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バーナードリーチ日本絵日記 <バーナード・リーチ>

 講談社学術文庫 20090517
 昭和9年以来19年ぶりに昭和28年2月に来日する。29年の11月末に帰国するまでの1年10カ月の日記などをまとめた。(67歳)だった。
 〓年の記録。柳宗悦 濱田〓 河井寛次郎 
 武者小路実篤らのスケッチ 志賀直哉。
 皆川マス

 ▽39 濱田 益子焼き 民芸運動の売り場・新橋の工芸品店「たくみ」。今もあるのか?
 ▽82 以前私がためした和室の床に足を入れる穴を作り、その上に卓袱台をのせる方法……。 掘り炬燵はリーチが考えた?〓
 ▽86 進歩した機械製作とならんで、伝統的な工芸がこれほど豊かに受け継がれている国は世界のどこにもない。真剣な現代工芸運動も、おそらくスカンジナビアをのぞけば世界のどこより盛んで浸透している。工業デザインの世界と工芸の世界との間の深い亀裂にお私物されたような気持ちを抱いた。
 ▽94 私がいなかった18年の間に日本におこった事柄。善、真、美であった多くのものが消え失せ……外から見た大都市は醜く喧噪で卑俗だ。田舎は都市と比較にならぬほど美しい。ひたむきな愛情と労苦にいろどられた激しい手仕事に出会い、驚嘆する。(〓今では田舎も……風景は都会と同じに)
 ▽114 久松知事と会い、砥部へ。デザインの泉は全く枯渇していた。同化力は消え失せ、美的混乱が支配していた。
 ▽122 宍道湖の岸辺の船木君の工房。布志名の船木窯の隣にある丸三陶器製作所、湯町の福間陶房へ。
 ▽126 日本の民芸運動は最も総合的で、広範囲に広がっている。が、職人には、自分たち本来の限界性を認め、美術家を原作者として受け入れる謙虚さを持つ必要があり、工業家の側では、職人には人として、美術家にはデザイナーとして接する謙虚さが必要。
 ▽八雲の紙づくり名人 安部氏
 ▽164 皆川マス 天皇が来る
 ▽199 こんな山村でさえ、日本の婦人が洋服を着て、黒髪にパーマをかけ、……奥ゆかしい日本らしさの感情が失われて、……灰色に単一化された科学的ならびに工業的な国際主義……全世界は灰色に塗りつぶされるのか。
 ▽223 十和田湖 パチンコ屋のジャズの出迎えをうけ、湖上には白鳥の首をつけた赤と緑の遊覧船。岸辺には紙くずが……ホテルの部屋は青空色に塗られ、グロテスクなこぶのある木工品が飾ってあった。(そんなのがいいと思った時代〓それを反省できるときはもう遅いのか)
 ▽263 「播半」へ
 ▽269 日本の工芸の評価。
 ▽279 神戸の民芸料理店の竹葉亭 四国で「タルト」。上等のスイスロールに似たもので、ジャムの代わりに餡が入っている。300年ほど昔、土地の大名が長崎からこの異国の食物を入れたのだという。
 ▽291 小鹿田 巣の中の無名の工人たちを見つけ出し、彼らとともに暮らし働くことから、産業革命以来私たちが失ってしまった総体性と謙虚さを学びとるべく努めるためだ。日本全土で取っ手のついた水差しを古くから作っているのは小鹿田だけ〓。昔のオランダかポルトガルの影響の残りに違いない。
 ▽293 小鹿田 彼らは土地を家をもち、貧富の差もひどくはない。段々畑や田で食物を育て、労働力をのぞいては陶土も水も木材も費用はかからず、しかも、精神的に旧習に縛られることもない。……彼らの陶業は農民の技であり、ほとんど美を意識せず作られている。好きでも嫌いでも、種まきや刈り取りをするのと同じように、幅広い実際的専門知識をもっている。いつも変わることなく、協同一致が基調をなしている。……
 ▽313 日本人は西洋世界への参入を望み、彼らの文化遺産を捨ててしまうことを望んだ。彼らが真実から誤りを知りえるまでには、さまざまな錯誤を通り抜けることを避けられない。わずかに濱田のような希な感受性鋭く創造力のある精神が、周遊して橋をかけはじめている。新たな見方で東洋回帰の意識が展げられるとき、正しい方法でいかになされうるかの例証として、濱田を、益子の暮らしの場をとらえる。
 ▽318 「無」とは単なる消極性ではなく、消極性とも積極性とも無縁な、不分別の状態。我々が焼き物で最も評価するのはこの性である。開かれた窓を風が吹き抜けるように、生命の霊気が人を通過するときに、ちらと伺い見る希有の状態。そのとき、動きは緊張しすぎることなく、軽やかに自然に流動する。これは「曖昧な総体」への矯正法であるが、個人自主の思想や治世の結果ではない。慎ましき工人の財宝であり……。

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