■岩波新書20220403
宮本常一や柳田国男ら、民俗学者ちの本は読んできたが「民俗学」の定義は考えたことがなかった。
柳田は、過去を知ることがよりよい社会をつくる力になると考えたが、今の民俗学は古くさい習俗を記録しているイメージしかない。
だったら民俗学の現代的な意味ってなんだろう?
同世代の民俗学者がどう考えているのか知りたくて読んでみた。勉強にはなったが、この本によって民俗学に引き寄せられる、とまではいかなかった。
民俗学の特徴とはなにか。
歴史学は文献を中心とする。でも文字の記録は「日々の暮らし」よりも「特別なできごと」に傾く。「天災に苦しみ、一揆に荒れ狂う」農民像ができてしまう。
民俗学は、文字資料の限界を乗り越えるため、暮らしを営む私たち自身を「歴史が刻み込まれた民俗資料」とみなし、その採集と比較から、歴史・社会・文化を理解しようとする。「私たちが資料である」というコペルニクス的転回と、それに即した、観察する主体の起ち上げ方が民俗学の最大の方法論的貢献だという。
その手法の中心にあるのが、民俗資料(=日々の暮らし)を、存在形態・感覚器官・採集主体のちがいによって3つに大別してデータ収集のためのガイドラインとした「三部分類」だ。
第一部の「有形文化」は、目に見える物質的な側面だ。これは旅人でも観察できる。第二部の「言語芸術」は、耳で聞き取らるものだから同じ言語を理解できる人が採集しなければならない。第三部の「心意現象」の例としては「禁忌」があげられる。「○○と言ってはいけない」という禁忌は、目で観察できないだけでなく、聴取することもできない。それを採集できるのは「○○と言ってはいけない」と心のなかで感じている当事者(同郷人)だけだ。
民俗学の対象としてあげられたさまざまな実例は興味深い。
たとえば「資本主義」は利便をもたらした反面、「生きづらさ」を引き起こしている。「資本」は「自然」に制約されないため、ヒトのコントロールを越えて暴走する。「資本」の魅力にみせられたヒトは、「生き物」としての自己を犠牲にしてしまう。「生き物の時間」と「資本の時間」の分裂に迷いつづける。
着衣の起源は入れ墨からはじまったという説もあるが、ヒトが「発情期」を失ったことで、文化的に発情がコントロールされるようになる。それが「衣服」だという。
今は当たり前の「寄せてあげるブラ」は1990年代からはじまった。「谷間」という表現は1980年代にはなかった。90年代に入って「巨乳」「豊乳」などの言葉が急増した。「谷間」は90年代の日本社会が「発見」した身体部位であるという。たしかに、私が学生だった1980年代は「胸」よりも「顔」がきれいな女性にひかれた。
民家には、土間、板間、畳間があるが、それぞれ原始時代、平安時代、武家時代の伝承を宿していると今和次郎は言う。
竪穴式住居以来の土間には、かまどを守る火の神など、プリミティブな神格が祭られ、平安時代に増えた板間には文明的な名前の神格がいる。畳間は、武家的な社交の空間であり、先祖をまつる仏壇が安置される。
住まいの近代化とは、生活=消費空間化や情愛空間化を意味する。労働も教育も失った消費生活の場としての家庭が、近代家庭の愛の空間になったという。
伝統的民家は、さまざまな場所にスピリチュアルとの接点があったが、DKスタイルの家には仏壇や神棚の空間がない。生まれて死んでいく家族の変化を想定せず、短いタイムスパンで構想されている。
伝統的なイエは成員の労働と引き換えに暮らしを保障したのに対して、近代家族は「日本的雇用」と結びつくことによって定年までの人生設計を可能にした。公共領域(生産)と家庭内領域(消費)が分離して、休日は家でダラダラするお父さんが誕生した。近代家族は、ヒトの自然を近代資本主義社会と接合させる役割を果たした。
一方、交通・通信の発達による時空間の圧縮=グローバル化は、モノもサービスも雇用も価格破壊を引き起こした。労働市場は非正規化して、自分のスキルで安定して食べていけるという見通しを得られなくなる。結婚や子育ては、生活の安定要因から潜在的リスクへと反転してしまった。
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▽「私たちが資料である」というコペルニクス的転回こそが、民俗学という学問による最大の方法論的貢献であると思う。
観察可能な「有形文化」。言語習得が必須となる「言語芸術」。目も耳も役立たず、心の内に分け入るしかない「心意現象」。「三部分類」
▽6 「資本主義」、数多の利便をもたらしたと同時に、無数の「生きづらさ」を引き起こしている。……「資本」は「自然」に製薬されないしくみであるため、ヒトのコントロールを飛び越えて際限なく暴走してしまう。「資本」の果実野甘さを忘れられないヒトは、「生き物」としての自己を犠牲にして、「資本」に邁進してしまう。「生き物の時間」と「資本の時間」の分裂に、ヒトは「中途半端に賢い生き物」として迷いつづけるしかない
