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身体論のすすめ<京都大学人文科学研究所共同研究班「身体の近代」菊地暁編>

■京大人気講義シリーズ 20211231
 江戸時代までの日本人は、同じ側の手と足を同時に前後させる「なんば」という歩き方だった。明治の徴兵制と教育によって今の歩き方になり、「体育座り」も生まれた……。
 そういった、所作の変化によって文化が変化する、という内容を期待して買ったが、本書はもう少し抽象的だった。それでも「寄せてあげるブラ」など、身体の変化が文化を変化させるケースが見えたのは興味深い。

 80年代以前は「谷間」を表現しなかったが、「寄せてあげる」から「谷間」を強調するようになり、90年代は「巨乳」「豊乳」「爆乳」といった乳房を描写する言葉が急増した。
 音楽は本来、全身に訴えかける魔術的な存在だったが、身体から切り離し、客観的な音の秩序へと昇華し、音楽を再現可能にする五線譜を生みだしたのが西洋音楽だった。
 江戸時代までの天皇は、父や祖父といった一人ひとりの菩提を弔っていたが、明治以後の天皇は、天照大神の孫として新しく生まれるとされ、それぞれが、神々や「万世一系」の天皇をいれる器だと位置づけられた。庶民に身近な存在だった近世までの天皇は、明治になって、賎視された宗教者や芸能者を寄せつけないことで清浄な「聖性」が構築された。
 入会山として薪を拾っていた各地の天皇陵にはカシなどの常緑広葉樹が植えられ、鳥居・燈籠・玉砂利……といった神道的な聖域が整備され、人々の自由な出入りが阻まれた。地方でも「身体」を排除されることで天皇が神聖視されていった。
 ヒトゲノム解析についての論もおもしろかった。
 2003年にヒトゲノムが解読され、生命という分子機械の「部品と設計図」があきらかにされたが、生命は解読できなかった。
 そこに「生命の歴史性」が浮かび上がった。機械は部品を集めてつくることができるが、生命は、既存の生命から部品をもらうしかない。
 だとしたら重要なのは、「非生命」から「生命」が生まれたのは、1回きりだということだ。生命が生まれたその瞬間は、いまだ神話や宗教の世界なのだ。この一点が解明されるまでは、宗教が生命を失うことはないだろう。

===================
□寄せてあげるブラの登場。1992。
▽8 1953年、伊東絹子のミス・ユニバース3位入賞で、「八頭身美人」という新たなボディイメージを流行語の地位に押し上げ、「顔かたち」を評価基準とした従来の美人観・審美観に大転換をもたらした。
……「寄せてあげる」から「谷間」を連発。80年代以前には一切見られなかった言葉。これに限らず90年代は「巨乳」「豊乳」「爆乳」など、乳房を描写する言葉が急増。……美少女キャラの巨乳化がすすめられたのもこの時期。

□ポルノ的身体
□日本で裸体を描く
▽31 ヌードとネイキッドのちがい。芸術表現における「裸体」と日常的な意味における「裸」のちがい。
 芸術表現に最初に取り組んだのは古代ギリシャ人。アポロンやヴィーナス。
 肉体よりも精神を重んじるキリスト教の普及により、人間の体それ自体を美しく表現しようとする意識はいったん後退。これをふたたび打ち破ったのがルネサンス。……神への愛と古代世界への憧れをひとつのものにしようとする欲求は、解剖学、医学の進展とあいまってさまざまな人体表現の試みへとつながった。ミケランジェロやボッティチェリ。肉体・精神ともに美しくあることが神へ近づく道だるという新生の思想。
 ヌードとは本質的に西欧の産物であり「理想化」を不可欠とする表現。
 ヌードがはじめて日本で公にされたのは、黒田清輝の絵。何度も発禁に。

