MENU

枯木灘<中上健次>

■枯木灘<中上健次>河出文庫 20150626
入り組んだ血縁関係を読み解くだけでも大変で、読みやすい小説ではないが、いつかのめりこんだ。
主人公秋幸は、種違いの兄弟と腹違いの兄弟を何人ももつ。種違いの兄は12歳のときに自殺した。熊野の新宮という、山と海に囲まれた狭い町で息苦しいほどの呪縛のなかで生きる。
まとわりつくような空気と水に覆われた熊野は、生命力にあふれている。しかしその生命力は魔物のように人々をがんじがらめにする力でもある。さらに、「路地」と呼ばれる貧しい人々のムラは、ある種の居心地のよさと同時に、あることないことすべてが噂になり、そこに住む人間をしばる。
女は欲望のはけ口であり、子をつくる道具でもある。ムラにはセックス(性)のエネルギーがむらむらと横溢する。
自然の呪縛と、ムラの呪縛と、血の呪縛、性の呪縛。すべてが粘り着くように人々にまとわりつき、ときに爆発的な暴力を誘発する。さらに。「聖の呪縛」を加えてもよいかもしれない。補陀洛渡海や盆の船送り……。聖とはそれほど清らかなものではない。聖と性と死は一体のものなのだ。
そんななかで育った主人公は、日の出から日の入りまでツルハシをふるい、スコップで土を運ぶ土方仕事のなかに救いと解放を見出している。
日常世界を描いており、怪奇現象などは起きないが、「呪縛」を描く物語はガルシア・マルケスの世界と似ている。幸せの結末がないことも、冒頭から予感されている。

========
▽枯木灘は貧乏なところ。海が目の前にあっても海岸が崖っぷちになり、舟をつける港はなかった。平地はなく、すぐ山になっていた。海べりの山に生えた木のことごとくは、間断なく吹きつける潮風の為、葉は落ち幹木も梢も曲がり、さながら枯れ木のように見える。
▽昔、海岸線に港がないため、舟は河口から入り、池田の港に舟をつけた。火之神を産み女陰が焼けて死んだ伊弉冉尊を祭った花の窟の巨岩は、舟に乗り産みから見ると女陰そのものに見えると言われた。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次