▽17 着衣の起源(入れ墨からはじまったという説も)。……ヒトが「発情期」を失っ動物。……生物的な発情期とは異なる文化的指標の導入によって発情がコントロールされているそれが「衣服」である。
▽27 「寄せてあげるブラ」90年代、下着業界は「谷間」をうたいあげる。「よせて、あげて,谷間くっきり」……と「谷間」を連発。80年代以前にはいっさい見られなかった表現。90年代は「巨乳」「豊乳」など、乳房を描写する言葉が急増した。
「谷間」。90年代の日本社会が新たに「発見」した、いや「創造」した身体部位にほかならない。
▽35 祖父母は下着をつける習慣がなかったようでその娘に「しゃがむと股が見えるのでやめて!」と注意されていたらしい。日本にはもともとショーツのようなものを身につける文化がない……
▽43 熊本の山間部 クマバチの幼虫の佃煮やクマバチをつけ込んだ焼酎。
▽45 全国民が少量であれ日常的に米を入手可能になったのは、戦時中に制定された食糧管理法にともなる配給がきっかけ。
▽48 柳田国男 食べ物が、あたたかくなり、やわらかくなり、甘くなったことの3点が近代食生活の変革であったと指摘。
▽50 ①自製品唐木製品へ、共食から個食へ……
▽58
▽64 畳が「たたむ」に由来することから推測される通り、ある時点までたたむことができた敷物が、常設され固定されるようになった。イグサという植物の長さに規定された「一畳」という単位に則って建物ができあがっていることの意味は大きい。
▽66 民家には、土間、板間、畳間の3種があるが、それぞれ原始時代、平安時代、武家時代の伝承を宿しているのではないかと今和次郎は言う。竪穴式住居以来の土間には、かまどを守る火の神など、プリミティブで固有名のない神格が祭られている。平安時代の寝殿造りあたりから多用されるようになった板間には文明的な名前のある神格が現れる。畳間は、武家的な社交関係のための空間であり、そこには先祖をまつる仏壇が安置される。
▽71 住まいの近代化とは①環境からの離脱②生活=消費空間化③情愛空間化。労働も教育も失った消費生活の場としての家庭が、近代家庭のエモーショナルな空間であるべきとされるにいたった。
▽76 DKスタイルには仏壇や神棚の空間が想定されていない。生まれては死んでいく家族の動態を想定しない。短いタイムスパンで構想されている。……井戸など水回りの水神は、水道の整備によって後退するが、火まわりは、東北なら古峯神社、関東中部なら秋葉様、関西なら愛宕さんなど、鎮火の御札のある家は今でも多い。
▽79 伝統的な民家は、さまざまな場所にスピリチュアルとの接点があったが……
▽91 藤森照信「人類と建築の歴史」(ちくまプリマー新書)竪穴住居と20世紀のモダニズム建築に統一性があり、その中間に多様性が存在するというモデル。〓
〓ネットの「今昔マップ」
▽99 「はたらく」ことの「半分」は技能の獲得と革新だった。
……交通・通信の発達にともなう時空間の圧縮は、モノやサービスをめぐる価格破壊を引き起こし、雇用も冷害ではなかった。労働市場の自由化によって「総中流」幻想は消え去った。かわって登場したのが「ブラック」。
▽107 木地師、漂海民、宗教者、芸能者などは、定住者の世界から特別視され、来訪が歓待される一方でさまざまな差別も引き起こされた。「非定住者」に対する特異な心性は、現在まで通底する。
▽128 レヴィ・ストロース 「交換」を社会の根源として見出した。外国では、時間がないときでも市場だけは見るようにと薦めている。市場は「価値があるとされるもの」が交換される場であり、土地の文化を知る上で不可欠の参照点だからだろう。
……贈り物は受け取らなければならず、受け取ったからには相手に「負い目」を感じなければならず、負い目は返礼つまり新たな贈与によってしか解消されない。
……人類社会には、贈与、分配、再分配、市場という4つの原理的な交換パターンが見出される。贈与は、農耕を生業とする部族姓社会で。「分配」は特定のだれかに負い目を感じる必要が亡くなる。狩猟採集社会で。「再分配」は財貨をいったんだれかに集約し、そこから配分される。財貨を集約したものに「無限」に近い負い目を感じることになる。王に対してこそふさわしい。「負い目」を払拭し、煩瑣な関係性を打ち切って交換を実現するのが「市場」。
▽137 日本最初のデパートは1904年の三越呉服店。伊勢丹、大丸、松坂屋も呉服屋を前身とする。鉄道会社が創業するデパートのモデルをつくったのは阪急。
