■もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙<渡辺京二> 弦書房 20131105
石牟礼作品の多くを清書し、食事の世話までしてきた筆者による石牟礼文学論。
「苦界浄土」は、公害の悲惨を描破したルポルタージュであるとか、患者を代弁して企業を告発した怨念の書であるとか評価された。そんな評価をする人々を筆者は「粗忽者」と切り捨てる。
「苦界浄土」は、ルポや「聞き書き」ですらない。「あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と本人が言うように、患者が実際に言ってもいないことを、想像して記したものだった。
私もまた、学生時代にはじめて読んだときにすぐれたルポだと感じた。患者の暮らす美しい清らかな世界と、それを破壊するチッソへの怒りや怨念を表現していると感じた。まさに「粗忽な読者」だった。
「美しい清らかな世界」という感じ方じたいも筆者からみると「彼ら水俣漁民の魂の美しさと、彼らの所有する自然の美しさ以外何ものも描くまいという作者の決心が、どういう精神の暗所から発しているか、考えてみようとせぬ」読み方だ。
前近代的な部落社会は美しいだけでなく、キツネモチの家柄が決まっているというような暗部や残酷さも持っていた。生きとし生けるものの間に交感が存在する美しい世界は、同時に魑魅魍魎の跋扈する世界でもあった。
石牟礼氏が患者とともに立つ場所は、この世の生存の構造と適合することのできなくなった人間の領域であり、そういう立場に置かれた人間は「幻想の小島にむけてあてどない船出を試みるしかない」。精霊的なコスモスが近代と遭遇することによって生じる魂の流浪こそが彼女の作品の深層のテーマだった。
個性としての「私」の表現である近代文学では、「人間が他の生命といりまじったひとつの存在にすぎないような」世界は詩的表現を与えられてこなかった。一方、表現が自己という個の抱える心の暗部から発しているという点では石牟礼文学は近代文学の本質ともつながっているという。
筆者によると、近代日本の文学を通じて、彼女のような作家は皆無であり、農民が農業労働を通して経験するコスモスのあり方を日本文学史上初めて明らかにした。自然農法の福岡正信さんが語る「神」の世界と同じなのだろう。世界的には精霊が跋扈するガルシア・マルケスらの南米の作家に似ている。
文字以前の世界に生きる農漁民は、言葉では表現できない事象との豊かな関わりの日々を生きている。文字を獲得することでコスモスを失った。文字によって失われるものを指摘したレヴィストロースの近代批判にも通じるようだ。
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▽13 石牟礼氏は「苦界浄土」を書くために、患者の家にしげしげと通うことなどしていない。彼女は一度か二度しかそれぞれの家を訪ねなかったそうである。「そんなに行けるものじゃありません」と彼女はいう。
▽15 「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」
▽18 「みしみしと無数の泡のように虫や貝たちのめざめる音が重なりあって拡がってゆく」渚。…平均化されて異質なものへの触知感を失ってしまった近代人の感覚で、ここに現れているような自然な感覚へは、近代の日本の作家や詩人たちがもつことができなくなった種類に属する。
…ここでとらえているようなある存在感は、近代的な文学的感性では触知できないものであり…
彼女の個的な感性にはあるたしかな共同的な基礎があって、そのような共同的な基礎はこれまでわが国の文学の歴史ではほとんど詩的表現をあたえられることもなかったし、近代市民社会の諸個人にはとっくに忘れ去られていた。…そこでは人間は他の生命といりまじったひとつの存在にすぎなかった。
