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アースダイバー<中沢新一>

■アースダイバー<中沢新一>講談社20121220
東京は死者の王国である。
江戸の中心は江戸城ではなく富士山だった。遠くから注がれる「死」の視線を意識しながら人々は暮らした。
ヨーロッパの都市の中心には教会があるが、東京は中心がぽっかりとあいている。
縄文時代に陸だった洪積層と、海だった沖積層から成り立っている。縄文時代、複雑なリアス式海岸になっていて、その岬の部分は聖地だった。そこに今も神社や寺があり、開発などの時間の侵食を受けにくい「無の場所」のままとどまっている。東京タワーやテレビ局などのランドマークもそうした「生と死の世界がふれあう境界」に立っている。東京タワーは、朝鮮戦争の米軍戦車の鉄くずを活用した。縄文時代以来の死霊の王国に、死者たちに支えられるようにして建てられた、という。
東京は、「縄文=湿=芸術=スラム」と「弥生=乾=武士居住区」が入れ子のように分布している。
新宿は高台の乾燥地には「乾いた商品」の店がならび、湿地の区画では、ソドム的な魔力をあらわす「湿った商品」が売り出されている。歌舞伎町はまさに、水(流れるもの)と蛇(貨幣の魔力)と女性のエロチシズムの三位一体によって動いている。
渋谷は大きな坂の下のすり鉢の底で、坂には花街がつくられた。古代の売春は死霊や神々の支配下で世俗のモラルが効力を失う場所で営まれた。そこに最初の資本主義が発生した。
昔のアジールは寺や埋葬地で、そこには大学も多い。開発がはばかられて広い土地が残ったという理由と同時には、大学には、死の感覚が不可欠だった。「産学協同粉砕」という信仰は、生者の権力からの自由を確保する「アジール」として大学が位置づけられていたことを示している。
あちこちに残る路地は、みんなの共有するセミパブリックな庭になっている。もともと都市は「市の庭」「裁きの庭」「神仏の庭」といったさまざまな「庭」を集めた自由の空間として生まれた。「私有の原理」によって汚されてしまったが、路地裏にだけは、都市を生み出したおおもとの原理が残っている。
日本の最初の現代ファッションである中世の「婆娑羅」をはやらせたのは、墓地や処刑場周辺の人々だった。日本のファッションは死霊の支配する自由な世界から生まれた。青山界隈などに軽やかで自由な空気があるのは、現世のしがらみから自由な死霊に見守られているからだ。
銀座は、明治はじめに大火災にあい、「文明開化」の幻想に突き動かされた官僚たちがレンガ造りの街をつくった。もともと江戸初期に埋め立てられた土地の記憶のない職人の街だったから、明治のみごとな変身もおこった。
浅草は洪積層がない砂州にできた。縄文地理学の影響を免れたから、モダニズムの中心の盛り場となった。浅草寺の観音像を納めた厨子は扉を開かれることがない。そこにいるのに見せないというストリップ的な構造だ。大きな謎をはらんだモノが街の中心にあるから地上の闇が生まれ、圧倒的な信仰を獲得した。アメリカ的で、根の浅い、軽さの感覚をまもる「悪場所」だった。そうした「根の浅い悪」こそモダニズムが求めた理想だった。
縄文時代に岬だった上野は、近代になると、縄文の遺跡の上にできた上野から、縄文の大地である東北地方に向かう玄関口(=岬)になった。そうした地理的条件があるから、上野駅周辺は不思議な懐かしさがあるのかもしれない。
葛飾や足立は、明治になっても農村だったが、関東大震災で職人が移住して町工場がならんだ。広々とした沖積層の上では独特の健康さを備えた別の世界が生まれた。
山の手の連中は人生は盤石だと幻想できるが、低地では、人生は不確実だとみんなが知っている。山の手の人たちが、怪力をもった自然を自分たちの世界の外にあるとイメージするのに対し、下町では自分たちを自然の怪力の一部だと考える感覚があった。相撲はそのような下町の世界でこそ育まれた。
子どものころ、なぜか地下鉄の換気口の上や静まり返った東京駅の地下街に胸がきゅんとなった。「地下鉄の存在じたいエロチックだ。足元を地下鉄が走り抜けるのを伝える振動を感じるたびに、東京が性的な快感にふるえているように思える」という文を見て、なるほど、あの感覚は性的なものだったのだと気づかされた。
