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新編日本の面影 <ラフカディオ・ハーン 池田雅之訳>

■新編日本の面影 <ラフカディオ・ハーン 池田雅之訳> 角川ソフィア文庫 20100606
 穏やかな笑顔でいつもほほえみを浮かべている日本人。息子が死んだことを報告するときも、怒鳴られたときも笑顔を浮かべる日本人は、多くのイギリス人にとっては気持ち悪い存在だった。逆に日本人から見ると、いつも気難しい顔をしているイギリス人が理解できなかった。そのくらい、文化のギャップは大きかった。
 ハーンはイギリス人の厳しさより日本人の穏やかさを好む。松江の学校ではみんなが親切で、学校では先生-生徒という格差がなく、先生のできが悪ければ生徒が先生の交替を要求する自由もあった。先生は「いい兄貴」だった。
 教育勅語が発布されるまさにその時に居合わせた。だが4,50年後、日本の学校から笑顔が追放され、服従-被服従の関係に染め上げられるとは彼は予想していなかった。

 ハーンの描く盆踊りなどの風習や神話の舞台になった田舎、のれんが風で揺れる商店街などの描写も魅力的だ。彼はアニミズム的なものを特に大切にする。それから100年余しかたっていないのに、そういうものを日本は失ってしまった。いやそういう世界を失ったのは高度経済成長以来の50年そこそこのことだろう。ほんのわずかな期間で大切なものを失ったことに日本人が気づきはじめたから、ハーンの文章が最近また読まれるようになってきたのかもしれない。
 日本人はほとんどけんかしない。「切れる」なんて見たこともないという。……それはムラによって縛られていたからという面もあったのだろうが、その封建的不自由さがなくなった長所を割り引いても、「おだやかな日本人」が失われてしまったことは惜しいと思う。

