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黒潮ストリート<平田毅>

■ぷねうま舎202208

 カヤックで岬にちかづくと波がたかくなり、目の高さに近いうねりがわれてデッキをたたく。ひたすらこげばよいが、手を休めたら転覆する。
 岬の先端では波の鼓動のリズムがかわる。南方の台風からのうねりをかんじる。
 無防備でむきだしの「いのち」で自然とむきあうのは縄文人も現代人もかわらない。空間を旅すると同時に時間を旅するのがシーカヤッキングだという。

 筆者が拠点をおく和歌山県の湯浅湾は、夏になると、熱帯魚の群れが迷いこむ北限、黒潮の流れの北限だ。
 岬をひとつ南にこえるほど黒潮の色が濃くなり、アカウミガメに遭遇する確率がたかまる。
 本州最南端の潮岬は黒潮のながれがぶちあたり、あらゆる方向からの潮とうねりと風が一点に集中する。
 そんな難所中の難所の海をこぐと、水面に浮上するアカウミガメが、尻の下の海にすまうヌシの使いではないか、とおもえる。そのヌシとは黒潮そのものではないか、とかんじるという。

 鎌倉時代の明恵上人は、湯浅湾の苅藻島という無人島にあててラブレターをかいた。生物にも島や岩にもいのちを感知する縄文的な感覚をもっていた。
 南方熊楠もまた、粘菌という小さな生物のなかに、生と死をくりかえす輪廻をみだした。
 万物にいのちをかんじる、という意味で、筆者は明恵や熊楠と感覚を共有する。

 隠れキリシタンの五島列島、「隠れ念仏」の甑島列島をカヤックで旅すると倭寇の社会がみえてくる。中国系和冦の五峯王直が、ポルトガル人をつれて種子島に上陸し鉄砲をつたえ、フランシスコ・ザビエルの来日も王直のてびきだったと知る。

 巨大な壁の前で右往左往している現代の日本にたいして筆者は提言する。
「ひどい状況を抜け出すには、個人的には類型から自由になり創造の力をつけるるしかない。それも、ありあわせの素材でブリコラージュで手作りすること」
 レイチェル・カーソンは「センス・オブ・ワンダー」でこうかいた。
 --地球の美しさと神秘を感じとれる人は……人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとがあったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなるよろこびへ通じる小道を見つけだすことができると信じます。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう……自然がくりかえすリフレイン……には、限りなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです--
 それを信じて、和歌山の地で、多くの人にセンス・オブ・ワンダーをかんじてもらうためにシーカヤックのツアーや教室をひらいているという。