東京の「空虚な中心」に住まう天皇を「森の奥にひっこんでしまった森番」と位置づける。江戸城のあったころは多くの建物があったが、天皇が住むようになって森に変わった。
近代天皇制が女性天皇誕生で終わり、縄文的な双系原理が皇室によみがえり、グローバリズムに対抗する「森の天皇」という位置づけになれば、日本は良い方向に変わるかもしれないと筆者は期待する。
====抜粋====
▽9 アメリカ先住民の「アースダイバー」神話。
(一神教はプログラマーのようにスマートなやり方で世界を創造するが……)からだごと宇宙の底に潜っていき、そこでつかんだなにかとても大切なものを材料にして、粘土をこねるようにしてこの世界をつくるという、かっこうの悪いやり方を選んだのが、私たちの世界だった。(ありあわせの材料からつくりだすブリコラージュ)……一神教の創造神話は、正直なアースダイバー神話などの前に出されれば、嘘をついていることがはっきり見えるのだ。
……古い心のなりたちを映す夢の部分が、プログラマーの神様によってつくられた経済社会の現実のなかに、忍び込んできて、システムに不調を生み出しているのだ。(多神教の時代?)

縄文時代も陸地だった洪積層。水が浸入していたところは沖積層。
都市開発が進んでも、神社や寺があるところは、開発などの時間の侵食を受けにくい「無の場所」のままとどまっている。時間の作用を受けない小さなスポットが散在する。そういう「無の場所」は、きまって縄文地図における岬ないしは半島の突端部なのである。
▽20 東京は巨大なドーナツ。中心に穴があいている「空」。中心部の穴には、異質な時間がゆっくり流れている。遠い過去と現在とをひとつに結ぶ「神話」の時間。
ヨーロッパの放射状の都市、中国は格子状。いずれも中心には何かが「ある」。その「有」の源泉の場所から、秩序をつくりだす力が放射されている。
▽26 縄文の村も、ドーナツのようなかたちをしている。真ん中の広場を墓地にしていた。中心には死者たちが住んでいる。
インディアンも小屋を環状に並べて村をつくる。そうした習俗は中国からメラネシアの島々にも。
▽46 焼け野原の一角に生まれた歌舞伎町。湿地を埋め立てた盛り場に、歌舞伎座を持ってこようじゃないか、という計画をたてられたことが、その命名のきっかけとなった。……湿地の上に立つ盛り場として、水(流れるもの)と蛇(貨幣の魔力)と女性のエロチシズムの三位一体によって動いていくことになる。……新宿は資本主義の「乾いた部分」と「湿った部分」にが入れ子になっている。高台になった乾燥地では「乾いた商品」の店がならび、湿地の区画では、貨幣のもつソドム的な魔力をあらわす「湿った商品」が売り出されている。
▽49 縄文時代、蛇や魚のような、湿地帯や水中の生き物を土器などに描くようになった。性行為や出産の様子も描いた。とことん「湿った文化」
弥生の文化はあきらかに「乾いた文化」をあらわす。蛇や蛙をきらい、湿地帯に住むことを好まない。
▽55 四谷怪談 縄文=湿=芸術=スラム 弥生=乾=武士居住区
▽60 東京のランドマークの多くは、古代に「サッ」と呼ばれた場所につくられている。生と死の世界がふれあう境界の場所。
メディア権力の象徴であるテレビ塔は「サッ」の上にそろって立てられた。無意識に霊界とのつながりを連想させる、現世的なパワーと結びついたスポット。
渋谷は大きな坂をおりたすり鉢の底。坂には花街がつくられた。古代の売春は寺社や聖地の近くでおこなわれた。死霊や神々の支配下では、世俗のモラルは効力を失うから、自由な性のまじわりが許された。そこに最初の資本主義が発生する。女性が対価を要求した瞬間に資本主義がめぶく。
陽の当たる坂の町である渋谷では、死と性と資本主義がひとつに結びつく素地がしかりとつくれれていった。
道玄坂。荒木山の周辺に花街ができ、円山町と呼ばれるようになった……ここには、セックスをひきつけるなにかの力がひそんでいる。その力は、死の感覚の間近さと関係をもっている。
渋谷はニヒルでラジカルな町。