▽22 部落に代々きまったキツネモチの家柄があり、その家のものがよくできた畑の前を通って「ああよくできているな」と羨望を起こしただけで、その家のキツネは相手の家の者にとりついて…そういう暗部を抱えた社会である。生きとし生けるもののあいだに交感が存在する美しい世界は、また同時にそのような魑魅魍魎の跋扈する世界でもある。
▽28 ぼんのうや魂の深さこそ彼女の一生の主題であり、患者とその家族たちは、そのような「深さ」を強いられる運命にあるために、彼女の同族なのである。
▽31 この世界からどうしても意識が反りかえってしまう幻視者の眼。そこでは独特な方法でわが国の下層民を見舞う意識の内的崩壊が語られており…
水俣病という肉体的な「加虐」に苦しみながら、なおかつ人間としての尊厳と美しさを失わない被害者の物語であるとするような読みかたは、世間には意外に多いのかもしれぬ。それは、彼ら水俣漁民の魂の美しさと、彼らの所有する自然の美しさ以外何ものも描くまいという作者の決心が、どういう精神の暗所から発しているか、考えてみようとせぬからである。(〓おそらくそういう読み方をしていた)石牟礼氏が患者とその家族たちとともに立っている場所は、この世の生存の構造とどうしても適合することのできなくなった人間、いわば人外の境に追放された人間の領域であり、一度そういう位相に置かれた人間は幻想の小島にむけてあてどない船出を試みるしか、ほかにすることもないといってよい。
▽36 彼女の熱烈なファンの大部分は市民運動の活動家だったり、ジャーナリストだったり…そういう人々の賞賛は彼女の文学作品の本質に対して向けられているのではなく…つまり彼女は、左翼ないし市民主義的反体制主義者からすると、神聖なる民衆の声をとりつぐ霊能者のように見えるらしいのです。
…鶴見俊輔さんが「椿の海の記」について書かれたものはさすがに優れておりますけれども、文学作品としての批評ではありません。
▽40 近代文学は個性としての私の表現。近代的な個というものの虚構性を批判することは必要だけれども、個としての内面的な衝迫と追求のない文学はやはり文学たりえない。石牟礼さんの文学は、近代文学ときわめて異質な面を持つと同時に、表現が自己という個のかかえた問題から発しているという点で、近代文学の本質とつながっております。…「苦界浄土」は、石牟礼さんの心の暗部なしには絶対に成り立たなかった作品。
▽43 長塚節の農民像は、学校出の知識人によってとらえられた農民像。長塚は在村地主だから、農民生活の外面的な事実はよく知っているけれども、内的な世界は知らない。それとは切れてしまった近代人なのです。
▽45 日本の近代文学者は、農民をはじめとする前近代の民の精神世界から完全に離脱することによって、知識や学問や芸術の世界の住人となることができた。だから、農民の心理や感情を描く場合にも、素朴さ単純さ、その反面のずるさやしたたかさといった、社会的類型としての正確しか描けない。
農民の信仰が描けない。信仰と結びついた年中行事や民間伝承の世界が語れない。農作業を通じてひろがるコスモスの感覚がまったくわからない。(福岡さんの「神」〓)
▽48 農民が農業労働を通して経験する世界とはどういうものであるのか。石牟礼はこの国の文学史上初めて明らかにしたのです。
▽50 文字以前の世界に生きる人びと。かれらはことばでは表現できない事象とのゆたかな関わりを日々生きている。(文字を獲得することで、コスモスを失った、というのは、レヴィストロースの指摘に近い?〓)
…石牟礼さんのテーマは、精霊的な世界それ自体にあるのではなく、そういうコスモスが近代と遭遇することによって生じる魂の流浪こそ、彼女の深層のテーマをなしている。(マルケス〓と同じか)
▽52 「あやとりの記」「おえん遊行」 ふつうの村人ではなく、村社会の周辺に位置していて、半ば異界に入りこんでいる存在。
▽63 この作品を貫いている異界への感受性は、前近代の民が幾代にもわたって蓄えてきた文字以前の豊穣なコスモス体験を受け継ぐなかで培われたもの。同時に、そのような民俗的感覚を、作者の個としての存在感覚によって昇華し変形することによって創造された高次に個性的な作品。
