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記者たち 多数になびく社会のなかで20240306

 MBS斉加尚代さんが制作した番組。
 沖縄の新聞記者の明さんは、東京に異動して防衛省担当になり、全国紙の記者は与党にばかり近づいているとかんじる。
 毎日新聞の小山美砂記者は広島の被爆者を追ってきた。「小山さんの記事はあついけど、中立公平じゃない」と言われた。中立公平を隠れ蓑にして、被害者の声を伝えない記者はずるい、と思った。大阪社会部に異動したが2022年に退職した。
 神奈川新聞の石橋学記者は、ヘイトスピーチの渡辺氏を8年前から取材してきた。�「朝鮮人はでていけ。殺せ」という差別主義者の個人名を報じた。「襲撃デモになるまで、私は書けなかった。なんの歯止めにもなれてなかった。地元紙として役割を果たせていなかった……」。そして、「書いて守る」と約束した。「当事者になることをおそれない。安全圏にいるのではなく、当事者になることをおそれずに書く」と言い、ヘイトの人々から裁判をおこされた。地裁は敗訴したが、高裁は逆転勝訴し最高裁でも勝った。

 私は、会社の主流が軽視する問題、たとえば、市町村合併の弊害を1960年前後の昭和の合併と比較して記事にしたり、「この時代に貧乏人になんていないよ」といわれたバブル直後にホームレス問題をとりあげたりした。
「自分の趣味ばかり書くな」「こじきなんて時代おくれや」と上司から批判されてきた。それらの批判は無視して書いてきた自負はある。
 でも、この番組を見ると、俺は自分の記事さえのればいい、という程度だったのかなぁと思ってしまう。
 私のいた朝日新聞大阪本社で、番組の記者のように「たたかって」いた記者としては阿久沢悦子がいた。彼女は当時の部長からほされた。最近では東京の青木未希記者が内勤に飛ばされた。
 ちゃんとたたかったか?
 そう自分にひきつけて見ると、けっこうつらい番組だった。

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