは、奴隷の量的大きさから生じる危険性をやわらげることにつながると、考えた。
ボリーバルらスペイン系支配層には、わずか十数年前の1804年、世界初の黒人独立国にしてラテンアメリカ最初の独立国となったハイチの「悪夢」があった。
…ボリーバルはハイチ亡命中の1816年、…武器支援を受けるかわりに、独立戦争に勝った後、奴隷を解放すると、当時のハイチ政権と約束していた。ボリーバルは1821年、奴隷解放令を出す。
▽44 パナマを失った悔恨は、コロンビアに国家統合の必要性を痛感させ、中央集権主義が強まっていく。
▽47 1948年、貧困救済を唱え、寡頭支配体制を攻撃し人気だった自由党のガイタンが暗殺された。希望を奪われた貧困大衆や自由党員は暴徒となり…保守党員が反撃し、数千人が殺害された。ボゴタソ(ボゴタ大暴動事件)と呼ばれる。
保守党のゴメスの独裁で、自由党員を殺戮する。その反動として農村部には、自由党系のゲリラ(武装自衛組織)が出現する。
共産党は1949年、武装自衛行動の開始を宣言する。マッカーシズムの赤狩りの時代、ゴメス政権は、弾圧の口実に、反共主義を最大限に利用した。
▽51 1970年、ANAPOは左翼勢力や学生の支援も得て、ミサエル・パストラナに挑み、勝ったとみられた。ところが、開票集計作業を中断させ、それが再開した結果、パストゥラナが当選したことになってしまった。絶望した青年左翼勢力は、「勝利を奪われた4月19日」にちなんで「4月19日運動」(M19)というゲリラ組織を結成する。
▽58 ボゴタソ以後、保守党員による殺戮と土地奪取に対して自衛するため、リベラル系ゲリラになる。弾圧に対抗するための自衛組織で、民族主義を掲げていたが、59年にキューバ革命が成功すると、社会主義や共産主義に衣替えをする集団が増えていく。
…小国家として治外法権を享受してきたゲリラ集団だが、63年末から64年はじめにかけて武力討伐運動をはじめ、ゲリラ支配地域を押しつぶしていった。「長引いた戦争」がはじまり…
敗走したマルランダら幹部はほかのつぶされた「共和国」の残党と組んで、FARCの前身となるゲリラ集団を結成して64年に武闘を開始し、66年にFARCを名乗る。
▽61 内戦状況によって、二大政党に対抗できる「本物の野党」の形成が不可能になっている。内戦状況は、二大政党制の存続を助けていることになる。


▽79 カケター州には、60年代半ばに内陸部から移民が流入する。新天地を求めてアマゾニアのフロンティアに向かった。…そんな入植者が、すぐに金を稼げるコカ栽培に飛びついた。
…先住民がかんでいた野生種のコカを栽培したのにはじまる。
公権力の空白を埋めたのがFARCだった。入植者の共同体組織や、進出してきた麻薬業者も、FARCを地元の「自治権力」として尊重する。FARCは、入植者社会で反寡頭支配、社会変革などの思想教育を施しながら、自治をまかせ、新たに農民自衛組織をつくって、これに治安を担当させた。
…70年代末から80年代初頭にかけての「コカイン景気」。労働者の大量入植を招き、それはFARCにとっては、収入源と要員確保の拡大を意味した。70年代末、FARCは4000人の勢力となる。
…ゲリラ・麻薬マフィア・極右準軍部隊のからむ複雑なコロンビアの「低強度内戦」が長期化した原因のひとつは、コカイン資金による司法・行政・立法の三権の腐敗である。
▽95 FARCの弱点は、非戦闘分野での殺人、身代金誘拐、麻薬取引という犯罪に深く関与しているため、世論調査でも支持率が5%程度しか得られないこと。…だが、麻薬取引をやはり資金源にしているコロンビア統一自衛軍(AUC)や麻薬マフィアと同列に扱うのは間違いだろう。植民地時代からつづいてきた、コロンビアの癌とも言うべき寡頭支配体制を変革しようと武闘をつづけてきたことは確かなのだ。

