レヴィ=ストロース 中公クラシックス 200705
ブラジルの先住民族のフィールドワークを丹念に記している。
単なる「観察」ではなく、インディオの世界に心から共感していることが、あたたかみのある筆致からよくわかる。
その共感があるからこそ、欧米文化を「進んでいる」、先住民族文化を「遅れている」という主流の思想をきらい、どちらも似たような「構造」に規定されている、とみるようになっていったように思える。人間的なやさしさが、「反人間主義」とよばれる構造主義を生みだしたとしたら興味深い。
獲得した土産物を首長はおしげもなく氏族のみんなに分配してしまう。首長は権力はあるが気前よくしなければならない。給付と特権、奉仕と義務の均衡……という保証の体系としての国家の概念は、近代が生みだしたものではないことがわかるという。
そこから、人間の本質とは贈与・交換であるとみちびきだしていく。結婚は女性の交換である。2歳の女の子を許嫁として、そのかわり自分の娘を相手にあたえる。若紫の感覚と同じだ。
ある氏族の集落では、家の配置が世界をあらわす。そのため、家の配置をめちゃくちゃにして、近代的な家に住まわせると、方位の感覚を失い、急速にしきたりを失う。宣教師はそうやって先住民族文化を絶滅させていった。そこから村をなしているのはひとつの「構造」であると結論づける。
「文字」の評価もおもしろい。ふつう、読み書きは知識の蓄積を意味し、進歩の前提とされているが、文字がない新石器時代に農耕・家畜をうみだしたこと、エジプト人が文字を知らなかったこと。逆に、文字を知っていた欧州人の市民生活の様式はギリシャ時代も18世紀も変化しなかったこと……をあげて、文字は人間の進歩よりも、人間の支配・搾取に役だったという。ちょっと極論のような気がしないでもないが。
また、イスラム文化の不寛容と、ヨーロッパ文化の不寛容が似ているとも指摘する。どちらも一時代に有効だった枠に固執しつづけ、ほかの価値を認めず、独善的になっていると。
--------抜粋・要約----------
▽フランス人兄弟 白鷺をとって生活(羽毛)→ダイヤモンド探し→トラック運送で400%の利益。(〓山っ気のある人たち)
□ボロロ族
▽ ボロロ族の写真。家や集落のつくり、
「男の家」のまわりに小屋を環状に配置。
宣教師たちは、ボロロ族を改宗させるため、集落を放棄させ、家がまっすぐ並行に並んでいるような別の集落にした。先住民たちは東西南北の方位の感覚が混乱し、知識のよりどころとなる村の形を奪われ、急速にしきたりの感覚を失っていった。社会組織と宗教組織があまり複雑なので、集落の配置によって顕在化されている図式なしにはすまされず、彼らの日々の行いが、図式の輪郭を果てしなくなぞっては甦らせているかのように。(〓構造による規定)
▽宣教師たちは民族誌のすぐれた調査をすると同時に、先住民文化を系統立てて絶滅しようと企てた。
▽首長は、すべての氏族から食料や加工品の贈り物を受ける。多くの富が彼の手を通り抜けていくが、彼は決してそれを所有しない。私たちからの贈り物は、首長の手で直ちに様々な氏族のあいだに再分配される。
▽女たちは男の家に入ることは禁じられている。一生に一度はいるのは、娘の未来の夫に申し込みをするとき。
▽彼らにとっては、1人の人間は1つの個体ではなく1つの人格。村をなしているのは、土地でも小屋でもなく、ある一つの構造であり、その構造をすべての村が再現する。宣教師たちが村の伝統的な配置を妨げることによってすべてを破壊することも、このように理解できる。
▽村の2つの半族が、互いにやりとりすることだけを大切に思って女や財産や労役を交換し、次の世代を彼ら同士結婚させ、互いに死者を葬りあい、生命は永遠で社会が正しいことをあいてに保証しながら、生活し休息することを互いに強いる。……
□ナンビクワラ族