□音楽は「聴く」ものか
▽54 音楽を身体という曖昧な存在から切り離し、客観的な音の秩序へと昇華する。西洋音楽史を貫く強い意思がもたらした帰結が「非ノイズ性」と「普遍性」。
 ノイズの排除。……西洋の芸術音楽ではほとんど打楽器が用いられない。シンバルや大太鼓が使われるようになるのは19世紀以降。それまでは標準的に用いられる打楽器はティンパニだけだった。西洋音楽は鳴り物的なノイズを極度に嫌ってきた。もうひとつの帰結は、普遍性ないし再現可能性。五線譜。つくった人が死んでも(身体が消滅しても)後世の別人が再現できる。
▽56 音楽とは本来、全身に訴えかける魔術的な存在だった。だが西洋でぇあ、客観的秩序に司られる純粋に聴覚的な現象へと抽象化されていった。……あらゆる理性を崩壊させてしまう「魔術」から、「芸術」という名の美しき形象(生活の飾り)になった。

□痛み・悼み・祈る 宗教と身体
▽81 デカルトの「心身二元論」。世界が物質界と精神界からなるというもので、「科学」が探究する前者と、そうでない後者を切り離す思想。……世界のすべてが物理法則に従って動いているという「無神論」的な世界観に魅了されたデカルトは同時に敬虔なカトリック信徒だった。苦渋の末に二元論にたどりつく。宗教を、信仰心または精神の営みであるとして、社会の中心から個人の内面に押し込め、そうした個人の集合としての「精神的共同社会(教団)」にのみ宗教の実践の場を限定する仕方は近代西洋的思考の産物。
……心身二元論を前提として、心・精神を重視する宗教観は、政教分離を実現させ、宗教が公共の領域から私的な領域に移行した近代西洋に特有のものであり、普遍的ではない。
「からだ」なき宗教のイメージは普遍的ではない。

□明治維新と天皇
▽93 すべての天皇が始原の天照大神の孫として新しく生まれる、これが近代天皇制神学の核である。昭和天皇が守りたかったのは、自分は「神の裔」、天孫であることだった。
……江戸時代までの天皇は、仏教的な来世観をもち、父や祖父といったひとりひとりの菩提を弔い、先祖と現世の天皇とは個として一対一に対応していた。明治以後の天皇の身体は、それぞれが、祖先の神々や120代をこえる「万世一系」の天皇をいれる器である。
▽100 近世の天皇は、近現代のように城壁で囲まれた皇居に住む「神聖不可侵」の軍人天皇ではなく、庶民にとって身近な存在だった。関東大震災や東京大空襲では、皇居の門が開いて、被災者を助けることはない。しかし、信長が上京を焼き討ちしようとしたとき、町衆は俗権がおよばないアジールとしての禁裏御所に、婦女子を避難させた。
 内裏空間や社寺をおおう多様さや活気は、1868年の神仏分離令から71年の皇室の神仏分離のなかで失われていく。門跡寺院が廃止され、僧侶であった門跡は還俗する。正月の東京の皇居に僧侶は出入りしなくなる。……
……東京遷都により、天皇の身のまわりから芸能者は雑種賎民は排除され、……皇居では、天皇の目の前で猿まわしが新年を言祝ぐことはなかった。近世には祝いの場には不可欠であった賎視された宗教者や芸能者を排除することで、新たな近代の清浄な「聖性」が構築されていく。ここに網野善彦があきらかにした、天皇が非農業民を不可欠とする中世以来の構造が終演する。
……近世には、入会山として薪を拾っていた天皇陵は、カシなどの常緑広葉樹が植樹され、鳥居・燈籠・玉砂利といった近代の景観が整備される。
 ……天皇の清浄な神道的な聖域が国土を連鎖する。

□教室で座るということ 学校と体
▽113 寺子屋は、子どもたちはかならずしも師匠と正対していない。所定の座席位置もない。
近代の小学校は、各自の座席が指定され、向きも一方向へと確定する。この変化の背景には、一斉教授法の導入が会った。明治初年に大学南校(東京大学)の英語教師、アメリカ人のM・Mスコットを通じてもたらされ、東京師範学校とその卒業生を起点に全国に広まっていった。……生徒数の増大と教員数の圧倒的不足という事態に直面し、一斉教授法は、手っ取り早く教授するために不可欠なものだった。
▽119 明治期の小学校では石盤がもちいられた。低学年の簡単な反復学習には1930年代までつづいたが、高度な学習には非常に不便。その学習環境を変えたのが「ノート」。
1884年、赤門前の文具店・松屋が「大学ノート」を売り出す。筆記具も鉛筆が1920年代に安価な国産品が精算されるようになって学校教育に定着する。