「あやとりの記」は、石牟礼さんの作品で最高のもの。
▽81 あくまで個の意識や情念に即した近代文学の手法では、自分のうちにある存在のかなしみの正体を追いきれないという自覚が作者にあることを意味します。個的なかなしみの根には、幾代にもわたって降り積もってきた前近代の民のかなしみがあって、その根を掘ることなしには、真の救済の文学は生まれないと作者は考えているのではないでしょうか。個の意識に閉ざされた近代文学の方法では、現代人の救済の方向は見えないと言いたいのだと思います。
▽85 狩猟採集民として生きるには、ひとはS親和気質(分裂気質)でなければならない。…農村社会の周縁に位置する異人たちが、あれほど光彩を放っているのは、彼らが強迫的な農耕文化以前の心性、つまり兆候と気配に生きる心性の持ち主であるゆえに、半ば山人的存在と化しているのでは。それと対照的なのが強迫気質、あるいは執着気質。これは農耕の出現によって人類の多数を占めるようになった。
…中井久夫さんは言う。人類が強迫的産業社会に不適合なS親和気質者を抱えこんでいるのは、災いではなく逆に希望なのだと。
▽90 石牟礼さんは谷川雁の主宰する「サークル村」という雑誌を通して頭角を現す。
▽94 彼女は被抑圧者としての民の利害や言い分を代表するという方向はとっていない。庶民文学ではない。文字=知識が構築する近代的な世界像が決してとらえることのできぬ生活世界における生命の充溢・変幻こそ彼女の文学の主題。
▽96 彼女にとって世界は世間ではなくファンタジー。宮沢賢治に非常に近い。
▽102 室町時代 ひげもじゃの武士がおいおい号泣する。この時代には大の男が感動して泣くのは恥ずかしいことではなかった。涙を恥じぬやさしさ、慈悲の心から、いっぽうでは激しい怒りや恨みまで、振幅が非常に大きかったのです。ヨーロッパでもそう。(韓国は今もそれが残る?)
▽103 石牟礼さんは一冊の本を読み通さない。興味のあるところだけを拾い読みする。通読したのは、彼女の尊敬する高群逸枝さんと白川静さんの本くらいでは。
▽109 石牟礼さんのお母さんの話では、紡績工の仕事はとても楽しかった。「女工哀史」のような本を一面的に信じこんではならぬ。
▽113 高群逸枝 女性史という領域を開拓したパイオニア。石牟礼さんは「森の家」に滞在して橋本憲三さんに気に入られた。「あなたは逸枝の生まれ変わりだ」。憲三はのちに水俣へ移住し、石牟礼の協力を得て「高群逸枝雑誌」を出すことに。
▽114 彼女は50代の半ばになるまで、イギリスが島国であることすら知らなかった。
よるべなく苦しんでいる者をみすごせない。異常な共感能力。この能力は人間に対してだけではなく、もろもろの生類、さらには自然現象に対しても発揮される。これは古代人的な能力。
▽122 サークル村に参加。59年には共産党にも入党した。「雁さんのような詩人たちの集まりと思ったから」。翌年には離れている。谷川は、日本近代の底部へ深々と降りてゆくことを唱えた天才的な詩人だった。
▽125 1973年の患者勝訴まで、道子の家は支援活動の拠点となり…水俣病闘争のシンボル的存在となった。「水俣死民」のゼッケンや「怨旗」は彼女の創案。水俣病患者闘争の巫女とみなされた。
▽128 色川大吉や鶴見和子らの協力を求め「不知火総合学術調査団」が生まれた。
「アニマの島」は島原・天草の乱を描く。
川本輝夫や田上義春が世を去り、水俣病が風化にさらされるころ、姿を現したのが若き漁師緒方正人〓だった。すべてが金の問題として制度的に処理されてゆくことがいまわしいものに見えて、認定申請をとりさげ、従来の運動と絶縁して、今日の文明を根本的に問う本願の会を、杉本栄子など数名の患者と結成した。
▽131 岩岡中正は、「近代の認識論やひろく近代知によって失われた全体性、複雑性、関係性、多様性、内発性」を回復しようとするのが石牟礼文学の志向であり、「脱近代の知の創出を示すもの」
