MENU

実践の民俗学 現代日本の中山間地域問題と「農村伝承」 <山下裕作>

 農文協 20080308

 ワークショップやKJ法といった型どおりの手法で地域のニーズを把握し、成功事例を分析して抽象的なモデルをつくり、それをあらゆる地域にあてはめようという、現在の主流の官学アカデミズム(農学社系)を筆者は批判する。その問題点は、優良事例を要素や要因に細切れにして組み立てたモデルを、トップダウンで押しつけること、つまり「実践主体の不在」にあるという。
 そうした客観主義の流れから生まれたのが、「過疎」「高齢化」「限界集落」といった概念であり、これらの言葉が広まることで、地域に住む人たち自身が「どうせ過疎は止まらんから」とあきらめてしまう。学者や権力者が生み出した「コトバ」が、住民たちのあきらめを助長してしまった。
 官学アカデミズムに対して筆者が対置するのが「実践の民俗学」である。そこでは研究者は客観性という高見に立つことはなく、対象と相互に影響しあう。客観化やモデル化ではなく、それぞれの地域に主体的にとびこんでいくことになる。
 実践の民俗学の流れは、柳田国男、宮本常一、早川孝太郎によって育まれた。だがその後、民俗学は「モノ集め」が中心になり、民俗文化や民俗芸能を物象化し、客観科学としての形は整えたが、実践する力を失ってしまう。
 ではどうしたらいいのか。
 筆者は、過去から未来へ受け継がれる知恵である「伝承」を重視する。
 住民一人一人が主体性をもち、相互に共有される確かなものをもつ村をつくるには、少し昔のことから解きほぐし、生活者の身体の中に織り込まれている知識や技能の大切さに生活者自身に気づいてもらう。その取り組みこそが、伝承主体の現代的な再構成であり、伝承主体を現代に再生させることが「実践の民俗学」の役割だという。
 筆者自身の中国山地での実践の紹介も興味深かった。
 「あきらめ」を克服する力を、住民の生活とムラの歴史に求める筆者の取り組みを知るほどに、「外」に解決の糸口をもとめる従来の研究や村おこしのありかたが薄っぺらに思えてならなかった。


=======抜粋・メモ========
□序章
 ▽8 農村生活者にとっての「永続」とは……生活者自身による自律的活動と、世代から世代への自律的な「伝達・継承」の実践。「伝承」という実践行為。
 ▽柳田国男の農政学 産業組合論と中農養成論
 実際の政策論議の場では無視された。
 16 耕地整理事業は、労働の軽減につながり、経営規模拡大につながる。これが柳田や上野が求めたこと。だが、地主は、単位面積あたりの収量増加を望み、灌漑排水整備を求めた。こうした地主層の利益を代表したのが、小農・農本主義の論者だった。
 ▽早川孝太郎 
 32 翼賛的国家観に基づく扇動のなかにあって、普通の農民の生活や感情を提示する。「土への愛着」……出稼ぎの男達。「秋になって涼しい風が吹きまくる頃になると、きまって荷物を絡げて村に還って来る」(故郷の山のキノコを採るため)
 ▽宮本常一
 37 「民衆史」を提唱 
「地域開発というのは……自分たちの土地の問題を、自分たちで解決しようという人たちが育ってこない限り、ありようがないのだと思うのです」
 現実の問題を解決するのは、生活者による自律的な学習と、それによる生活者自身の問題解決能力の醸成、生活者の主体的かつ積極的な実践。
 ▽41 平成4年「おまつり法」民俗芸能などの地域文化を観光資源として利用しようという法律。これを契機に観光利用が増え、観光資源として利用される民俗事象と、旧来のまま保全されている民俗事象との対立。
 43 戦後民俗学の形式主義的な科学性の追求が、結果として、「民俗文化財やふるさと創生、お祭り法などと補完する関係」を構築し、その反省として、より古い潮流である「実践の民俗学」に無意識的に回帰した。
 45 民俗の「モノ」化。生きた民俗を文化財などの「モノ」に変換する。……実践を考えるに当たって、民俗学自身が「モノ」に変換された民俗を利用するという考えを棄てなければならない。民俗とは「伝承と慣習の複合体」であり、伝承も慣習も、当事者にとっては行為であり、実践である。こうした実践行為をモノに変化することなくして、政策に生かさなければならない。