□耕す体のリズムとノイズ
▽131 トラクター登場。近代農業の孤独「赤いトラクター」

□「器械」と「歴史」のあいだ 生命化学の身体観
▽142 2003年、ヒトゲノムの解読終了 「生命」=「分子機械」というテーゼ。
▽145 だが、ゲノムがわかっただけでは生命はわからない。「部品」がわかり「設計図」がわかったのに「生命」はわからない。
……浮かび上がるのが生命の「歴史性」。機械は、なにもないところから部品を集めてつくることができるが、生命は、既存の生命から部品をもらい、それを改良する。重要なのは、生命の発生、すなわち「非生命」から「生命」が生まれたのは、たった1回きり。歴史的できごとだったという点である。
……生命の起源は38億年前「原核細胞」。20億年前「真核細胞」が誕生。原核細胞が別の原核細胞をのみこみ、両者が共生することで誕生したと考えられる。5億年前、有性生殖の開始が、生命を爆発的に多様化させた。これが「カンブリア紀の大爆発」
……生命がタンパク質という「部品」で構成された物理化学的「機械」であることは事実だ。ゲノムが「設計図」であることも疑いない。しかし、その「部品」とは「歴史性」を帯びた「部品」であり、設計図は歴史性をもった「設計図」だ。それは、生命が既存の生命をパーツとして作りかえる存在であることの必然的な結果である。それゆえ、「部品」や「機械」のふるまいを理解するには「部品」の歴世性、「機械」の歴史性を考慮しなければならない。

■身体論のすすめ<京都大学人文科学研究所共同研究班「身体の近代」菊地暁編>京大人気講義シリーズ 20211231
 江戸時代までの日本人は、同じ側の手と足を同時に前後させる「なんば」という歩き方だった。明治の徴兵制と教育によって今の歩き方になり、「体育座り」も生まれた……。
 そういった、所作の変化によって文化が変化する、という内容を期待して買ったが、本書はもう少し抽象的だった。それでも「寄せてあげるブラ」など、身体の変化が文化を変化させるケースが見えたのは興味深い。

 80年代以前は「谷間」を表現しなかったが、「寄せてあげる」から「谷間」を強調するようになり、90年代は「巨乳」「豊乳」「爆乳」といった乳房を描写する言葉が急増した。
 音楽は本来、全身に訴えかける魔術的な存在だったが、身体から切り離し、客観的な音の秩序へと昇華し、音楽を再現可能にする五線譜を生みだしたのが西洋音楽だった。
 江戸時代までの天皇は、父や祖父といった一人ひとりの菩提を弔っていたが、明治以後の天皇は、天照大神の孫として新しく生まれるとされ、それぞれが、神々や「万世一系」の天皇をいれる器だと位置づけられた。庶民に身近な存在だった近世までの天皇は、明治になって、賎視された宗教者や芸能者を寄せつけないことで清浄な「聖性」が構築された。
 入会山として薪を拾っていた各地の天皇陵にはカシなどの常緑広葉樹が植えられ、鳥居・燈籠・玉砂利……といった神道的な聖域が整備され、人々の自由な出入りが阻まれた。地方でも「身体」を排除されることで天皇が神聖視されていった。
 ヒトゲノム解析についての論もおもしろかった。
 2003年にヒトゲノムが解読され、生命という分子機械の「部品と設計図」があきらかにされたが、生命は解読できなかった。
 そこに「生命の歴史性」が浮かび上がった。機械は部品を集めてつくることができるが、生命は、既存の生命から部品をもらうしかない。
 だとしたら重要なのは、「非生命」から「生命」が生まれたのは、1回きりだということだ。生命が生まれたその瞬間は、いまだ神話や宗教の世界なのだ。この一点が解明されるまでは、宗教が生命を失うことはないだろう。

