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夢の船旅 父中上健次と熊野<中上紀>

■夢の船旅 父中上健次と熊野<中上紀>河出書房新社 20160713
 中上健次の人物像を知りたくて購入した。作家の中上紀が、父の中上健次の思い出と、その背景に広がる「熊野」の印象をつづっている。
 父は床にうつぶせになって、タバコを吹かし、コーヒーを飲みながら、青インクの万年筆で集計用紙に原稿を書いていた。しょっちゅう旅に出て、あるいは飲み歩き、いつ帰ってくるかもわからなかった。
 成績が悪くても、いたずらしてもニコニコ笑っていた父はしかし、なぜか突然激怒し、げんこつや蹴りが飛んできて、トイレや風呂場に立たせた。来客中にわがままで生意気な態度をとったり、人がせっかく作った料理をまずいと言ったり…人の気持ちを考えない行動には徹底的に厳しかった。学校の成績には頓着しなかったが、塾を辞めると怒った。行きたいと言うから塾に入れたのに、なんで最後まで貫かなかったと責めた。
 普通に高校に進学するつもりだったのに、「高校からアメリカに行け。もう決まったことだから」と突然命令され、アメリカのカトリック学校に入れられる。「ま、こんな親の子どもに生まれた自分の不運を嘆くんだな」
 暴君のようだが、ハワイの海岸ではぐれるだけで必死になってさがし、「勝手にどこかへ行くなよ。俺は娘二人も失いたくないんだ」と泣きそうな顔で怒鳴りつけた。娘を愛し抜いていたことがわかる。だから娘の立場では、いつでも父が守ってくれていると思えて、安心して冒険できたという。
 中上紀が21歳のとき、父は亡くなった。
 幼いころから夏は熊野に通っていたが、亡くなったあとも毎年訪れている。熊野の風土はアジアとつながるものがある。そこには母系制社会のながりが見えるという。
 中上健次は、熊野が素晴らしいのは、路地があるからだと書いていた。光と闇、白と黒、尊と穢。開と閉…。これでもかというほど色濃く存在する二面性は母系制社会である「路地」があるから成り立ってきたのだという。

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▽59 父はすべての友人たちと心のつきあいをした。人間のなかにある繊細で柔らかい部分を全身で信頼し、また愛した。酒を飲んだときなど…湧いてくる熱い感情を大きな体にもてあまし、力任せに暴れてしまうこともあったに違いない。
▽84 祖母は「田原の芋」を食べると長生きするとよく言っていた。
▽88 花の窟 日本の神社というよりは、南方のバリ島かどこかの寺院を思い出させた。
 …産田神社のあたりでは、もっとも古いコメである赤米がとれるということから、農耕文化もここから入ってきたのではないかといわれている〓〓
▽98「鳳仙花」主人公フサのモデルはわたしの祖母。
▽104 アジアには兄妹心中の原点のようなものが存在するのではないか。黒潮文化圏の古代には兄妹婚が多かったように思えるが、それは古い母系社会の体質なのだろう。日本でも飛鳥時代あたりまでは確実に兄妹婚がおこなわれていた。それが父権を中心とした制度社会へ移行していくにしたがってタブー視されるようになったのであろう。(〓本当に兄妹婚があったのか? レヴィ・ストロースも認めているのか?)
…イザナギとイザナミは兄妹神だった。イザナミは兄であり夫であるイザナギの子をたくさん産むが、最後に産んだ火之神によって死んでしまう。
▽107 中上健次は「枯木灘」あたりから「父なるもの」の世界に足を踏み入れていくが、「地の果て至上の時」では秋幸自らが「父」になり、父権社会の象徴である実父龍造の世界にどんどん近づいていく。「鳳仙花」は、その世界と対峙するものである。絡まりきった母系という呪縛の糸を解きほぐしていく作業を超えて、秋幸サーガ三部作と向かい合っていると言ってよいのではないか。
▽109 祖母が見舞いに来た。父の病室からは、花火大会の音は聞こえるが、花火は見えなかった。祖母は「わしは花火大会ら行かんでもええ。ここで健次の花火見るんやさか」と言った。「想像力」とは、この祖母の言葉にある優しさではないだろうか。
 …「想像力をもて」父権社会においての父として最後の力を振り絞るようにこの言葉を私に残し、父は祖母のつくる母系の世界へと吸収され、帰っていったような気がする。
▽136 紀州が素晴らしい、南紀が素晴らしいというのはそこに路地があるからで、路地からの光なしに南紀のどこに、新宮のどこに他の町を越えるものがあろう(「熊野集」〓)
▽138 母系的社会「路地」。光と闇、白と黒、尊と穢。開と閉。「熊野」にこれでもかというほど色濃く存在する二面性。

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