□1章
 ▽62 「過疎・高齢化論」が問題の要因とあっては、対処のしようがない。宿命である。
 原因 = 産業社会化による都市部への人口流出 産業部門との所得格差 マスコミ普及による外部情報 価値観の多様化 社会資本の不均衡な配置 海外農産物流入 出産率低下による高齢化……
 これらの要因は重すぎる。 諦念に満ちた「過疎・高齢化論」が自らの集落への認識さえ拘束し、主体的・自律的実践を阻害している。特定の地区の困難な状況をひとつひとつ検討されることなく、すべて過疎が原因とされる……

 ▽64 過疎・高齢化への対抗戦略
 営農集団化 集落営農集団 転作を集団的に行うことで作業労力が軽減され、大豆やソバなど、特産品栽培につながる可能性も。
 地域での営農、多角的機能を発揮するための住民活動を前提とした日本型直接支払制度
 都市との交流
 ……大筋において、農学社系という官学アカデミズムが提出する方策は間違っていない。だが……
 ▽68 優良事例は本来、その地区における全体的実践であり、他地域での再現は困難。モデルに適応できない現場は、「伝統的なしがらみ」「村が伝統的にもつ閉鎖性」により、住民合意形成ができないのだとされる。
 そのため、合意形成手法とされるギミックがつくられる。無責任で効果のないワークショップ……。
 「客観化」したモデルに習わない地域は「やる気がない」とされ、普及事業からも対象地域からもはずされる。

 農学社系の問題点は「実践主体の不在」 優良事例を要素や要因に細切れにし、それを組み立てたモデルを、生活者にトップダウンで押しつける。柳田が対峙した農政学とほとんど変わらない。それに対して「実践の民俗学」は、帰納的な方法による政策目的の実現である。「当事者の自覚的研究」による「自分たちの土地の問題を、自分たちで解決しようという」実践主体の確立。あらゆる事象をモノ化するのではなく、民俗学自身が実践し……モデルの単調な適応から、生き生きした実践主体の確立へと転換させねばならない。
 ▽74 伝承主体 現在に生きる生活者が、伝承主体として、過去の生活者から伝承・継承された知識や技能でもって、さまざまな問題を解決し、その経験をまた後世に伝達・継承すること。
 「過疎・高齢化論」という認識上の象徴体系にかわる、自律的な実践意欲と知識と技能をもった伝承主体を現代に再生すること〓。個々の生活者のみで解決できないとき、自律的に仲間を求めることができるだろう。行政からの事業施策を、自らの身の丈にあった形で自律的に利用しうるだろう。
 ▽76 伝承主体
 ▽77 「従来の民俗学では、生業は、狩猟・農耕・漁労……などに分類され……細分化して研究する方向性を持っていた。……生業研究はあくまで「人」の「生」を中心としたものでなくてはならない、という理念を欠いたものだった」
 従来の生業研究における細分化は、学問による生活者の全体的な実践の切り取りであり、モノ化だった。安室が実践する「複業生業論」研究は、生活者個人という伝承主体の全体的実践をあきらかにするもの。その全体的実践を「生」と表現する。
 明らかにするべきは生業そのものではない。「人が生きるとはいかなることか」ということ。
 ▽84 民俗学のフィールド調査によって、「当事者の自覚的学習」を惹起し、現代に伝承主体を再構成する。……高度経済成長やその後の過疎化対策によって形成された社会関係。そこから生じる社会観こそが「封建的」「遅れた」「過疎・高齢化」という農村の象徴体系を農村生活者にまで内部化させた背景。
 こうした社会関係のなかで、農村における伝承は矮小化され、伝統的な行事の維持・継承へと極端に狭められた。