…巫女的とか土俗的といった石牟礼評にうんざりしていた私は…
…岩岡は、近代に対する石牟礼の絶望の深さをおさえる。その絶望が、何よりも生命ある言葉が死に絶えた状況に由来することを明らかにする。近代の学者ことば、官僚ことば、ジャーナリストことばへの石牟礼の根源的な違和感は、海と空と大地にはぐくまれた生命の連関とざわめきを、近代の諸制度が隠蔽し破壊してきたことへの反応なのだ。…岩岡は、概念後に頼らないこのような暗喩の哲学がありうるのだということを、石牟礼の文章に即して示した。(概念語に頼らない哲学、というのはおもしろい。表現の大切さ、ということじたいが概念語か〓)
▽137 石牟礼道子全集 町田康、河瀬直美、永六輔、水原紫苑、加藤登紀子らを解説者にした。古くからの左翼的な支持者では鶴見俊輔以外は選ばなかった。
▽142 思想は表現のうちにこそ、その構造をあらわにする。
▽147 1969年4月に裁判開始。彼女は水俣病市民会議を水俣でつくる。熊本に支援組織をつくってくれと言う。そこで僕がいろいろかき集めてつくったのが「水俣病を告発する会」。
▽148 「椿の海の記」出版をめぐって、筑摩の原田奈翁緒さんと朝日の人間が殴り合い。…ある時期までは彼女の原稿は僕が全部清書していました。…いまのように具合が悪くなる前から、こお20年ぐらい僕が晩飯をつくってきたんです。
▽149 僕は17歳で共産党に入り…石牟礼さんが沖縄問題とかアイヌ問題とか部落問題、挑戦問題について言うことはだいたい左翼のパターンだから、僕はそういうのはいいやと思ってしまうのね。…彼女は一時期、大学知識人からものすごくウケがよかった。…新聞記者なんて、インタビューに感動して帰るわけね。お涙頂戴がこんなに上手な人はいない。
▽152 彼女は、日常生活においても時間が移動していく。議論しても論点移動だもん。ずっと論点移動だから絶対に勝てない。だいたい「私が結婚したのはいつだったんでしょうか」と僕に訊くんですよ。
▽154 終わりまで読んだ本は一冊もないと思う。最初に真ん中を読んで、とばして最後を読んで、それから最初に戻るといったふうに読む。自分に訴えかけてくるところがあると読む。
▽160 「苦界浄土」第一部は、基本的にはまだ社会・政治問題化する以前、被害民がひっそりと隠れて苦しんでいた時期の状況を照らし出したもので、作者は無名の詩人として自由にその眼と心を働かせることができた。第二部が扱っているのは1969年の訴訟提起から翌年のチッソ株主総会への出席まで。その高揚期に筆を起こしたものの、1972年には「第三部・天の魚」の執筆を開始し、「第二部」の執筆は73年の訴訟判決ののちに持ち越された。そのとき、運動の状況は一変していた。
川本輝男らの突出した行動は運動内部にきしみを生まずにはおかなかったし、それは作者自身を巻きこんで苦しめることになった。「第二部」は運動が分裂と混乱に陥った時期に、それ以前の「訴訟派」患者のパフォーマンスが最も華やいでいた様態を描写しなければならなかった。
…「第一部」が彼女の天質が何の苦渋もなく流露した純粋な悲歌であり、「第三部」がトランス状態のうちに語られた非日常界であるとすれば、「第二部」は水俣病問題の全オクターブ、その日常と非日常、社会的反響から民俗的底部まですべて包みこんだ巨大な交響楽といってよい。「第二部」は三部作中、要の位置を占める作品。
▽164 組合アタマとも呼ぶべき支援者のメンタリティが、実は「東大アタマ」の影絵でしかないことにいらだちと悲しみを覚えるのである。…労働組合用語を振りかざして意識の低い大衆を啓蒙するといわんばかりの活動家たちに、作者は行政・資本側と同質の鈍感さを感じとっていたのである。彼らは基底の民俗社会の生活の成り立ちとその心性に対する根本的な感受性を欠いていた。(私らもそうだったのかも〓それ以上にそうだった人が確かにいた)
▽167 第二部では、村落社会の暗部にも迫らねばならなかった。それはねたみと陰口と密告の横行する世界である。
