■集英社新書 20240419
コロナをめぐってさまざまな悲劇があったけど、人影が消えた大阪の町は広々していて、空が澄んでいて、空気がおいしかった。あのときの不思議な感覚をもう忘れかけている。
コロナの経験から、なにを学べるのか。どんな変化がありうるのか。
そう思って手にとったが、一番ショックだったのは、もうあの時の記憶と感覚を忘れかけているという現実だった。
人間は、ロゴス(論理)とピュシス(自然)のバランスのあいだを右往左往せざるを得ない、そんな困難な道を選んでしまった生物である、というのがこの本の大前提だ。
人間だけは、ピュシスのもとめる「産めよ、増やせよ」に貢献しなくても生命として尊重される。種の存続よりも、個の生命を尊重することに価値を見出した。これが基本的人権の起源となった。ロゴスによって、生命の不確かさや残酷さに対抗し、遺伝子の命令から脱して個体の自由を獲得したことが、人間を人間たらしめた。
コロナは、ロゴスの裂け目から流れ出してくるピュシスからのリベンジだという。それを制圧するためにワクチンをつくっても、それで解決するというのは幻想だ。次のパンデミックがおきるだけ。
1980年代のイギリスの狂牛病から10年ほどたった1990年代になって、従来のヤコブ病とことなる「新型」ヤコブ病が出現し、ヒトも罹患するようになった。肉骨粉などをつかうという人間の愚かな浅知恵によって生み出された病気で、ピュシスから復讐だった。コロナもそうした人間の活動が原因と考えられる。
コロナの恐怖を理由に、テクノロジーで危機を乗り越えようとすると、一人ひとりを監視し生物学的情報を分析するというオーウェル的な社会がもたらされかねない。それに便乗する形で自粛警察のような監視装置がくみこまれていく。
危機の時代、「この集団は汚れている」という噂が広まることが繰り返されてきた。14世紀にペストが流行したとき、ユダヤ人が病気を蔓延させたとして、ユダヤ人の処刑を希望する人があらわれた。関東大震災で朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるというデマで虐殺がおきた。
コロナ下でも、他県ナンバーの車の所有者が「自分は○○県に住んでいます」というステッカーをはったり、医療従事者を「自分たちにうつすな」と差別した。ロックダウンの国で外出している人を警官が追いやる場面もあった、自分たちは安全な場所で清潔でいたいという、潔癖主義の思いこみが魔女狩りのような差別を生んだ。
日本では、2000年ごろから強まった自己責任論も顕著だった。「感染する人は自業自得かと思うか」という質問にたいして、日本では11.5%が「そう思う」と答えた。アメリカは1%、中国は4.8%だった。
一方、ステイホームで父親がキッチンに立つようになった……といった変化もあった。パンデミックによって、だれもが強制的にシステムを超えざるをえなくなることで「利他」が広まるチャンスになった。
ふだんは、予定から逆算して今やるべきことを決める「引き算の時間」で生きているが、動植物が本来もっている生理的な時間「足し算の時間」に気づき、心が植物にシンクロするという現象もおきた。引き算の時間の前提である均一な時間は、産業革命以降に生み出された。それ以前のそれぞれの生命がもつ時間に気づくきっかけになった。
福岡は、死は究極の利他行為であり、今こそ病気や死を肯定的にとらえる視点が必要、とも説く。
「年長者が最後にできる仕事は「死について教えること」。人間の体が人間を超えていくというときに、周りの人が受け取るものはたぶんすごく豊かなもので、これから残された者が生きていくときの大切な糧になるのだと思います」
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▽4 ピュシス(自然)とロゴス(論理)
ロゴスは、ロゴスで制御できないこと、予測できないことを極端に恐れる。……私たちが経験しているのは、ロゴスの裂け目から、もれ、あふれ、流れ出しているピュシスからのリベンジ。
▽24 宮沢賢治の「春と修羅」 「わたくし」という生命体が物質や物体ではなく「現象」である、それはつまり自然のものである、ということです(〓そうかな? 物質ではなく関係性……というほうがしっくりくる)
▽42 ウイルスは、個体から個体へ、水平に移動して、遺伝情報を伝達する。単なる「悪者」ではなく、生命の大きな進化の流れに手を貸す1個のピースであり、生命の進化のパートナー。
▽47 ピュシスのもとめる「産めよ、増やせよ」に貢献しない自由が認められ、種の保存に関わらない個体も生命として尊重される。人間だけが獲得できたそうした価値観が、基本的人権の基礎となる考え方へとつながっていきます。
基本的人権は生まれながらにして人間にそなわった権利であると説明されますが、これはロゴスの力によってあえて約束したものなのですから、常に守りぬく努力が必要とされます。
▽48 哲学が、言語化された概念に向かって分析を進めるのに対し、美学は「そんなにすべてを言語化することはできないよね」というところから出発凍ます。ロゴスの力を借りながらも、ロゴスを絶対視しないのです。……「曰く言いがたい感覚」について、あえて言葉を使いながら深めていく。
▽53 コロナ禍で自宅にこもり……なぜか植物に目がいくように……
「引き算の時間」予定から逆算して今やるべきことを決める。
「足し算の時間」植物のもっている時間。太陽の動きに合わせて、少しずつ足していくという純粋に生理的な時間。……コロナ禍で植物に目がいくようになったのは、引き算ができなくなり、空白の時間にほっぽり出されたことで、私たちの感覚が、植物にフッとシンクロしたのかもしれません。
▽56 引き算の時間の前提になっている均一な時間は、産業革命以降。
▽61