□第2章
 ▽100 永続農家の性格
 1)相対的に中山間地に多い 2)経営耕地が屋敷まわりにある 3)多世代同居の直系拡大家族 4)家単位の財布と個人の財布に分かれ、両者の調和がある 5)田畑山林について家産意識が強い 6)通勤兼業に依存 7)1-2町の経営規模 8)有畜複合は退潮し経営専門化 9)自給農業を維持 10)有機栽培の志向が強い 11)跡継ぎ確保 12)地域社会のリーダーとして貢献してきた歴史をもつが、将来は「人並み」でありたいという意向をもつ 13)地域文化の担い手として重要な役割を果たす
 これらは、大規模化や中核農家層への集積などにはなじまない。経営面で必ずしも先進性をもたないのに、高い存続率をもつ要因は 13)の側面が重要。
 ▽102 文化事象が「永続」に機能している事例 ……祖霊信仰の儀礼、山の神組、岩戸神楽、
 ▽112 伝統的品種 現在では、作目・品種が単純化しているが、かつては、多様な品種が栽培されていた。
 ▽115 「祖霊」が山から川を伝って去来する……その神話のなかに、農業水利施設が位置づけられ、保全管理するべき施設に対する生活者の認知が生じる。「自分は祖霊の転生によってこの世にある」という意識が、農村住民の一体感を醸成し、地域管理活動への動因になる。「神に近い存在」である子供たちに、祭事面で農業の役割を担わせ担い手としての責任感をはぐくむ。
 「地域環境認知」「環境管理への責任感醸成」「環境管理活動の組織化」「担い手の育成」という、現代的な農業・農村問題の解決に必要とされる「機能」をすべて含んでいる。
 ▽119 伝承は、地域住民の各世代が協力してつくりあげた「自律的な環境への適応システム」であり、「持続的な環境利用システム」。農村の生活者が自律的に多様な問題を解決してきた経緯を伝えるもので、「意味ある知恵」の集積行為そのもの。
 従来の、事業・補助・指導など、外部の権威者が持ち込むものによる農業・農村問題の解決は一過性のものにすぎない。
 ▽130 日本の農業は、「畜力利用」という観点から見れば、世界最先端。資本よりも労働力を投下せざるをえない途上国農業では、日本の伝統的農耕技術から学ぶべきことは多い。そうした技術の確立に「伝承」の果たした役割は大きい。

□3章 組織化と「村がら」の伝承
 ▽137 
 ▽148 豊松村・川東 地主有だった山林を切り開き畑にすれば、拓いた者の所有になる。新開講とは、くじ引きによって、平等に集落の各戸に分配した経済講。畑は地域住民の自律的で平等な暮らしを守る共有財産だった。この講の機能が改農団に引き継がれる。
 新規就農者受け入れのさいは、牛馬供養田植え行事への参加を通じて集落の一員として迎え、トマト生産技術指導から生活面の互助まで、改農団が中心となって実施。県外農家11戸を受け入れているが脱落者はほとんどない。
 サコを基礎とした全構成員の話し合いによる合意形成と協調がその背景にあった。「村がら」の特質を有効に活用したことによる。
 ▽149 君田村 共有地は各戸に分配。集落内のつながりは強固ではないが、広範囲の住民相互の有志結合的ネットワークが強い。
 村おこしも「有志」で。都市農村交流のネットワークを形成。景観形成、特産品開発、イベントなど、自由な運営で、営農集団も活性化。これもまた「村がら」。
 ▽151 豊松村は、サコを基礎とする強固で水平的な結束をもつ集落がそのまま活動の実践主体となった。
 君田村は、各イエの裁量が大きく、緩やかな結合という村制が、比較的自由でネットワーク的な住民相互関係を醸成し、それが、実施主体のネットワークになった。
 □152 農村の社会の問題に、「村がら」が有意に機能し、その解決に資する。正確に「村がら」を判定するための指標の抽出と、地理的分布の考察を。