▽174 佐野眞一はノンフィクション名作100篇を選ぶ際に「苦界浄土」を差し置いて「西南役伝説」〓を第一に推している。…正面切って戦争批判などとほめられてはしらけてしまう。これは要するに、地形も読めぬ非常識な都会人をおちょくる田舎人のユーモアなのだ。…権力機構を初めとする文明の上層構築物とは徹底的に無縁な、自然に接する小さな共同体のコスモスがあって…天朝さんと西郷さんがいくさしようがしまいが、すべて関わりのないことであった。…文明の構築物に修飾されぬ最も簡明な人生の真実があるということは歴史の畏怖すべき基本なのである。「西南役伝説」はそのことだけを語っている。
▽182 水俣と深くかかわったために、西南役の連作を長く完成することができなかった。…著者が表現したいのは、西南役とは庶民に関係ない権力者たちの出来事だった、などといういい加減な常識ではなくて、そういう「歴史」を日常の次元まで引きおろす庶民の想像力の構造なのであった。
▽183 水俣。なぜか非常に個性の強い文学者の一群を生み出している。(なぜか。チッソができた要因と同じ要因が働いているのか?〓)
谷川雁、石牟礼道子、谷川健一。
…水俣では風土と文学的創造の結びつきの非常にめぐまれた一例。徳富兄弟の影響。蘇峰が町に湛水文庫を寄付したことはささやかなことかもしれないが、文化的な伝統はこのような小さな行為の集積によってかたちづくられるのである。
…一見穏やかで牧歌的な小都市の内部に、よくのぞきこんでみれば何本かの亀裂が走っている。平凡な海浜であったところに、近代と前近代とがいたって微妙に交渉し混交する場が生みだされたことを意味する。また、見逃してならぬのは、天草からの渡り者によってつくられた漁民集落のこと。つまり水俣には、薩摩方面からの内陸的な土着意識をもつ農民的小地主的な層と、近代の尖端を挿入されたことによって生じた開明的な小市民層と、不知火沿岸に流浪する流民的な層という三種のたがいに異質な要素が、並存し複合しているように考えられる。
…石牟礼氏が水俣を描くとき、いかにもその風土の美しさがうたいあげられているようにみえながら、実は彼女はその土地にわだかまる潜在意識や偏見という怪物と死闘しているのである。フォークナーの創造の秘密は、彼が南部という風土を自分の芸術家としての鑿にもっともよく抵抗する、堅固な素材として見いだしたことにある。
…地方的な風土性を売りものにしなければならぬような文学を私は信じない。…水俣が生んだ詩人たちのことを思うと、芸術家にとって風土とは対象の強い抵抗感のことであり、その抵抗感ぬきの風土とはたんなる観光絵はがきにすぎないことがよくなっとくされる。
▽201「天湖」彼女をラテンアメリカの現代作家、ガルシア=マルケスやバルガス=リョサやドノソやカルペンティエールの中に置いてみれば、違和感なく収まってしまう。ジョイスやフォークナーが開拓した語りかたは、発祥地の欧米でよりも、今やラテンアメリカの作家たちによって継承されているが、それはラテンアメリカには近代以前・文字文化以前の世界感受が生き残っていて、その素地の上に近代的な時間・空間の処理を乗り越えようとする二〇世紀前衛文学の手法がうまく接ぎ木されたからでしょう。
…「天湖」は、市房ダムで水没した村がモデル。
いわゆるエンタテイメント作家の文章は新聞記者の文章同様、手垢のついた常識的な言葉しか使わないのですらすら読め、勝負はもっぱら凝った筋、人驚かすお話を作り出すところにかかってくる。文章が観念的・概念的・説明的。
▽218 作中に一種の古謡のような歌をよく挿入する。遊芸人たちが演ずる古拙なくぐつ芝居のような雰囲気に読む者をひき入れてしまう。つまりもうひとつのこの世(アナザ・ワールド)が現前することになる。
…歌が天地・鬼神をも動かすことのできる世界を描いている。人間にほんとうに生きる根拠をあたえる「もうひとつのこの世」を、秘歌=悲歌によって呼び返そうとする小説。
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