■一期は夢よ <黒澤脩> 201012
静岡市役所に勤め、徳川家康や今川義元、民俗文化などを研究してきた著者の半生の記録。
榛原町の村の寺で住職の息子として育った。子どもころの遊びの話が克明に記される。 権威をふりかざす先生に傷つく。貧しい同級生を「お前は乞食の小僧みたいだ」と罵って「オレは一生忘れないぞ」と返され40年後も心の傷となって残っていた。夕方、汽笛の音をきいて遠い世界に思いを馳せる。はじめて飲んだオレンジジュースのおいしさ、はじめて使った水洗便所の驚き……。
永遠につづくと思われた農村の暮らしはしかし、一気に変化してしまう。
ボスが仕切っていた小学生の世界に、「民主主義」が入りこみ、何もかも多数決で決めるようになる。ホリドールという農薬を散布されはじめると、ホタルが田んぼから消え、農薬による自殺者も出た。アセチレンガスの灯りがともり、にぎやかだった祭りも、露天商の数がすっかり減った。鬱蒼としていた裏山は今は空港になってしまった。
静岡市に移転した昭和34年にテレビが入ると、遊びも物事の関心も子どもたちの語彙も恐ろしいほど変わった。
神奈川大に進学し、米大陸への貧乏旅行に出かける。アメリカやカナダは博物館や図書館、公民館が輝いていた。日本では「左遷」気味のやる気のない役人が赴任してくるのに。アメリカは、地域住民が公共施設を自分たちの地域のシンボルとして、地域全体で育てている。一方の静岡市は政令市なのに博物館もない。偉大な歴史や文化、資料が埋もれ風化してしまいつつあるという。
静岡市郊外の山の集落・黒俣に移住する。かつては人を呼ぶのに「貴公」と呼びかけていたというムラの古民家「承雲荘」に老若男女がつどった。そこでは恋愛が生まれては消えた。
ガンを宣告され、やけに大事故や災害、戦乱のことが頭に浮かぶようになる。人間の命に敏感になる。亡くなった人々の「苦しさ・悔しさ・無念さ」を考えると、「私は助けられれている」……と考える。
ムラもヒトも文化も、いつまでもつづくものは何もない。だからこそその一瞬一瞬を、その文化を意識的に大切にしたい--そう思わせる記録だった。
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▽ 生活文化や民俗はあっという間に忘れ去られてしまう。だから農具や民具、生活具は残すべきなのだ。県も自治体も調査もなにもせず、飛行場建設という目先の開発に邁進する。飛行場で失われた「榛原の歴史と文化」を保存する施設を空港の近くにつくるべきだった……
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