▽73 天皇は「ハレ」の行為として森と深いつながりをもってきたが、皇居は文明の象徴として緑の少ない空間にならなければならなかった。
とことが近代天皇は森の奥に身を潜めた。
明治神宮。まるで近代天皇はなくなられたのちも、森の奥に潜んでいなければならないとでもいうかのように、都心に森をつくる事業が、はじまった。
▽77 鎮守の森の力を見込んで、明治政府は代々木に巨大な神宮をつくった。これを意識するだけで、人は国家の一員としての帰属意識をもつようになる。天皇制で全体をひとつの原理でまとめると、そこから排除されたものを生む。その排除されたものを、神宮の森が優しく守ろうとしている。
▽80 江戸の中心は江戸城ではなく、富士山だった。遠くの、高いところから注がれてくる「死」の視線。
▽84 東京タワー 朝鮮戦争の米軍戦車の鉄くずを活用。縄文時代以来の死霊の王国に、死者たちに支えられるようにして建てられた。
▽86 日本の橋は「端」だった。この世とあの世の境界にかけられたエッジとして、無のなかに消え入ってしまうような無常感を漂わせる存在だった。
エッフェル塔は、ふたつの堅固な世界をつなぐ橋としてイメージされているが。
▽88 東京の人は、建物が破壊されていくのを楽しんでいるところがある。タナトス(死の衝動)がひそんでいるらしい。
……この国の人は革命は求めない。しかし、秩序が破壊され、焼け跡から新しい世界がつくられるのを見ているのは大好きな人たちである。(死の衝動を心にかかえる)
東京タワーへに行くには、墓地のそばを通り抜けていかなければならない。増上寺のあるこの土地は、かつて大きな死霊の集合地だった。墓地だらけ。縄文時代は大きな半島だった。
▽102 東京の温泉 麻布十番温泉
▽103 欧州や中国の皇帝は、地下界に潜む力と深い絆をもっているなどという発想はあまりなかった。
▽104 日本列島では、権力の源泉を「天上界」に求めるという発想はなかった。地下の世界から、力をもったものが「自己組織」的に立ち上がってきて地上の世界を統べる、というのが権力論の考えだった。
……天皇という存在は、地下界にすむ龍の背中に乗り移ることによって「生の自然」の背中にしがみつきながら、その力を操作するものになろうとしてきた。都市中心部に湧き出る温泉のような存在。
▽105 地下鉄の存在じたいエロチックだ。足元を地下鉄が走り抜けるのを伝える振動を感じるたびに、東京が性的な快感にふるえているように思える。
〓地下鉄の排気口のにおい。子どものときに感じたあの独特の気持ちよさはおそらく、性的なものなのだろう。
▽121 貧乏旗本 広いだけがとりえの敷地の中にわきだしている水を利用して金魚を養殖した。麻布や本郷などの崖下や窪地にある湧水池で。
▽134 枯山水の石と砂を苔がつなぎ、形あるものを無化していく力を苔があらわす。
路地裏の鉢植えの植木 この緑のベルトがあるおかげで、人工物である建物は優しく輪郭を失う。路地裏にできた庭園は無のベルト地帯をかたちづくっている。枯山水の庭園における苔のように、都市を都市自身が分泌する暴力から救い出しているようだ。
路地は、庭がみんな共有になっている道路につくられている。みんなに向かって平等に開かれている共有の空間に路地庭はつくられる。(セミパブリック、所有されない庭)
▽138 都市は「市の庭」「裁きの庭」「神仏の庭」といったさまざまな「庭」を集めてつくりだされた、自由の空間として生まれた。いつしかカネや権力で自分のものに囲い込んでしまう「私有の原理」によって汚されてしまった。だが、路地裏にだけは、都市を生み出したおおもとの原理が生き残っている。
……この路地庭こそが、人類の心に最初に着想された「都市」というものの原理を、ささやかな材料をつなぎあわせてつくりだしたもの。
▽155 寺に墓地が付属するようになったから抹香臭くなったのではなく、お寺というものは古代からの埋葬地の近くに建てられてきたというのが真相らしい。
……稲荷神社はたいてい古墳や古い埋葬地のあった場所につくられている。
▽158 古代からの埋葬地が、人が立ち入ることをさけてきた「アジール」であり、なんとなく人家や畑を開くのがはばかられていたために、明治政府が広い土地を民間に払い下げるのに都合がよかったのだろう。
