■「季刊誌kotoba 2016年冬号 中上健次生誕70年記念特集」 集英社 20160123
中上健次といえば、ガルシア・マルケスを思わせる小説群と、反戦運動などへの積極的な関与、酒と暴力……という印象だが、そもそもどんな人だったのだろう。彼の生き様を知りたいなあと思っていたときに、この雑誌が出版された。
1980年代、中上は若者たちの必読書だったという。80年代は地方に「根っこ」のある学生が多かったからかもしれない。根っこを失った現代の都市の若者には、土地や血と格闘しつづける中上の切実さは理解できないだろう。
彼の文学は、新宿からはじまり、中期は新宮の被差別部落「路地」を舞台にした作品を書き、「路地」が解体されてしまうと新宿にもどった。紀州の路地が消滅後の可能性を新宿に求めたらしい。ゴールデン街は、一種の共同体的な気配が残り「どこかに傷を持つ人のやさしさ」が街にただよっていた。それが路地と似ていたのだろうか。彼が46歳で死なず今も生きていたら、従来の「共同体」を失った現代をどう描くのだろうか。彼の描く2016年のトポス(場)を見てみたかった。
野谷文昭(ラ米文学研究者)の文章もおもしろかった。
中上はフォークナーやジョイスとともに、ガルシア=マルケスの影響を受けていた。
バルガス=リョサとガルシア=マルケスのどちらを好むかで二分されるという。私はリョサは1作しか読んでおらず、共感できなかった。マルケスにははまった。安部公房も中上もマルケス派だという。
野谷によると、トポスをつくるか、それを探すかという点で2人は大きく異なる。中上たちがマルケスを好むのは「路地」というトポスをつくった作家だからだという。
リョサは若いころサルトルに心酔していたが、マルケスはサルトルを煙たがっている(レヴィストロースには近い?)。2人とも、フォークナーの影響を受けているが、リョサは性と暴力という要素を受け継いだのに対し、マルケスはそれに加えてトポスや血縁などの要素を共有している……。そんな指摘も興味深い。
中上は、メキシコでマルケスに会い、中米を旅する計画をもっていたそうだ。中上の目を通して中南米を旅することはできないだろうか〓。
中上は娘に「お前たちが当たり前だと思っていることが、当たり前ではない世界がある…今、ここではない場所に対する想像力…」と語っていた。亡くなった私の友人を思い出した。難病におかされ、「いまここ」を大事に生きようとした友人は、緩和ケア病棟のベッドで猿子座りをしながら、はるかな紀州の被災地やパレスチナ難民の苦難を想像して、カンパしていた。「今ここ」を大事にする人間は、命の一瞬の尊さを知るがゆえに、想像力を広くはばたかせられるのかもしれない。
ほかにも、都はるみがが36歳のときに中上と出会ったころを回想した文章や、「青春の殺人者」(原作は「蛇淫」)で主演した水谷豊の語りなど、興味深いエピソードが紹介されていた。
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▽1977年、31歳。春日地区で同和対策事業の基礎調査が始まり、「紀州 木の国・根の国物語」を執筆。
▽1987年、41歳。「奇蹟」や「讃歌」につづいて「天の声 小説 都はるみ」を連載
▽36 「お前たちが当たり前だと思っていることが、当たり前ではない世界がある」…「今、ここではない場所に対する想像力」
▽39 部落解放運動の内部では「被差別部落のことを暗く書いている」と中上の評価は非常に低かった。…まずは「日輪の翼」など読みやすい作品からはじめたほうがよい。〓
…上原善広「日本の路地を旅する」「被差別のグルメ」(2015年)〓
…中上以後、文芸の世界では、高村薫が「レディ・ジョーカー」で同和問題をとりいれているが、それ以外はほとんど出てきていません。
▽45 若き中上健次は、文学について本当に語り合える人はいなかったと思う。柄谷行人を除いては。
▽51 1962年の春日地区は120世帯467人。面積は3.9ヘクタール程度の地域だ。…小さな路地を豊かな物語の舞台として見せた想像力にとって、臥龍山を削り跡地に市役所や巨大スーパーを建てようとする行政の計画はどれほど酷薄なものに映ったか。
…後期の中上が天皇制や「日本」に傾斜していったのも、ほとんど欲情にすら思える想像力の収めどころを探してのことだと思えば理解しやすい。
▽54 大澤真幸 柄谷行人の影響もあり、我々の世代には必読文献的なところがあった。
理想の時代(〜1970)→虚構の時代(〜95)→不可能性の時代(〜2020)。庄司薫は理想の時代の終わりを描く。村上春樹や村上龍は虚構の時代。中上は、虚構の時代に近代小説的なもの(理想の時代的なもの)を書いた。…理想の時代を遅れて演じ不可能性の時代を先取りした。
▽66 文化の周期性。90年代にはまさか学生運動や反体制運動がふたたびポップといわれる時代がくるとはだれも思っていなかった。今まさにそれがきている。今だからこそ、どう中上が読み直されるのか、重大な課題だと思う。〓
▽72 野谷文昭(ラ米文学研究者)中上は、「千年の愉楽」をマルケスの影響という人がいるけど、ちがう、影響されたのはフォークナーであり、ジョイスなんだ、と言っている。だが……
…「千年の愉楽」で想起されるのも、都市ではなく、その周縁のスラムである。どこに行こうが彼はゲットウを探し当ててしまう。
…バルガス=リョサとガルシア=マルケスのどちらを好むか。安部公房はリョサを嫌っている。トポスをつくるか、それを探すかということだけでも2人の文学観はちがっている。中上が安部公房にくみするのは「路地」というトポスをつくった作家だからだろう。…リョサはヨーロッパ志向が強い。若いころサルトルに心酔していた。マルケスは早くからサルトルを煙たがっている。一方2人とも、フォークナーの影響を強く受けている。ただ、リョサは性と暴力という要素を受け継いだのに対し、マルケスはそれに加えトポス、血縁など、より多くの要素を共有している。
大江健三郎は、サルトリアンにしてフォークネリアンでもあり、トポスをつくった作家。だからマルケスとリョサの双方を相手にできるのだろう。
…中上はメキシコでマルケスに会い、さらに中米を旅する計画をもっていた。
▽101 中上は、紀州の路地が消滅したあとの可能性を、新宿という新たな場所で実験していた。実験をもっと大規模に展開したのが後期作品だ。「日輪の翼」では、消滅した路地をあとにしたツヨシや老婆たちが全国の性ちをを巡礼したのち東京にたどりつく。続編の「讃歌」は、ジゴロとなったツヨシの新宿での活躍を描く。
▽104 ゴールデン街は、一種の共同体的な気配が残っていた。「どこかに傷を持つ人のやさしさ」が街にただよっていたという。「奇蹟」は後期作品では数少ない、紀州の路地を舞台にした作品。後期の最高傑作。「千年の愉楽」マルケスのよう。〓
…ゴールデン街の権利関係の複雑さが整理を難しくし、昔ながらの独特の街並みを残した。
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