■丸腰国家〜軍隊を放棄したコスタリカ60年の平和戦略<足立力也>扶桑社新書 20160707
コスタリカは「軍隊のない国」「平和憲法の国」だ。
一方で1980年代の中米内戦時代には、それほど理想的な国には見えなかった。米軍顧問がコスタリカ領内でニカラグアの右派ゲリラを支援していた。軍隊がないといっても、ニカラグア軍と遜色ない武装をしていた。
かつてはニカラグアも「社会主義と資本主義の混合経済で」「死刑を廃止し」「対面集会などで直接民主主義をめざし」…という理想的イメージがあった。だが、現地に住むと実像はちがった。
ではコスタリカはどうなのか。平和国家という像は正しいのか。実情を知るために筆者は現地に住んで検証した。
筆者はコスタリカの歩みを評価しつつ、「ふつうの途上国」としての欠点も描く。ああでもない、こうでもない、と書くから、文章の切れ味はよくない。でもだからこそ等身大の姿が見えてくる。ときおり文章の堅さが見えるのは、筆者本人の性格のせいだろう。
コスタリカは途上国としての課題や汚職などの問題も山積している。そういう意味ではちょっとだけ貧富の差の少ない発展途上国だ。
一方、「平和」を「戦争がない状態」という消極的なイメージだけでなく、暮らしのなかで人と人が信頼しあう関係をつくる…といった積極的なイメージで多くの人がとらえている。「いま以上の平和を」を求めつづける文化がある。外交を駆使して武装を最小限に抑えて周辺の紛争から身を守り紛争を仲裁し、国内的には教育や医療を充実させてきた半世紀の取り組みが、そうした「平和文化」を培ってきた。
「平和とは終わりなき闘い」と言う。「平和に至る道があるわけではない。道こそが平和なのだ」というガンジーの言葉を体現するような文化をつくりあげてきたところにコスタリカの魅力はあるという。平和を求める歩みそのものが平和であることを教えてくれる。丸山真男のいう永続民主主義革命の考え方に近いものを感じる。
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▽21 1930年代のレオン・コルテス政権はナチスドイツ政権と親密だった。1940年代のカルデロンは、ナチスと手を切り、米国側に舵を切った。太平洋戦争で、日本に対して最も早く宣戦を布告したのはコスタリカだった。
富裕層の共和党と貧困層の共産主義の人民前衛党が手を結んで、カトリック教会も加わって、連立政権に。社会福祉の充実や労働基本法の制定など、福祉国家型の方向性。
だが、反対勢力を力で弾圧。
▽23 カルデロンはウラテに選挙で負けたが認めず、国会でカルデロンの当選を宣言した。
一農園主だったホセ・フィゲーレス・フェレールが武装蜂起。カリブ軍団の力を借りた。
フィゲーレスとウラテが手を結んで、統治評議会が統治。銀行の国有化と資産に対する10%課税。これで評議会は潤沢な資金を得た。…軍隊の廃止も決める。
フィゲーレス一派が軍隊廃止を決めたのは、反対グループから力を取り上げる意味もあった。対抗勢力の力を削ぐことができた。
▽55 ニカラグア・ソモサ政権との確執。ソモサの援助を受けたカルデロン派の侵略。軍事的侵略に対しては、より大きな国際的枠組みのなかでとらえ、多国間外交の場に持ちこんで非軍事的解決を目指した法が効率的だと学んだ。
▽57 在ホンジュラス米国大使としてニカラグア内戦の北部戦線で工作をしていたのがジョン・ネグロポンテ。2001年から国連大使、イラク戦争終結後の2004年からは在イラク米国大使などを歴任。
▽60 コントラの南部戦線は、コスタリカ領内に陣どり、…米国人のジョン・ハルは、国境近くに所有する農地に飛行場を作り、米国政府が物心両面でコントラを支える橋渡し
コスタリカの国境警備隊は、装備も兵員もおとり、自国領内のコントラを取り締まることも、サンディニスタの越境を阻止することも難しかった。
▽69 アリアスは欧州をまわり、主要国を説き伏せて、積極的中立宣言に対する明確な支持を取り付けたのち、あらためて米国にそれを突きつけた。それによって親米勢力も米国も「西側的価値観の体現者」たるコスタリカが主導する和平交渉に口を出しにくくなった。
▽72 コスタリカ憲法31条は「コスタリカ共和国はすべての政治的避難民の避難地である」とさだめている。
▽97 軍と警察とちがい。警察は容疑者を前もって価値づけしてはならない。力を行使する対象は、あくまで「疑わしき人」の範囲を出ない。戦場では、どうしても「疑わしきは殺せ」という場面が出てこざるをえなくなる。
…軍隊は、徹底的な「反人権教育」をする必要がある。
▽112 1980年代には、国境では、ロケット砲なども導入された。「廃棄されてしまってもうないよ」
▽117 1990年代、警察改革。階級章をなくすなど、軍隊的精神性を排除することが重要視された。
警察が人権抑圧の行動をとったとき、コスタリカではそれを「軍事化」と呼ぶ。新聞で「社会の軍事化」といった言葉も使われる。
▽126 2003年にパチェコ大統領が、イラク攻撃に賛同していることがわかったとたん、国中から反対論が噴出し、あらゆる論客が批判した。
▽米州機構など 軍隊派遣義務を免除された状態で認められたことで、非武装を国際法的に確実なものにした。
「中立」 「西洋的イデオロギー、つまり民主主義や自由の側に立つ」と明確にしている。
▽139 米国のイラク攻撃を支持した大統領の市政に同意した人ですら、「再軍備」は「とんでもない、それだけはありえない」と否定した。
▽180 大学生のサモラが違憲で大統領を訴える。国家公務員の住民擁護局長も。「コスタリカの住民を守る役割を担う住民擁護局長としては、憲法違反した大統領と外相の行為を訴追する義務があると考えたのです」
▽197 リンコン・グランデ地区は「暴力の文化がはびこっていた」「何をやっても、どうせダメさ」というのが、大人子どもにかかわらず、この地域の住民たちが持っていた「文化」だった。その文化を変えて見せた「平和文化教育プログラム」。
▽204 国立病院も無料。保険料を払えない貧しい人たちも無償で受診できる。ニカラグア難民も。5年滞在が証明されたら市民権を得ることが可能になる。病院に残ったカルテが証拠になる。
▽209 平和とは終わりなき闘い
…ガンジー「平和に至る道があるわけではない。道こそが平和なのだ」
▽仕事の遅さ 電話の取り付け。賄賂を取る交通警察、税関。
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