でもそれだけではない。大学には、死の感覚が必要で不可欠。「産学協同粉砕」という信仰は、大学が、権力からある程度の自由を確保している「アジール」として考えられていたことを示している。生者の権力から自由な空間。それは死者たちの支配する空間にほかならないではないか。
▽162 日本の歴史にあらわれた最初の現代ファッションは、たぶん中世の「婆娑羅」だろう。これをはやらせたのは、墓地や処刑場を生活や仕事の場としていた人々だったようだ。日本のファッション史は死霊の世界と深いかかわりのうちに、生まれたのだ。死霊の支配する世界に住むということは、かぎりない「自由」を手に入れることだからだ。……青山界隈。どこか軽やかで自由な空気を感じるのは、現世のしがらみから自由な死霊に見守られているから。
▽168 家康が江戸に入ったころは、銀座も新橋も漁村だった。……京都からやってきて、埋め立て地に住み始めた「銀座者」たちは、奇抜なファッションで新興都市江戸の人々を魅了した。……職人の感覚がつくる街。
……明治2年から5年にかけての立て続けの大火災。「文明開化」の幻想に突き動かされた官僚たちが焼け野原の銀座に目を付け、れんが造りのあたらしい家並みをつくりあげることで、新橋駅を降り立った外国人のための表玄関にしようという計画が持ち上がった。
……もともと土地の記憶のない人工的につくられた街であり、そこに非農業民的な職人の街がつくられ、非農業的な純粋性を保ち続ける地理的条件がなかったら、明治時代のみごとな変身もおこりえなかった。
▽180 市場というのはもともとが神仏が支配する遊びの庭だった。そこへ入ったものは、いったんもとの所有関係から自由になって、はじめて自由に売り買いのできる商品に変身できた。だから商品というものは、現実を少しだけ離れて神仏の世界のものである人の無意識に触れている部分を持っていなければ商品として成功しない。広告は文章と絵の力によってそこにふれる。無意識と商品とを結びつける。
うまく商品を、神仏の世界の原理である自由な無意識の働きに結びつけてやることができると、商品は自分の生い立ちの状態を取り戻すことができる。現実世界からすこしだけ遊離して、神仏という無意識の世界に触れているとき、商品は商品らしくなれる。(〓物語をつくりだす=自由=神仏?)
▽188 浅草 洪積層がない、平べったい平地。浅草はアメリカにできていった街とよくいている。ここは縄文地理学の影響を免れた、数少ない盛り場。日本のモダニズムの中心地となった。
……砂州にできた浅草は、同じく砂州であるマンハッタンに似ている。マンハッタンにブロードウェイができたように浅草には「六区」が生まれた。
▽194 浅草寺の観音像を納めた厨子はけっして扉を開かれることがない。そのために、圧倒的な信仰を獲得する。
そこにいることはわかっていても、やっぱり見せませんよという、仏教の「無」に似た、ストリップ的芸能の構造をしている。
……入口を閉ざした、大きな謎をはらんだ洞窟が、街の中心にセットされている。おかげでこの街には、地上の闇が生まれ、平坦な空間には襞や深い穴がえぐり出されることになった。(〓闇の大切さ)
▽202 浅草は砂州の上につくられた、地形にも歴史にもしばられない、自由な土地の上に出現したアメリカ的盛り場。たとえ「悪場所」と言われるものであっても、根の浅い、軽さの感覚をまもっている。「根の浅い悪」こそ、モダニズムが求めた理想でもあった。
……平坦で均質な世界の上に精神の自由を奪うさまざまな壁ができあがってしまっている。その壁を突き崩して、平坦な世界のそこここに穴をうがったり、洞窟をこしらえることによって、都市に自由を取り戻したいと願っている。そのモデルは、ストリッパーのような観音様がいて、お猿のようなエノケンがいた浅草にこそ見つけることができる。
▽205 上野 東京タワーのある芝の岬とともに重要な岬が、上野にあった。近代になると、東北への玄関口となり、新しい時代の「岬」としての機能をはたすようになった。関東の縄文の遺跡の上にできた上野から、深々とした縄文の大地である東北地方に向かって、鉄の道が開かれていた。
(上野駅の、山ぎわにある独特の風景は不思議な懐かしさを思わせる〓)