▽アメリカ大陸への人間の移住はせいぜい紀元前5,6000年で、ベーリング海峡を経て渡来したという説。タバコ、隠元豆、マンジョーカ、甘藷、ジャガイモ、落花生、綿、トウモロコシとなったものの野生種を、彼らがどのように発見し、栽培植物化し、広めたか。アステカやマヤやインカがどのようにしてあいついで生まれたか。……を数千年の時間の枠内で説明しなければならなかった。……こうした見方は、この大陸に人間が渡ってきた時代が大幅に古く遡ることになったため、覆された。2万年前には、アメリカにはすでに人間がいたことを認めなければならない。3000年以上前に、玉蜀黍を栽培していた。
……太平洋岸全体にわたってある強力な活動が生まれ、それが数千年の間に、沿岸航海によって広まっていったという仮説を認めることなしに、アメリカ大陸の諸文明の起源を理解するのはむずかしい。アメリカ大陸は2万年のあいだ全世界から切り離されていたという考えを訂正する必要があろう。
▽ハンモックはインディオの発明。が、ナンビクワラ族はそれさえも持っていない。彼らは地面に裸で眠る。乾季の寒い夜は、明け方には先住民たちは、たき火の後のまだ生暖かい灰の中に寝転がった姿で目を覚ます。
▽乾季の移動生活と雨期の定住生活
▽「夫婦は過ぎていった結合の思い出に浸るかのように、抱きしめ合う。愛撫は、外来者が通りかかっても中断されはしない。限りない優しさ、深い無頓着、素朴で愛らしい、生き物の心があるのを、人は感じ取る……」(という筆者のメモ。深い愛情と共感を感じさせる)
が、10年後、ナンビクワラ族を訪ねた人の記録(1949年)では、先住民の群れは18人になっており「8人の男のうち1人は梅毒にかかり、1人は脇腹が化膿して悪臭を放ち、1人は足に傷を負い、もう1人は皮膚病で全身が鱗に覆われていた。聾唖者も1人いた。……ナンビクワラの深い憎悪や不信や絶望の感情を知るために、長く留まる必要はない……」
▽30年前にはサバネ群の認知された分派は1000人以上を要していた。1928年には、女と子供を含めずに127人の男がいたことが記録されている。ところが1929年に流行性感冒が発生し、48時間のあいだに300人の先住民が死んだ。この群れの者は四散した。1938年には、かつて確認された1000人のサバネのうち僅かに19人の男が、女子供を伴って残存するだけだった。
▽文字の教訓〓
文字をもつことは、知識を保存する能力を著しく増大させた。文字をもつ人は、先人が獲得したものを累積することができ、もたない人は、記憶にとどめうる範囲を超えては過去を保存することができず、起源と、未来を構想する持続的な意識とを常に欠いた波動する歴史の虜であることから逃れられない。
しかし、農耕・動物の家畜化その他の技術を生んだ新石器時代の成功は、文字はなかった。文字が新石器革命の条件だったのではない。……エジプト人の建築は、文字を知らなかったアメリカ先住民の一部が完成していた建築より優れていたわけではなかった。反対に、西洋世界の知識は、増大したというよりむしろ波動していた。ギリシアやローマの市民の生活様式と、18世紀ヨーロッパの有産階級の生活様式とのあいだに大した違いがない。たしかに、19,20世紀の科学の開花は文字なしには理解しにくいが、それは必要条件であっても十分ではない。
文字の出現に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、個人のカースト階級への位づけだ。エジプトから中国まで、文字は、人間の搾取に便宜を与えたように見える。文字は、知識を強固にするには十分でなかったにせよ、支配を確立するためには不可欠だったのだろう。(インカ帝国やアフリカの帝国は、大規模な政治的統合は数十年の間隔で生まれ、消えていった)〓〓
▽1907年と30年のあいだに、白人の到来によってひきおこされた疫病が多数のインディオの命を奪った。
▽首長と呪術師だけが何人もの妻をもてる。首長が適齢期の男女の数に不均衡を生じさせるため、若い男が寡婦や年取った女と結婚したり、同性愛になったりする。
▽首長とその一行のあいだには、給付と反対給付のゲームの形。「互酬制」。首長は権力をもってるが気前よくしなければならない。多くの妻を迎えられるが、「集団的安全」を与える。給付と特権、奉仕と義務の均衡。……〓保証の体系としての国家の概念は、近代の発展のみによって生まれたものではないことを示す。