 ▽154 「分流」と「支流」
 分流系では、有機的なシステムの中に否応なく組み入れられている。水利が最も有利なものは扇の頂点を掌握したもの。
 支流系では、各人が独自の水源をもっている。だから平等であり、組織や序列ができない。
 ▽156 「入会林野」の有無で類型化。
 ▽157 「組」(豊松村のサコ)と「講」(君田村の報恩講) 組は地縁的、講は目的組織。
 「畑作文化」(転換の論理=山の神と稲の作神の交替伝承)と「稲作文化」(スジの論理 歳徳神と稲作の密接な関係、父系の重視)
 畑作文化=ヨコの地縁的結合 稲作文化=タテの統合的な結合
 ▽159 浄土真宗と在来信仰
 出雲は同族結合型 石見は講組結合型
 石見地域は、そもそも農地が小さいため、分家を出すことができない。だから、各家の裁量権が強く自由であり、その結果、浄土真宗が強い。
 出雲は、同族関係が強く、伝統を重視するから、在来信仰を保持する。
 ▽166 「分流系の優越」「山林地の在地地主有」「植林」という個人有形態に適応した利用形態、「稲作文化」……これらの指標仮説が示すのは「タテの統合的結合」という「村がら」……
 ▽173 これまで経営経済的にのみ説明されていた組織化論に、歴史や景観や文化といった要素ををとりいれ「村がら」という多様な正確に目を向けた意味はある。が、「指標」という考え方は、調査地域の生活者とともに「コミュニケーショナルに正しい認識」を構築する作業ではない。農学社系の調査方法の延長に位置する。
 ▽176 〓「村」に対する歴史的インパクトは「共有地処分」「地方改良運動」「農業恐慌」「戦争」「農地改革」「農村の民主化(生活改良普及運動)」「燃料革命」「肥料の金肥化」「外部雇用機会の増大(高度成長)」「生産調整」「農業の機械化」「過疎・高齢化」という過程に整理できる。
 ……地方改良運動による神社合祀は、「社」の結合の精神的由来である社の統合。「山の神」「大元神」「荒神」。
▽181 「水田景観」「山林所有形態」「文化」という3種の指標仮説。優良事例研究から構築された理想的な組織化モデルとは異なる、現地の目で地域営農や農村生活の組織化に当たる指針を定時できると考えたが、「指標」という考え方は、実践の民俗学における主要な方法を簡略化することだ。
 ▽村を構成する要素のなかで、歴史の影響を最も受けたのは「生業」である。「村がら」は単なる「村の個性」ではなく、生きて実践する農村生活者という主体による組織的対応の姿そのもの。
 ▽183 「伝承主体」の現代的な再構成が「実践の民俗学」の目的。
 ▽184 島根県は、先駆的集落営農対策で評価される。
□4章 農村伝承と新技術
 ▽192 耕作放棄地面積の変容
 ▽194 農業者の経営能力の低減は、農政によって、農業者の自律的な判断能力が、「普及・指導」によって否定され続けた結果であるともいえる。
 ▽大豆196 労働投下時間は稲よりも少ない。だが、稲作と作業の時期が競合するうえに、夏の辛い作業が多い。でもそういう評価はデータにはでない。中山間地では、大豆は必ずしも転作に適合していない。
 ▽小麦 「苦汗労働」という記憶が重いが必ずしも現代にはあてはまらない。
 ▽207 機械作業に代替。稲作の裏作で作っていたときは、作業が重なり苦汗労働となったが、今は稲作は以前より1カ月早期化して、裏作としての麦作は不可能。今は裏作として小麦を作る必要はない。最近の小麦品種は昭和30年代に比べ、7-10日早生化している。