▽215 浅草の鷲神社の熊手に鷲の飾りがついていない。神社の奥の寺の熊手にはついている。鷲神社の熊手から鷲が消えたのは、日露戦争で、ロシアのシンボルが鷲だったから「縁起物として配るのはいかがなものか」と言い出す人たちが出てきた。神社は「神仏分離令」で国家との密着の度を強めていた。そのことのツケがまわってきた。……国家からそでにされてきたお寺のほうが、国家とかかわりがない神話的思考が逃げ込んでくる「ふきだまり」のようになって、熊手にも大鷲のすがたが残された。
今のように管理が行き届き、効率や利益という経済原理の支配が浸透してしまった時代であればこそ、祭りはますます大切になっている。権力や経済原理の及んでこないアジールの空間。
熊手は、現実を支配する交換原理を無視して、神様がなにかを配ってくれる可能性を開いてくれる。大金をはたいて熊手を入手した人は、交換の原理を抜け出して「贈与の原理」で動く別世界へ足を踏み入れたことになる。現実の世界では否定されてしまった、あたたかい贈与の原理が祭りの中で息を吹き返す。
▽219 下町 葛飾や足立は、明治になっても純然たる農村だった。都心部に集められていた職人が、関東大震災をきっかけに移住して町工場がならんだ。沖積地が都心部に残されてあると、エロス的なサブカルチャーの温床となるが、都心部から独立した下町では、広々とした沖積層の上には、独特の健康さを備えた別の世界が生まれた。
▽223 山の手の連中は、人生は盤石な基礎の上に打ち立てられているという幻想を抱くことができるが、低地でははじめから、人生は不確実なものだとみんなが知っている。……山の手の人たちが、しだいに怪力をもった自然を、自分たちの世界の外にあるものとしてイメージするようになっていったのに対し、下町では自分たちを自然の怪力の一部分であるとする、生活感覚が保存されてきた。相撲は、そのような下町の世界で育まれ、発達してきた芸能なのである。
▽232 皇居 神話は現実の空間や時間に属さない、特別な時空間のことを語る。アボリジニは、そういう時空間のことを「ドリームタイム」という。天皇の権威を支えてきたのは、それにほかならなかった。
ドリームタイムは、現実の世界には属していない。野生の自然のうちに見出される。天皇の権威の源泉を、文明的な都市の中に見出すことなど、不可能になってしまう。ドリームランドは都市の中でも天上界でもなく、森の奥にこそ見出されなくてはならない。こうして歴代天皇はしばしば熊野や吉野の森への「隠退」をおこなってきた。
……江戸城のあったときはたくさんの建物があったのが、近代天皇の住まいとなってからは、伊勢神宮を思わせるような森に変わった。神社はぽっかり空いた空間に設けられる。そこには姿形を像であらわすことのできない、抽象的な「神」が宿るとされる。
▽235 皇居は中心部にありながら、その内部に都市性の原理は及んでこないようにつくられた。不思議な静けさをたたえた自然の森に、変貌をとげてしまった。内側がいつのまにか外側に出てしまう「メビウスの輪」のような空間。
▽236 世界の息苦しさは、資本主義の原理が入り込んでこない隙間がどこにもないというところにある。……心情のなかにグローバリズムへの反感が根強くわだかまっている。経済的合理主義に合うように造りかえられるのを拒否しようとする頑固な部分が、まだ生き残っている。「アジール」とは、権力やお金によって人を縛るものから、完全に自由になれる空間をいう。……天皇制がグローバリズムに対抗するアジールとして、自分の存在をはっきりと意識するとき、この国は変われるかもしれない。
……女性天皇の誕生をもって、近代天皇制は終わりをむかえる。そのとき北方ツングース的な男系原理にかわって、南方的・縄文的な双系原理が皇室のなかによみがえり、文明開化や経済大国などを否定してのりこえていく、あたらしい「森の天皇」の生き方を象徴するものとなる。
都市のど真ん中に「空虚な中心」。ツインタワー跡地は空っぽの空間にできなかったが、東京にはそれがある。

 

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