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▽28 湯浅湾あたりは、黒潮の流れの北限にあたる海。……湾の一番北の端にある有田川河口をへだてて生態系や植生が一変する。夏になると、黒潮にのってはるか南方から……熱帯魚の群がいっせいに迷い込んでくる。その大きな群の北限がこのあたりなのだ。……ガジュマルに似た南方系植物、アコウの北限でもある。
▽34 海面付近で風が吹かず波立っていなくても、もし上空の雲の流れが速ければ、1,2時間後に海面付近におりてくることが多い。
▽51 折口信夫は、黒潮沿線上に生育するタブの木に対して、民族始祖の源である南方への憧憬をいざなう象徴的存在として生涯こだわりつづけた。
……ぼくにとっては、アコウの木になる。台湾、琉球、奄美……紀伊半島、という、まさに黒潮の流路沿いに生育するクワ科の高木。「黒潮ストリートの道標」と呼んでいる。
▽53 紀州の海でも、岬ひとつ南に行けば行くほどアカウミガメに遭遇する確率が高まる。
……日ノ御碕が生物学的分水嶺だ。そこをすぎると南の気配が色濃くただよいはじめる。……外洋からのうねりも、地球という巨大な生き物の鼓動のように感じられはじめる
▽55 大きな岬は、あらゆる方向から寄せくる潮とうねりと風が一点に集中する難所なのだが、黒潮の流れを遮るように出っ張った潮岬は、特別中の特別。
……アカウミガメ……尻の下の海岸には本当にヌシのような奴がいて、ウミガメはその使いとして現れたのではないか。
……ヌシのような生き物の正体とは、黒潮そのものにちがいない……
▽58 明恵上人 苅藻島の小石を拾い
 遺跡を洗へる水も 入海の石と思えば むつまじきかな
 ……夢日記をつけつづけ、「無意識」という心の深みを見つめることによって、人間のもつ可能性を探究しようとした。
 無人島にあててラブレター。
 生物から無生物にいたるまで、森羅万象へと愛情を傾ける心のあらわれだった。……縄文的自然観のひとつの生きた体現でもあるように思えた。
▽72 奄美大島 古仁屋の「堺ゲストハウス」 加計呂麻島
▽77 ヤポネシアというコトバを生みだした島尾敏雄。ゆかりの加計呂麻島。
 島尾 自分の浮気日記を妻ミホに見えるようにおいておき、それを読んだミホが怒り狂い、泥沼化していく過程を描いた「死の棘」
▽88 徳之島をすぎ、沖永良部島に上陸
▽133 大学を出て、釣り雑誌などを編集する出版社で働き、音楽活動に興じたり、アウトドアを楽しむ日常を送っていた。……自然科学、人類学、神話学、民俗学、紀行文学などをむさぼるように乱読した。
 奈良の神社仏閣も巡るように……清らかな空気感にはとてもひかれた。だが、そこに付随する権力臭がぼくにはどうも引っかかった。
……日本は神仏習合を文化的基層とした国だけれど、もともとは自然のなかに脈打つピュアな野生性に抱かれることによって神も仏も共存できたのである。
▽146和冦の頭領「五峯王直」 海禁政策をしいた明から逃れてきた彼がまっさきに移り住んだのが福江島だった。その後、太宰府に近い平戸島へと居を移した。
▽148 五島列島の隠れキリシタンと対になる「隠れ念仏」の甑島列島。95歳の芸術家。特攻隊員の生き残り。シベリア抑留も。彼の手はひとつの教えを雄弁に物語っていた。「生きろ」そのために「作れ」。「ないならハンドメイドでもなんでもいいから、作れ」というシンプルな教えだ。
「21世紀にふさわしい文化がないと嘆くなら、己でつくれ」
▽157 五島の野崎島
 六島は、「時間厳守の島」「潮止まりの時間帯でなければ危なくて島に近づけない。」 現在人口3人。JICA職員として世界中を歴任したのちUターンで帰ってきた小金丸梅夫さんや、地域おこし協力隊のMさんらが、エコビレッジ的な島として再生させようと汗をながしている。
 五島列島最北部の小値賀島は平戸、宇久島は佐世保市にぞくしている。「五島列島の人間」という意識がないようで……住民にとって五島とは、中通島より以南のことを指すようだった。
▽161 久賀島 「牢屋の窄」とよばれる、隠れキリシタンに拷問がくわえられた場所。教会。1868年、全島のキリシタン200人がとらえられ、12畳ほどの空間に押し込まれた。8カ月改宗を迫られ、きびしい拷問。43人が殉教した。
▽165 五島の隠れキリシタンの大半のルーツは西彼杵半島の「外海」地区。
1797年、人口増加と食糧難で外海地区から108人のキリシタンが移住。多いときで約3000人が外海からやってきた。
……ハンドメイドでつくった聖書。「天地始之事」
▽171中国系和冦の代表が五峯王直。戦国時代に突入した日本に目を付けた王直は、ポルトガル人をつれて鉄砲をたずさえ、種子島に入った。それが鉄砲伝来だった。1550年には王直の手引きでフランシスコザビエルが来航。
▽186 甑島の情報はきわめて少ない。堀田善衛の「鬼無鬼島」という怪奇小説のモデルになったのが下甑島の隠れキリシタンだといわれる。柳田国男は1944年に「甑島昔話集」を編纂しているが絶版。
「Dr.コトー診療所」のモデル。瀬戸上健二郎という医者がモデルになっている。鹿児島大出身の外科医だったが、あるとき僻地医療の重要性を実感して移住し、30年甑島に住みつづけた。「Dr.瀬戸上の離島診療所日記」(2006)として出版されている。
 トシドンという行事。12月31日の夕方、村の青年たちがナマハゲとも鬼とも天狗ともつかぬお面をかぶり、シュロの腰蓑を着け、下駄を履く。4,5人ごとに子どものいる家々へとむかう。「おるか、おるか、ここへきて障子ば開けろ」と用事を呼びよせる。明けた瞬間、用事に覆いかかる。幼児を正座させ説教する。「親の言うことをなんも聞いとらんし、勉強も手伝いもしとらんようだな」「ごめんなさい、いい子にします」と約束するとトシドンは大きな餅を褒美としてあげ、次の家へ向かう。
 お面をかぶったそのような行事は、黒潮流域の島々全域でおこなわれている。
 八重山諸島の「アカマタ・クロマタ」、トカラ列島・悪石島の「ポゼ」とよばれる儀式が有名だ。……最北端の甑島には、本州の修験道や東北のナマハゲの要素もはいっている。平戸島にも五島列島にもない、黒潮お面文化。
▽202 95歳の芸術家、平嶺時彦氏「ハンドメイドしろ」「ブリコラージュしろ」。19歳でガワシローとよばれるカッパに遭遇。20歳で満州に派兵。特攻隊に配属。地雷を抱え自爆する。あと一人で自分の番だというところで撤収命令がでて助かった。戦後シベリアに3年間抑留。島で建設業をいとなみ、東京の芸術大を卒業した孫に触発され、80歳で芸術活動をはじめる。「ハンドメイド」こそが「黒潮ストリートの知恵」なのではないか。
……ひどい状況を抜け出すには、個人的には類型から自由になる必要がある。「創造」しかない。それも、あり合わせの素材でつくってみること
▽256 レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」
 地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっして内でしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとがあったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなるよろこびへ通じる小道を見つけだすことができると信じます。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう……自然がくりかえすリフレイン……のなかには、限りなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。

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