▽102 サンタマルタ冠雪山脈(シエラ・ネバーダ)という巨大な山塊。南米大陸最大の独立した山塊。山塊の西泡の裾野には、マルケスが「百年の孤独」で「マコンド」のモデルにしたアラカタカ町がある。
▽106 コロンビアのコカイン生産は、1969年から。…74年にはカリブ海岸地方で300もの秘密の滑走路が発見された。
▽110 先住民は、コカ葉を「神の葉」と呼び…葉を数枚ずつ口に入れ、かみながら一方の頬と歯茎の間に蓄えて、溜めて時間がたったものから地面に吐き出していく。…コカ葉をかむときは、必ず周囲の人たちにもすすめなければならない。南米南部諸国でマテ茶を回しのみする習慣と似ている。
家々では熱湯にコカ葉数枚を入れたコカ茶を飲む。…私も高地での取材時には、高山病予防のためコカ葉をすこしずつかみつづける。
…コカ葉の養分をもちいた合法商品としてもっとも有名なのはコカコーラ。…胃腸薬や傷薬、歯磨き粉にも…ボリビアのラパスやサンタクルスには、これらの商品の専売店が有る。胃腸薬は効き目が強く、たいがいの下痢は治ってしまう。
…コカインは、1855年、ドイツ人科学者が発見したとされる。19世紀末にはコカ葉のパスタ(練り粉)を吸うのが欧州ではやった。…コカイン1キロを生産するのに、コカ葉200キロからできるパスタ1キロがいる。…作り方。
▽115 ケシがヘロイン生産のためコロンビアで作付けされたのは1978年。
▽118 メデジンカルテル シカリオ(殺し屋)部隊を組織。潤沢な資金で情報を集めては、M19のアジトに差し向けてゲリラを抹殺した。
カリカルテルのバロンには、中産層や中小企業経営経験者あいる。地域の当局者を後半に買収して、武闘をせず平和裡に強大な権力者になるというずるがしこさを持ち合わせている。
▽124 ACCU(コルドバ・ウラバー農民自警団)軍や警察と連携して、農民、労組幹部、UP(愛国同盟)党員らをゲリラシンパと見なし、すさまじい殺人法で虐殺をしたい放題にする。…全国の私兵隊によびかけ、コロンビア統一自衛軍(AUC)を97年に結成する。麻薬マフィアと連携し、治安部隊から非公式な庇護を受けつつ、FARC、ELNを主要な敵として、激しい殺戮線を展開していく。
▽126 ガルシアマルケス 気むずかしい。インタビューは難しい。…女性には優しい。
□米国の戦略
▽135 パナマのトリホス将軍は、1981年、不可解なヘリコプター事故で死ぬ。…CIAがノリエガを重視したのは、、トリホス政権時代に国交が復活しパナマと良好な関係になったキューバが、コロンの自由貿易地域を、非共産圏諸国産物資買い付けの窓口にしていたため、キューバ情報が得やすいからだった。…武器密輸の動きを把握するのにも、ノリエガ将軍の情報は貴重だった。
将軍は、カルテルの密売・資金洗浄を黙認する元締め役の見返りに巨額な賄賂を受け取り「陰の大富豪」になっていた。
▽139 エルチョリージョ地区に、「魔女の巣窟」とあだ名された、低所得者の群居する古い大型の木造集合住宅がならんでいた。…パナマ侵攻で広大な平地になっていた。
…メンチューが「米軍のパナマ侵攻の死者は8000人」とインタビューで語った。
米軍は、トリホス・ノリエガら指導者の人民主義を支えた「魔女の巣窟」の貧しい人々を、計算して抹殺したのではなかったか。中上流階層が住む地区だったら、攻撃することはなかったはずだ。
▽141 イラン・コントラス事件
カルテル幹部は、サンディニスタ政権の弱みと米当局の影響力が及ばないニカラグアの利点を計算し、同国内にコカイン精製施設を建設する。〓
□麻薬戦争
▽149 メデジンカルテルのエスコバルは…国家警察麻薬取り締まり特殊部隊の司令官を暗殺。有力紙エル・エスペクタドールの編集長も暗殺。87年、ハンガリーのブダペストで、コロンビア大使エンリケ・パレホをイタリアマフィアから雇った殺し屋に襲撃させ、重傷を負わせた。…メデジンカルテルが、KGBばりの「長い手」を持っていることを証明し、国際社会を驚かせた。
▽156 次期大統領と思われたルイスカルロス・ガランも暗殺。
▽169 エル・エスペクタドール紙の本社社屋が車爆弾で爆破。
▽192 エスコバルは、自費で別荘のような自分のための豪華な専用刑務所を建設してから自首し、そこに「収容」された。好きなときに刑務所と娑婆を往来していた。刑務官と警備の部隊がそうぐるみで買収されていたのだ。
「エスコバルを護送中に脱獄させてやり、後にカリカルテルなどと謀議して、エスコバルを葬った」
1993年、隠れ家にいるところを探知され、…頭に銃弾を2発受けて死亡した。44歳。これで、メデジンカルテルは実質的に消滅する。エスコバルを追いつめるのに、カリカルテルのロドリゲス兄弟も貢献した。