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▽11 「第一印象はできるだけ早く書き残しておきなさい……第一印象というのは、しだいに消えてゆくものです。そしていったん薄れてしまうと、もう2度と戻ってきません。この国で、どんな不思議な感動をこれから受けようとも、初めての印象ほど、心が動かされることはないでしょう」
▽20 日本の美しさ。町も住人も…… 横浜
▽49 盆踊り 幻想的に描く
▽50 山陰に近づき、農民の肌も、東の方の人よりも色が黒いし、東京近郊の女性に見られるような、魅力的な桜色の顔は見かけなくなった。……かわいい子どもたちは、真っ裸だ。腰回りに、柔らかく幅の狭い白布を巻いただけの、日焼けした男や少年たちは、家中の障子を取り外して、そよ風を浴びながら畳の上で昼寝をしている。……こんなに穏やかで優しい顔を、これまで見たことがない。
▽54 御札「美保神社 諸願成就 御祈祷修行」青い稲穂の水平線の上に、かすかにきらめく白い矢を目にする。(山陰に近づくと)その数はどんどん増えていく。……もはや仏陀の顔を探そうとしても無駄である。……道を司る庚申ならまだ見かけるが、これも名前が変わり、神道の神様になっている。いまや猿田彦命なのである。
▽59 お盆の13,14,15日は誰も魚を口にしてはいけないことになっています。16日の朝になれば、漁師は漁に出かけられるので、両親とも健在であれば、その日は魚を食べることができます。片親でも亡くしていたら、16日も、食べることはできません。……昔ながらの盆踊り
▽76 大橋川の川岸の旅館から。朝、太陽に向け、柏手を四度打ってから拝む。あちこちで。ひっきりなしに聞こえる。多くの人は、西の杵築大社の方へも柏手を打つ。
▽83 松江大橋 昨春、盛大に開通式があったばかり。堀尾吉晴の時代の人柱伝説。……この伝説を多くの人が信じたから、今度の橋の建設中にも、何千人もの田舎の人たちが、街に出て行くのを怖れた。人柱を、昔ながらのちょんまげを結っている田舎の人たちの中から選ばれるという噂が立ったためだ。この噂のために、何百人もの老人が丁髷にはさみを入れた。すると今度は、開通初日に千人目に橋を渡る人を源助の身代わりにするという噂が流れた。だから、稲荷祭りにも今年は人手が少なかった。
▽87 嫁ケ島……どの家の引き戸にも、玄関のすぐ上にも、漢字が書かれた長方形の白い紙がはってある。小さな注連縄が、どの家の軒にも掛かっている。
▽91 大山=出雲富士 ……天神町の広い通り。裕福な商人の町で、……この川の中州のような一帯に、劇場から相撲場まで、ほとんどの娯楽の場所が集まっている。
▽99 加賀潜戸 髪の毛3本動かすほどの風が吹くと、船乗りはそこへ舟を近づけてはいけない……。
▽103 松江城が築かれるとき、城壁の下にひとりの少女が生き埋めにされた。……
▽129 杵築大社の「聖なる龍蛇」
▽144 杵築大社の火打臼火打杵は、熊野でつくられるようになった。杵築の宮司に授ける儀式は大庭の神魂神社で。
▽159 日本のある地域では、仏教が神道を凌駕した世紀もあった。しかし出雲では、神道が仏教を吸収した。現在では国から援助を受けている神道は、その祭儀から仏教色を払拭しようという動きが見られる。
▽161 加賀の潜戸 まずは御津浦へ。なぜか不細工な子が多い。ところが加賀浦はきれいな子が多い。178
▽168
▽172 ひとつでも石の塔を崩したら、子どもたちの霊は泣いてしまう……
▽182 御津浦と加賀浦のふたつの村ほど、若者の容姿に顕著な違いを見たことはなかった。……加賀浦ほど美しい若い男女が暮らす村は、日本では見かけたことがない。
▽218 日本の庭にて 西洋人が石の美を本当に理解できるようになるには、日本人が石をどう選び、どのように使っているかに、長い月日をかけて精通してゆくしかない(現代の日本人も同様)
▽221 
▽244 もっとも興味深い昆虫は蝉である。暑い季節の間、とぎれることなく、入れ替わり立ち替わりまったく鳴き声の異なる蝉が次々と登場してくるので、煩わしいと思うことがない。ミンミン、カナカナ、ツクツクボウシ
▽260 すでに我が家の庭より広くて立派な庭の多くが、田んぼや竹林に変わっている。鉄道が敷かれることにでもなれば、古風で趣のあったこの出雲の町も大きく拡張され、やがて平凡な一都市になるだろう。……
▽289 近代日本の教育制度では、最大限の親切と優しさをもって行われている。教師は英国とちがって支配者ではない。年上の兄のような立場にある。教師は、自分の生徒に押しつけようとしたりしない。教師は頭から叱りつけるようなことはせず、生徒を非難することもめったになく、懲罰を与えるようなことは決してない。日本の教師で生徒を殴る者はいない。……できの悪い生徒に無理矢理勉強を押しつけたり、目を疲れさせるために400行も500行も文字を書き写させる、といったような残酷な懲罰は、日本では想像できない。……西洋の学校においては、規律が必要だと考えられているが、日本の学生たちは、ある種の自主独立を主張し、これを享有している。西洋では、教師が生徒を放校する。日本では、それと同じくらい生徒が教師を放校にすることが起こる。
▽299 日本人の微笑 イギリス人は生真面目で深刻な国民。
 日本人は、深刻さに欠けている分だけ、より幸せなのであり、たぶん現在でも、文明化された世界では最も幸せな国民であると思う。
 怒っても微笑を浮かべる、出て行け!といっても微笑を浮かべる。英国人はそれに怒る。
▽310 いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされる。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、無礼なことである。こうして幼い頃から、義務として身につけさせられた微笑は、本能とみまがうばかりになってしまう。
▽317 

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