 ……苦汗労働に関するあいまいな記憶は、農業者自身が、「転作」の問題に対抗する小麦作の可能性を頭から否定するように機能した。これは長きにわたる麦作の途絶が、現在の生産環境の評価と麦作の経験をつなぐ回路を分断してしまった結果だ。伝承は、現在との交渉を失えば「過去の記憶」となる。そこからはは生活に有意な「意味ある知恵」は提供されない。
 ▽「麦作は?」という問いだけでは、「苦労した」というばかりだが、作業のひとつひとつを丁寧に聞き取ることで、儲からない麦という作目ではなく、さまざまな感情を伴う麦が立ち現れてくる。
 ▽〓213 島根県赤来町(現・飯南町)において、地粉パンのための小麦栽培がおこなわれている。
 ▽216 基本法が農村にもたらした「6つの化」
 機械化・化学化・装置化・大規模化・専門化・単作化
 麦作は、中国中山間地においては、稲作の早期化によって排除され、生業暦のなかから抜け落ちた。基本法農政下の単作化に適応する事象。
 〓〓農業者自身がもつ生業暦は失われ、農協や普及所が出す稲作の栽培暦や防除暦に、取って代わられた。
 ▽217 稲作の機械化・化学化・装置化は、働き手を外部に流出させた。稲作と転作物の並立化は、複数の栽培暦の並立であり、投下する労働時間を増大させた。必要労力を激増させる転作対応には農家は二の足を踏まざるを得ない。
 かつての生業暦のように、複数並立する栽培暦を総合化することが必要。
 ▽226 各県認定の奨励品種は、小麦ならば1-5品種だけ。奨励品種でなければ、農家への種子供給がなく、「規格外」の烙印を押されて買いたたかれる。
 ▽228 規格外の小麦の小規模栽培は、忌むべき存在とされる。それをどう製粉・加工・販売するか。かつての生産から消費までを含む「生業の円環」を再生するしかなかった。近所の粉屋と連携し、製麺業者の協力を得て、直売所を勝つようした。……真っ白な豪州産とちがう雑味を「懐かしい」「風味がある」という。……
 ▽231 君田村では、ふるさと小包や、学校給食……に提供。奥津町〓
 ▽235 苦汗労働の記憶+科学的検証によって、小麦栽培は不可能に近いということが常識化された。一方、民俗調査によって得られた「記憶」は、負の情報もあったが、家族へのいたわりや、収穫の喜び、幸福感も存在した。
 ▽236
 ▽237
 ▽238 「記憶」は、「現代」との深く正しい交流がなければ「意味ある知恵」とはならない。民俗学には、「現代」との交流が足りなかったのではないか。
□第5章 農村伝承と環境管理
 ▽250 〓邑智町奥山集落 最も若い住民が50歳代の2人。前区長に生業の話を聞いているうちに、だんだん積極的に昔の暮らしぶりについて語るようになり、神楽や田植え、結婚式、盆踊り……と、カレンダーの裏に絵を記録するようになる。いったん絵をあずかり、集落の戸数分カラーコピーし、製本して返した。と、集落図を仕上げていた。
 ▽253 各戸に配布され、それをもとに話し合い、直売所のことが話にのぼる。……集落の現況のみを認識し、語られる場合、地域の将来予測は悲観的になる。過疎高齢化論という外部の権威的言説によって補強され、さだめとして認識されてしまう。記録し絵を描くことで、そうしたあきらめに対抗する暮らしの記憶が醸成される。「建設中の農道」という新たな要素を認識し、直売所という選択肢を自ら見いだす。
 ▽255 2007年に再訪。ここ数年、40-50歳の他出者が10人ほどもどってきた。「若い衆」によて、伝統行事の社ギリ子も復活。絶望的なほどの過疎・高齢化の山村で、「伝承主体」が再生しつつある。
 ▽大田市大代町 サンバイ 小河川の多くは、今は葦や竹の密生するなかを縫うように流れているが、牛飼いが盛んだったころは、川岸の草まできれいに刈り込まれていた。現在でも、和牛の子とり経営が残っている地域では、管理された川岸をみることができる。人手がはいらず葦が繁茂すると、砂が堆積し……大水で土手が崩壊し……