□大統領麻薬汚染
▽エルネスト・サンベル
▽217 AUCの殺戮は、肥沃な土地から貧農を追い出し、そこを所有地にしたい大地主ら「地方ボス=ガモナル」の欲望にかなっている。
▽221 スポーツ界も汚染。人気を二分するサッカーと自転車。起伏の激しい大地を自転車で駆けめぐる。こうした地形と自転車を交通手段につかう習慣が、コロンビアを世界第一級の自転車競技国にのし上げた。

□コロンビア計画
□ウリベ現体制
▽281 03年、政府とAUCは武装解除に合意。だが、おびただしい数の人権犯罪に対する法的措置は盛り込まれなかった。最大の注目点は、AUC要員が正規軍ないし警察部隊に横滑りする可能性があるのかどうか。「悪魔の取引」
□周辺諸国の動向
▽295 ペルー・フジモリは、3期目に入って2000年、モンテシノスの裏切りで失墜し、日本に政治亡命した。最大の裏切りは、モンテシノスがAK471万挺を99年に3回にわたって密輸入し、これをFARCに引き渡していた事件。モンテシノスは、自分が黒幕であることをフジモリに知らせずに、フジモリに自動小銃密輸摘発を「功績」として発表させた。事件を把握していた米国、コロンビア、ヨルダンの政府は一斉に反発し、フジモリは大恥を掻いて窮地に陥る。
…フジモリはモンテシノスを解任。退職金1500万ドルをわたしたが、その資金の出所は、FARC侵入阻止のための国防予算から引き出したものだった。
▽298 米軍をつかって、ベニ州でコカイン工場破壊作戦を遂行。…米軍によって育成去れ87年に展開しはじめた警察特殊部隊「農村巡察機動部隊」(UMOPAR)がコカ減反に抵抗する農民を弾圧。エボ・モラレス議長指揮下のコカ栽培農民組合が、体を張って抵抗していた。
…ボリビア経済の柱は90年代末、コカイン産業から天然ガスに移行し、これがコカ畑いっそうを促した本当の理由だろう。…2001年、チャパレのコカ栽培地は一掃された。代替作物はバナナ。
▽307 パナマ コロンビア北西部ウラバー地域は、パナマのダリエン地峡およびカリブ海岸に接する戦略的要所だ。武器などの密輸補給路であり、治安部隊とゲリラ、AUCにとって最重要地域となっていた。ダリエン地方には、コロンビアから難民、FARC、AUCが絶えず流入し、パナマにとって深刻な主権侵害と治安の問題となった。
▽312 ブラジルは90年代初めまで欧州・アフリカへのコカイン回廊だったが、その後は内需が爆発的に増えて、いまでは米国に次ぐコカイン消費国と目されている。
▽313 ルーラのコロンビア内戦の仲介意思は、米州自由貿易地域設立の主導権を米国と対峙しつつ握っていくという政策に沿っている。

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