▽68 自己責任論、2000年ごろから強まった。2020年3,4月に三浦麻子教授らがおこなった調査によれば、「感染する人は自業自得かと思うか」という質問にたいして、日本では11.5%が「そう思う」、アメリカは1%、中国は4.8%。
▽ 「自粛警察」という言葉も生まれた。
……私が一番恐れているのは、接触の機会が減ることによって、「○○すべきだ」という一般でものを語るようになることです。自粛警察はまさにその象徴でした。
▽80 政府などは、「1年たてば、五輪開催は大丈夫だ」と根拠のない希望がかたられていた。……
▽86 白衣を着たまま車に乗った医療従事者が非難されたりするなど、皆が石を投げている場所へ自分も石を投げようという人びとの姿は、まるで魔女狩りのようでした。
▽96 負の歴史は、それに目をそむけるのではなく、それを直視することで、現在を生きる指針に変えられる。
▽115 危機の時代には、ロゴスによって「この集団は汚れている」という観念が固定され広がるというのは、世界史のなかで繰り返されるパターン。
20世紀には、エスニック・クレンジングという言葉に見られるように、ムダ・邪魔を一斉に消してしまうという意図にもとづいた動きが
▽118 自粛警察のふるまい、……自分たちは安全な場所にいて清潔でいたいという、非常に強い潔癖主義の思いこみが根ざしているのでは。
▽125 北海道の「ベテルの家」 当事者研究。幻聴を「幻聴さん」と呼ぶ。「幻聴さん」がどうしたがっているのか、本当によく聞いています。自分の症状としてではなく「幻聴さん」というひとつの存在ととらえそれとどうつきあうかと問題の提議をかえることによって、制御しきれない相手との対話が可能になる
(痛みを観察する〓)
▽130 ピュシスとロゴスのどちらにも完全には帰依しないように、迷いつつもバランスをとりながら、相克を進んでいくしかない。
▽134 自然との共生は、「血と土」と同様、ナチス体制の重要なキーワードです。……自然を愛し、生命と共生しながら農業を営む能力はドイツ人だけが持っている、と。
▽138 人間は「産めよ、増やせよ」という遺伝子の強力な束縛に気がつき、そこから自由になることを選び取りました。種の存続よりも、個の生命を尊重することに価値を見出した。これが基本的人権の起源です。
……ロゴスによって、生命が本来的に盛っている不確かさや気まぐれさ残酷さや冷酷さに対抗する力をもつことができた。言葉の作用によって、遺伝子の命令から脱し、個体の自由を獲得した。これが人間を人間たらしめる基盤だと思います。
……ピュシスとしての人間はいくらでも変わり続けていい……身も心も不安定なものでありつづけます。しかし、人間を人間たらしめる約束の言葉は、そう簡単に変えてはいけない。もし、その約束を反故にしてしまったら、せっかくのロゴスの力によって獲得した自由を失うことになります。
……種の保存が唯一無二の目的であるという遺伝子の掟に背き、そこから個体の生命の尊厳や自由、あるいは基本的人権が出発しているということを忘れてはいけません。
▽147 ロゴス的に行きすぎた制圧のやり方は必ず破綻し、逆にピュシスがあぶりだされてくる。(ワクチンができて、すべて解決するというのは幻想)
……コロナへの恐怖を理由に、テクノロジーで危機を乗り越えていこうという動きが強まった結果、監視システムを発展させて一人ひとりの生物学的情報を分析し、つみげていくというオーウェル的社会がもたらされる可能性を見過ごしてはいけない……それに便乗する形で、自粛警察的に、人びとのあいだに監視装置が充実していくということも危惧しています。
▽151 介助者が先回りして「段差がありますから」などというのは……「自分はいつもサポートをしてもらう側という役割に固定されてしまい、障害者を演じさせられてしまう感じがとてもつらかった」
▽154 道徳の教科書に見られるような、安易な「共感」の同期こそが、障害者の苦しみを増してしまう……
▽158 父親がステイホームでキッチンに立つようになった……とか、だれもが強制的にシステムを超えざるをえないという点で、今回のパンデミックは利他にとって大きなチャンスでもあると言えます。……システムの外に出て、どうやって利他のおこる場をつくるかということが重要では。
▽170 イギリスの狂牛病がおきた1980年代から10年ほどたった1990年代になって、従来のヤコブ病とことなる「新型」ヤコブ病が出現。
▽173 成人男性は2700キロカロリーを摂取する必要があるとされるが、……食べ物の輸送コストや冷暖房などのコストをすべて含めると、先進国では1人あたり1日40万キロカロリーが必要。全人類がアメリカ並みの生活を送ろうとすると「地球が5個」必要。
▽184 「場」は「言葉にしなくてもわかるよね」といったことを暗黙のうちに共有できるからこそ、私たちは場に価値を見出しているわけです。……実は、場と多様性はぶつかりあうもので、場は多様性を受け入れることができません。……「共感」の制度化、つまり異分子の排除の制度化とつながる、と。
▽196 人間の内部はピュシスそのものですから、これをロゴス的に制御することは生命を大きく損なうことになります。遺伝子治療、再生医療、臓器移植、生殖医療など、生命にロゴスの力で切り込んでいって、これを「改善」しようとする試みに危惧を覚えます。
▽200 人間は、ロゴスとピュシスのバランスのあいだをおろおろ右往左往せざるを得ない、そんな困難な道を選んでしまった生物。
▽222 死は究極の利他行為。今こそ病気や死を肯定的にとらえるという視点が必要ではないかと思います。
年長者が最後にできる仕事は「死について教えること」なのだと思います。人間の体が人間を超えていくというときに、周りの人が受け取るものはたぶんすごく豊かなもので、これから残された者が生きていくときの大切な糧になるのだと思います。
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