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□寄せてあげるブラの登場。1992。
▽8 1953年、伊東絹子のミス・ユニバース3位入賞で、「八頭身美人」という新たなボディイメージを流行語の地位に押し上げ、「顔かたち」を評価基準とした従来の美人観・審美観に大転換をもたらした。
……「寄せてあげる」から「谷間」を連発。80年代以前には一切見られなかった言葉。これに限らず90年代は「巨乳」「豊乳」「爆乳」など、乳房を描写する言葉が急増。……美少女キャラの巨乳化がすすめられたのもこの時期。

□ポルノ的身体
□日本で裸体を描く
▽31 ヌードとネイキッドのちがい。芸術表現における「裸体」と日常的な意味における「裸」のちがい。
 芸術表現に最初に取り組んだのは古代ギリシャ人。アポロンやヴィーナス。
 肉体よりも精神を重んじるキリスト教の普及により、人間の体それ自体を美しく表現しようとする意識はいったん後退。これをふたたび打ち破ったのがルネサンス。……神への愛と古代世界への憧れをひとつのものにしようとする欲求は、解剖学、医学の進展とあいまってさまざまな人体表現の試みへとつながった。ミケランジェロやボッティチェリ。肉体・精神ともに美しくあることが神へ近づく道だるという新生の思想。
 ヌードとは本質的に西欧の産物であり「理想化」を不可欠とする表現。
 ヌードがはじめて日本で公にされたのは、黒田清輝の絵。何度も発禁に。

□音楽は「聴く」ものか
▽54 音楽を身体という曖昧な存在から切り離し、客観的な音の秩序へと昇華する。西洋音楽史を貫く強い意思がもたらした帰結が「非ノイズ性」と「普遍性」。
 ノイズの排除。……西洋の芸術音楽ではほとんど打楽器が用いられない。シンバルや大太鼓が使われるようになるのは19世紀以降。それまでは標準的に用いられる打楽器はティンパニだけだった。西洋音楽は鳴り物的なノイズを極度に嫌ってきた。もうひとつの帰結は、普遍性ないし再現可能性。五線譜。つくった人が死んでも(身体が消滅しても)後世の別人が再現できる。
▽56 音楽とは本来、全身に訴えかける魔術的な存在だった。だが西洋でぇあ、客観的秩序に司られる純粋に聴覚的な現象へと抽象化されていった。……あらゆる理性を崩壊させてしまう「魔術」から、「芸術」という名の美しき形象(生活の飾り)になった。

□痛み・悼み・祈る 宗教と身体
▽81 デカルトの「心身二元論」。世界が物質界と精神界からなるというもので、「科学」が探究する前者と、そうでない後者を切り離す思想。……世界のすべてが物理法則に従って動いているという「無神論」的な世界観に魅了されたデカルトは同時に敬虔なカトリック信徒だった。苦渋の末に二元論にたどりつく。宗教を、信仰心または精神の営みであるとして、社会の中心から個人の内面に押し込め、そうした個人の集合としての「精神的共同社会(教団)」にのみ宗教の実践の場を限定する仕方は近代西洋的思考の産物。
……心身二元論を前提として、心・精神を重視する宗教観は、政教分離を実現させ、宗教が公共の領域から私的な領域に移行した近代西洋に特有のものであり、普遍的ではない。
「からだ」なき宗教のイメージは普遍的ではない。

