■孤高の人(上下) <新田次郎>新潮文庫 20140711
夢枕獏の「神々の山嶺」に読後感が似ている。有名な藤木九三も藤沢という名で登場する。石鎚山の自然保護に一生を投じた峰雲行男さんは藤木を山の師としていた。もしかしたらこの本の主人公の加藤文太郎ともつきあいがあったのかもしれない…などと考えながら読んだ。
加藤文太郎。単独登山で有名になった。貴族の趣味だった登山を、社会人の登山にかえていった先駆者だ。
浜坂出身の加藤は、神港造船所の技術研修生になって六甲山に登り始める。カネがないから地下足袋で登山する。パーティーで登る主流のスノッブな登山家たちに嫌われ、ばかにされ、それゆえにますます一人でのぼる。
宝塚までの全山を歩いたあとに神戸まで歩いてもどるというすさまじい健脚だった。冬の北アルプスの単独行を繰り返して勇名をはせる。
結婚した直後、宮村健(吉田富久)の懇願を受け、最後の冬山という思いで、慣れていないパーティーによる登山をする。その結果、30歳で遭難死する。1人で細心の注意を払っていた登山家が、慣れないパーティー登山によってパートナーに引きずられてしまった。
「一人」であることの意味、群れることの危険という「個人」のレベルの物語も抜群におもしろい。
同時に、大正から昭和にかけて次第に暗雲が広がる時代を描いている。それは筆者の実感でもあったのだろう。
同僚は「主義者」として官憲に追われ、密告やスパイ行為があたりまえのようになる。権力にこびて情報を売る同僚や上司が暗い影を落とす。関東大震災では朝鮮人が虐殺される。「主義者が殺されるのはあたりまえだ」という発言が普通になる。なんだかヘイトスピーチがまかり通る現代のようだ。不況で息苦しさが蔓延して、「(でっかい戦争が)はじまるなら、はじまったっていいから、はやいところ願いたいもんだ。このままじゃあ、なにか窒息してやりきれない」といった、戦争の開放感を求める空気が広がり、ついに戦争がはじまる。
加藤が長生きしたら、さらに暗く重苦しい戦時を生きなければならなかった。そんなとき単独登山などは存在し得なくなっていただろう。暗黒時代の訪れを予言するかのように昭和11年1月に死んだ。
登山の細かな描写も抜群におもしろい。たとえば食べ物。甘納豆と油で揚げた乾し小魚をいつもポケットに入れていた。それを食べ続けることで、どんな寒さにも打ち勝った。甘納豆を雪でゆがくことでぜんざいにもした。だが最期の登山では、パーティー登山という枠のなかでそれらを十分に持って行かなかった。
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