■三笠書房20220810
高校時代、古事記は神話がおもしろかったけど、4倍の長さの日本書紀は読みとおせなかった。
古事記は、自国民にむけてかかれたのに対して、日本書紀は国家によって編纂された「正史」であり、皇室の支配の正当性を国の内外(特に中国)に知らしめる目的をもっていた。古事記は1年足らずで完成したのにたいし、日本書紀は39年かけて編まれた。
藤原不比等が中心になって編纂したから、天皇の権力だけでなく、中臣鎌足ら藤原一族につごうのよい記述になっている。
たとえば天皇の先祖「天孫族」が征服したらしい「出雲族」については日本書紀では取りあげられていない。
ヤマトタケルは、古事記では、凶暴な性格ゆえに父の景行天皇にうとまれ、非業の死を遂げるが、日本書紀では、忠誠心あふれる孝行息子として描かれる。
物部尾興は反仏教、蘇我稲目は崇仏の立場で対立し、蘇我氏が勝利した。推古天皇時代の改革を主導したのは馬子ではないかという説があるが、中臣氏のライバル蘇我氏の業績をみとめるわけにはいかず、聖徳太子の手柄にしたてたとも考えられるという。そもそも聖徳太子の存在を記した史料は日本書紀しかなかく、太子の実在も疑われている。
日本書紀のうそと本当を、古事記やその他の文書を比べながら、うきぼりにしていくのが、推理小説の謎をといていくようでおもしろい。。
神功皇后は69年間の摂政中、息子を皇位につかせなかった。実は女帝として即位していたのではないか、という説もあったが、1926年の旧皇族統譜令によって歴代天皇からはずされた。日本書紀は、邪馬台国の卑弥呼と同一人物だとみなしているというのもはじめて知った。
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▽古事記は全3巻、日本書紀は全30巻(+系図1巻)文字数では4倍の開き。
日本書紀は神代から41代持統天皇まで、古事記は33代推古天皇まで。
古事記は1年足らずで完成。日本書紀は39年の歳月。
同じ名前にもちがう漢字。須佐之男命 素戔嗚尊素。
古事記は日本独自の文法をベースにした変体漢文とよばれるものでかかれたが、日本書紀は純粋な漢文でかかれた。
古事記は、自国民にむけてかかれた書であるのに対して、日本書紀は国家によって編纂された正式な歴史書=「正史」であり、皇室の支配の正当性を国の内外(特に中国)に知らしめる目的をもっていた。
▽23 「神武天皇」などの名は諡号(シゴウ)。日本書紀の歴代天皇の漢風諡号は8世紀後半に天皇の命によって淡海三船が一括して考案した。
天皇という称号は、7世紀後半の天武天皇の時代から使用されるようになったといわれる。
▽67 日本書紀では「出雲神話」がばっさりカット。
「出雲族」を天皇の先祖「天孫族」が征服した可能性がたかいからのせるわけにはいかなかった。
▽71 海幸彦と山幸彦 隼人族と天孫族のたたかいを暗示?
▽76 天皇の祖先が神であり、陣地を超えた強力な力を持つ理由を説明すると同時に、神が人間になったことで、寿命が生じたり、海や山を自由に行き来できなくなったりしたことを矛盾なくうまく説明している。
▽93 神武天皇の即位を紀元前660年というとんでもない昔に設定してしまったので、実在する天皇までの間を埋めるために、8代の天皇を捏造したというのがホントのところだ。
▽96 大神神社は三輪山じたいを神体山とする。本殿をもたない。
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▽106 垂仁天皇 「史上初の天覧相撲」ケハヤという天下無敵の力士 出雲ののみのすくねをたたかわせた。
▽120 古事記では、その凶暴性のゆえ、父の景行天皇にうとまれ、非業の死を遂げる人間くさいヤマトタケルが描かれるが、日本書紀では、父とは信頼関係にむすばれ、忠誠心あふれる誠実な孝行息子として描かれている。・・・日本書紀のほうは天皇礼賛のために改変された像だろう。
▽126 神功皇后 69年間の摂政中、息子を皇位につかせなかった。これはやや不自然。実は女帝として即位していたのではないか、という説も。……明治以前は皇后実質敵な天皇とみなして「第15代の天皇」とした史書もあった。1926年の旧皇族統譜令によって歴代天皇からはずされている。
……日本書紀においては、皇后を邪馬台国の卑弥呼と同一人物だと考えた。
▽167 継体天皇の即位を正当化するために、武烈天皇を暴君に仕立てあげた具体的な記述も、殷の紂王を参照してつくりあげた。
▽171 武烈天皇が18歳で崩御し、16代仁徳からの男系の皇統は絶えた。次が継体天皇。ここで王朝の交代があったとする説を唱える人が多い。
……日本書紀は継体天皇の出自は「応神天皇の5世の孫」と書かれているだけで、詳細が書かれていない。それは「自称・応神天皇5世の孫」だったからだで、詳細は書けなかった。
▽181 大連の物部尾興と大臣の蘇我稲目の二大勢力。崇仏か排仏からで対立。物部は鉄器と兵器の製造を管掌していた軍事氏族。
▽193 推古天皇時代の改革を本当に主導したのは馬子ではないかという説がある。ライバル蘇我氏の業績をみとめるわけにはいかず、聖徳太子の手柄にしたんだ。
▽199 日本書紀以外に聖徳太子の存在を記した史料がないため、その実在が疑われている。
▽223 有間皇子 皇極天皇(斉明天皇)こそがすべての黒幕のラスボス。中大兄皇子は実行犯。
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