■わが六道の闇夜<水上勉> 20141119
水上勉がみずからの青少年時代を振り返った自伝。
若狭の極貧の家に生まれた。電気代を払えず電柱を抜き取られ、昭和19年まで20年間、電気がなかった。風呂もない。便所は軒下のはだか桶だ。
10歳で京都の寺に出家させられる。和尚は妻とダブルベッドに寝て牛肉を好んで食べたが、筆者の口にはいっさいはいらなかった。中学の制服も買ってもらえず、小学校時代の半ズボンで通った。背が小さいから軍事教練がつらかった。「雁の寺」に出てくる陰気な小坊主はまさに水上の姿だった。
13歳で寺を脱走して別の寺に引き取られた。その寺でも、好色な和尚と若い妻がいた。「等持院」は映画のロケ地になっていた。兄弟子たちは年下の弟子を寝床に呼んで手淫させた。16歳のとき、五番町の陰気な家で童貞を捨てた。
どうせ兵隊に行かされるのなら好き放題したいと、等持院を出た。やがて軍隊だという脅えを前に、酒と女にのめりこんだ。新聞配達、薬売り、府庁……と勤め、徴兵免除になるかもしれないと聞いて満州へ。だがそこでは中国人苦力を竹刀で威嚇しながら奴隷のようにこき使っていた。結核になって故郷にもどった。
20歳で東京へ。
「私はむかしから、女に対する独特な、というと変なようだが、ある触覚があって、これと思えば、こっちからその女を誘い入れるようなテクニックがそなわっていた」と自ら書くだけあって、たらしこむのがうまい。あっというまに同棲する。
だが「躯を許した以上は結婚してくれ」といわれるが、そんな気になれない。戦時中に妊娠したが、あちこち医者をさがしておろさせた。女から見れば最悪の男だ。罪つくりで業の深い人間だけど、女がほおっておけない独特の魅力があったらしい。水上はその後も、同棲や結婚を繰り返した。
自らの姿と重なるものを感じるのか、好色で有名だった一休禅師を尊敬していたという。
目次
コメント