□明治維新と天皇
▽93 すべての天皇が始原の天照大神の孫として新しく生まれる、これが近代天皇制神学の核である。昭和天皇が守りたかったのは、自分は「神の裔」、天孫であることだった。
……江戸時代までの天皇は、仏教的な来世観をもち、父や祖父といったひとりひとりの菩提を弔い、先祖と現世の天皇とは個として一対一に対応していた。明治以後の天皇の身体は、それぞれが、祖先の神々や120代をこえる「万世一系」の天皇をいれる器である。
▽100 近世の天皇は、近現代のように城壁で囲まれた皇居に住む「神聖不可侵」の軍人天皇ではなく、庶民にとって身近な存在だった。関東大震災や東京大空襲では、皇居の門が開いて、被災者を助けることはない。しかし、信長が上京を焼き討ちしようとしたとき、町衆は俗権がおよばないアジールとしての禁裏御所に、婦女子を避難させた。
 内裏空間や社寺をおおう多様さや活気は、1868年の神仏分離令から71年の皇室の神仏分離のなかで失われていく。門跡寺院が廃止され、僧侶であった門跡は還俗する。正月の東京の皇居に僧侶は出入りしなくなる。……
……東京遷都により、天皇の身のまわりから芸能者は雑種賎民は排除され、……皇居では、天皇の目の前で猿まわしが新年を言祝ぐことはなかった。近世には祝いの場には不可欠であった賎視された宗教者や芸能者を排除することで、新たな近代の清浄な「聖性」が構築されていく。ここに網野善彦があきらかにした、天皇が非農業民を不可欠とする中世以来の構造が終演する。
……近世には、入会山として薪を拾っていた天皇陵は、カシなどの常緑広葉樹が植樹され、鳥居・燈籠・玉砂利といった近代の景観が整備される。
 ……天皇の清浄な神道的な聖域が国土を連鎖する。

□教室で座るということ 学校と体
▽113 寺子屋は、子どもたちはかならずしも師匠と正対していない。所定の座席位置もない。
近代の小学校は、各自の座席が指定され、向きも一方向へと確定する。この変化の背景には、一斉教授法の導入が会った。明治初年に大学南校(東京大学)の英語教師、アメリカ人のM・Mスコットを通じてもたらされ、東京師範学校とその卒業生を起点に全国に広まっていった。……生徒数の増大と教員数の圧倒的不足という事態に直面し、一斉教授法は、手っ取り早く教授するために不可欠なものだった。
▽119 明治期の小学校では石盤がもちいられた。低学年の簡単な反復学習には1930年代までつづいたが、高度な学習には非常に不便。その学習環境を変えたのが「ノート」。
1884年、赤門前の文具店・松屋が「大学ノート」を売り出す。筆記具も鉛筆が1920年代に安価な国産品が精算されるようになって学校教育に定着する。

□耕す体のリズムとノイズ
▽131 トラクター登場。近代農業の孤独「赤いトラクター」

□「器械」と「歴史」のあいだ 生命化学の身体観
▽142 2003年、ヒトゲノムの解読終了 「生命」=「分子機械」というテーゼ。
▽145 だが、ゲノムがわかっただけでは生命はわからない。「部品」がわかり「設計図」がわかったのに「生命」はわからない。
……浮かび上がるのが生命の「歴史性」。機械は、なにもないところから部品を集めてつくることができるが、生命は、既存の生命から部品をもらい、それを改良する。重要なのは、生命の発生、すなわち「非生命」から「生命」が生まれたのは、たった1回きり。歴史的できごとだったという点である。
……生命の起源は38億年前「原核細胞」。20億年前「真核細胞」が誕生。原核細胞が別の原核細胞をのみこみ、両者が共生することで誕生したと考えられる。5億年前、有性生殖の開始が、生命を爆発的に多様化させた。これが「カンブリア紀の大爆発」
……生命がタンパク質という「部品」で構成された物理化学的「機械」であることは事実だ。ゲノムが「設計図」であることも疑いない。しかし、その「部品」とは「歴史性」を帯びた「部品」であり、設計図は歴史性をもった「設計図」だ。それは、生命が既存の生命をパーツとして作りかえる存在であることの必然的な結果である。それゆえ、「部品」や「機械」のふるまいを理解するには「部品」の歴世性、「機械」の歴史性を考慮しなければならない。

□「血液循環の発見」とは何か 近代医学の身体観

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