□トゥピ=カワイブ族
▽(感動・感性はにぶくなり、体力は落ちていく)かつては驚きであったものにも慣れ親しんでしまった。……思い出から新鮮味を抜き去ってしまった。楽しみの感覚は回を重ねる毎に少しずつ鈍くなって行くのに、それを得る代償は年と共に増していく。
▽女6人男7人。うち下肢のマヒがある若者が2人。16世紀に海岸のトゥピ族を訪れたトゥヴェは、「われわれと同じ要素でできているのに……レプラにも、中風にも、知能麻痺にも、下かんにも、腫瘍にも、ほかの、表面的に外からわかるどんな身体上の障害にも……まったく侵されていない」
▽トウモロコシでつくるチッチャ。発酵をひきおこすために大量の唾液をそこにはく、という部族の処女の役割。(★チーチャはニカラグアにもペルーにも)
▽首長が多くの妻をもつという特権は、彼の仲間や来訪者に妻を貸すことによってある程度相殺されている。妻や娘の交換も。2歳の女の子を許婚にほしがる30歳代の男……「10年か12年もしたら、どんなに綺麗な娘になるだろう!」と(若紫の感覚)
▽土民の1人が所持している品を欲しいといえば、持ち主に告げる。その品は持ち主が大切に慈しんでいるものでなければならない。それが惜しみなく与えられた場合には、無心した者は、与えた者の心惹かれる品を何であれ、所望された時に与えなければならない」
□セリンゲイロ
▽ゴミ採取のセリンゲイロ セリンゲイロは親方に帰属し、親方は主要航路をおさえる水運会社に帰属する。亜細亜のゴムがブラジルの採取と競合するようになった1910年以降の相場暴落がもたらした制度。採取事業は採算に合わなくなったが、セリンガ地帯では商品が相場の4倍で売れたから、河川の運送は儲けになった。1938年にはゴムの値は大好況の終わり頃の値の50分の1.セリンゲイロの家計。
お得意(セリンゲイロ)がつけを払わずに行方をくらませれば、親方は破産する。だから、親方直属の監督が、武器をもって河の上からみはっている。ライフル銃をもって、逃亡者を何日もかけて探索する。
□民族学者について
自分の社会に対しては批判者であり、外では適合主義という2つの態度のあいだの対立。自分の属する社会の改良に貢献しようとするならば、彼が闘っているのと同様の状態が存在するところではどこでも、彼はそれを弾劾すべきだが、そうすればかれは客観性と公平さを失うことになる。……自分のところで行動すれば他のものを理解することは断念せざるをえず、すべてを理解しようとすれば如何なる変革もあきらめなければならない。そういう矛盾。
▽司法や懲役のありかた 人食いの慣行をもつ社会、脅威となる力をもつ個人を食ってしまうことがその力を無力にするとみなす社会と、われわれの社会のように「人間を吐くこと」を採用する社会--脅威となる存在を隔離して社会の外に追いだす--。未開と呼ぶ社会の大部分では、この我々の習俗は深い恐怖を与える。「野蛮」とみるだろう。
▽イスラムの不寛容。他者としての他者が実存することに耐えられない。イスラムの兄弟愛は、非信徒に対する排除の換位命題。
フランスがどれだけイスラム的になりつつあるか。イスラムが、今から7世紀前には現実だった社会についての瞑想にひたって一時代に創られた枠をこえて思考することができなくなっているように、われわれも1世紀半以来、すでに過去のものになっている枠を越えては思考することができなくなっている。……われわれの開花を保証するには豊かなものだった諸原理が、他の人々にとっては、尊敬に値しないとはわれわれは思わない。それらの原理を最初に思いついたということで、彼らのわれわれへの感謝の念は大きいのが当然だとわれわれは思っている。イスラムも同様。イスラムの信仰は、他のあらゆる信仰を尊重するという圧倒的な優越を、他の信仰に対してもっている。
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