 ▽273 柿田集落 記憶にある八反田川は、草や竹を刈り、補修してきた。だから、安心して遊ぶことができた。川遊びの記憶をたどるなかで、「もう一度刈りましょう」と。
 ▽276 葦刈り作業 彼ら高齢者の身体的技能は若い生活者のそれをはるかに凌駕している。農村環境管理の担い手として都市住民ボランティアとかNPOとかを設定する農林系官学アカデミズムの空論ぶりを現場で確信する経験だった〓。
 洪水防止機能とか、保健休養機能とか、文化伝承機能とか、外部から価値づけされた機能ではなく、生活者が暮らしの実践のなかで内部化した多面的機能が重要。だから農村において必要なのは、生活者の心中にある、多面的機能の恩恵に関しての、あらゆる主観的な思いを掘り起こすことにある。
 「過疎・高齢化」といった一般的概念で問題意識を植え付けたり、理解を得ようとしたり(多面的機能の定量的評価)することに意味があるのか?
 ▽283 奥山地区や大代地区 民俗調査によって少し昔の暮らしの記憶を喚起する。その暮らしとは、生活者個々人の自律的実践の連続である。こうした実践は、現実の農村に対する生活者の働きかけの具体的手段となり、実践意欲を醸成した。それが、直売所の計画となり、川の管理活動となった。
 ▽284 その時々の経験が、少し昔を生きた高齢者たちが語る言葉に意味をもたせる。「元気」 それこそが地域を伝承する主体の確立である。
 ▽285 05年度は、中山間地域等直接支払制度の新たな要件となった、5年を期間とするマスタープランづくりが、現場に強要された。 進捗状況が評価の対象となる。これは農村に生きる主体の自律性を損なう行為ではないか。権威的な言説で現場の生活者を惑わすことは避けていただきたい。
 ▽286 「過疎・高齢化」というフィルターを介してしかみることができない官学アカデミズムは、農村の担い手を、組織的活動や都市住民などの外部者に求める。一部の優良事例にしがみつき、モデル化することで一般化していると考える。優良事例をささえた個人や集団の努力や心性に配慮せず、分析する理論的枠組みをもたないため、単純化して紹介するだけ。
 こうした優良事例情報が行政のマニュアルとして定着してしまい、地域の住民は外部に目を向けることばかり強いられる。内部の資源として出されるものは、伝統・自然・人柄といったおざなりなもので、都市住民の価値観で「貴重」とされる。結局外部の価値観でしかない。
 良い村とは、住民一人一人が主体性をもち、相互に共有される確かなものをもつ村であり、そうなるためには、地域のなかで、少し昔のことから解きほぐしていくべき。……地域にある知識や技能を生かす能力は、生活者の身体の中にこそ存している。その能力を後世の住民に伝えることこそが、「伝承主体」の現代的な再構成である。伝承主体を現代に再生させる手段こそ「実践の民俗学」

 ▽289 〓柿木村糀谷には、海辺の町から「塩サバ売りが来たのを買った」。こうした交易でもたらされた魚が、高級な御馳走として、田植え時期に出されたのでは。

 ▽294 
 ▽298 現代の農業は、作目ごとの栽培暦が存在し、稲作と転作物の栽培は並立関係にあり、より大きな労働力投下が必要とされる。生業は本来、1農家において1つの生業暦にまとめられ、さまざまな仕事や作目が、その暦の中に複合的に内部化していた。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次