戦前から定着したデパートに対し、スーパーは戦後。アメリカ流のセルフサービス方式による量販店。1957年に大坂・千林に開店したダイエー、1958年に北千住に設立されたヨーカ堂。次がコンビニ。1973年にスタートしたセブンイレブンはイトーヨーカ堂資本、75年にスタートしたローソンはダイエー資本。その次に、ネットコマースがさらなるゲームチェンジャーとして登場する。アマゾンは1995年、rakutenは1997年にスタート。
▽151 「見えている」のに気づいていないことは多い。……目玉を磨く訓練には、見えているものの名前をできるかぎりあげていく。……「テーマ」を決めると、風景の解析力は格段に高まる。
▽154 「Human Relations Area Files(HRAF)」大戦中にデータベースを構築。
▽156 ヒトの「生き物」としての側面を「家族」にとどめおくことで、それを「社会」の側に持ちこませず、「社会」が「社会」であることを可能にする。ヒトの「自然」を安全に囲い込むことによって「社会」を可能にするシェルターが「家族」という社会組織の根源的な役割。
▽161 「近代家族」 公共領域(生産)と家庭内領域(消費)の分離。平日は出勤し、休日は家庭でダラダラするお父さんが誕生する。前近代のイエが家業のために非親族をも許容したのに対し、非親族を排除した核家族である近代家族では、愛情を持って子度尾を育て上げることが最優先ミッションとされる。
▽163 近代家族は、ヒトの自然を近代資本主義社会と接合させるインターフェースだった
……近年、少子高齢化の原因は、グローバル化が引き起こす産業構造の転換。労働市場がグローバル化にさらされ、自分のスキルで安定して食べていけるという見通しを得られなくなった。伝統的なイエは成員の労働と引き換えに暮らしを保障し、近代家族も「日本的雇用」と結びつくことによって定年までの人生設計を可能にしたが、昨今の非正規化する労働市場は「安定」を保障しない。結婚や子育ては、生活の安定要因から潜在的リスクへと反転した。
▽172 波平恵美子「暮らしの中の文化人類学」伝統的家族とその変容を描く。
▽181 宮本常一は、イエ格差の小さい西日本のムラでは、「民主的」ともいうべき議事運営は珍しくなかったと述べている。……こうした内生した「民主」と外来のデモクラシーを上手にリンクできなかった点に、近代そして現在の日本の困難が胚胎しているように思われる。
▽193 鳥越先生「家と村の社会学」「生活環境主義」を唱える著者による入門書。
▽195 地縁・血縁。もうひとつが「社縁」。血縁にも地縁にも制約されない人々の群、すなわち社縁をどのように理解するかという課題から、社会科学が形づくられていった。社縁=Asociación=仲間
社縁の成立を支えるのは交通と通信。活版印刷による印刷メディアの存在。近代の社縁すなわち結社は、雑誌を刊行して同人を募ることで成立した。民俗学もその一例。
▽202 ネット以前の社会関係は一種の地縁性が不可避だった。空間的制約から解放された「純粋」な社縁は「ネット以降」かもしれない。
▽213 米山俊直「日本人の仲間意識」、天野正子「つきあいの戦後史 サークル・ネットワークの拓く地平」
▽223 民俗学の定義 文字の記録は「日々の暮らし」よりも「特別なできごと」に傾く。「天災に苦しみ、一揆に荒れ狂う」農民像ができあがる。「普通の人々」の「日々の暮らし」を解き明かすリソースとしては不完全。
……「三部分類」 第一部の目に見える「有形文化」は日々の暮らしの物質的な側面。これは旅人でも採集が可能。第二部の「言語芸術「」は、口から語られ耳で聞き取られるものであるため、当該言語理解者によって採集されなければならない。第三部の「心意現象」は、たとえば「禁忌」。モノや行為としては観察できない。「○○と言ってはいけない」という不発言は聴取もできない。言葉でも語られないから眼や耳によるサンプリングが不可能。それを観察できるのは「○○と言ってはいけない」と心のなかで感じている当事者(同郷人)にほかならない。「民俗資料」=日々の暮らしを、その存在形態、感覚器官、採集主体の関連性に即して3つに大別し、データ収集のためのガイドラインとしたのが「三部分類」
▽231 民俗学がユニークなのは、対象の設定とその操作方法においてである。文字資料の本質的限界を乗り越えるべく、日々の暮らしを営む私たち自身を「歴史」が刻み込まれた「民俗資料」とみなし、その採集と比較から、歴史・社会・文化理解を切り開こうというモノだ。「私たちが資料である」という資料観のコペルニクス的転回、そしてその存在形態に即した、観察する感覚と主体の起ち上げ方こそが、民俗学という学問の最重要な方法論的貢献だろう。
▽236 桑原武夫「人間素描」 敬愛する先達たちを活写〓
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