■新潮文庫20210519
同じ側の手足を同時に出すナンバ歩きをはじめ、江戸時代以前は今とはまったく異なる身体の使い方をしていた。甲野は古武術を通して失われた身体技法を再発見し、ふつうでは考えられない動きや技を編み出している。それは武術やスポーツのみならず、介護や音楽、ダンスなどにも活用されている。
現代の日本人は、身体の支点を定めて、そこから鞭がしなうように身体をねじって使う(うねり系)。どこかを支点としてふんばって、そこから順次力が伝わるからから、動きの方向がわかりやすく、武術では相手に対応されやすい。
古武術では、予想されやすいテコ・バネ・うねり構造を脱し、構造のない動きをめざす。体をねじらないのは、江戸時代までは当たり前だった。体をねじらないナンバ歩きだから着物を着崩さずに歩けた。
短距離走では腿を高く上げ、地面を後ろへ強く蹴るマック式が東京五輪以来常識とされてきたが、1991年以降、それは誤りだと認識され、ボルトや末次選手はナンバ的な走りを採用した。
歩くときは、足で地面を蹴るのではなく、前に倒れて体重を使って前に出る方が効率的だ。幕末には西洋人が、馬と一緒に馬丁が80キロも走り、その後に馬の世話をしていたと記録していた。
古武術では、できるだけ力まず、筋肉の緊張を使わない。局所に負担がかからないから「準備運動」はいらない。
ではなぜ、そんな身体技法を日本人は捨て去ったのだろうか。
西南の役で徴兵令で集めた兵が薩摩兵に圧倒されて使い物にならず、集団移動ができない、行進ができない、駆け足ができない、突撃ができない、匍匐前進ができないという欠陥が露呈したのがきっかけだという。
これを克服し、一般人を兵士とするために身体教育が進められた。その教育によって腕を振って歩くようになり、日々の労働とは無縁な歩き方や動き方を強制された。学校教育によって労働で培われた身体が蔑視されるようになった。
甲野が「人間の運命は決まっているのか、いないのか」という問題に悩んだ末に「運命は決まっているが、同時にまったく自由である」という結論にたどりついたという。
一見矛盾している。精神科医の名越康文らは
「今こうして話をしているときに、そのなかに自分がどれだけちゃんとおれるかっていうことが、次の展開につながっているという必然感もあるし、同時にそれは完全に自分に任されているという実感もある。どう自分をこの空間に置くかというのは身体的な感覚で、それを意識しているということは、ある流れのなかに身をゆだねて無意識的に動いてはいないということです。つまり、前より自由になっている」「意識を身体の多様性に向けて開くことは、身体を世界に向けて開くことでもある。偶然と必然とが一致し、運命と自己決定とが重なっているという感覚は、身体が世界と共鳴する場として生きられているときの実感と言えよう」と書いている。
「夜と霧」のフランクルは、人生によって課せられる運命は決まっている。でも、運命への対応を選ぶ自由があり、そこに「生きる意味」が生まれると説いた。甲野や名越は同じことを身体的な感覚を通して感じているのではないだろうか。
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▽ナンバ・ブームの火付け役は甲野だった
▽足裏の垂直離陸
▽階段を一段おきに上がったりしてみれば、同側の手足出した方が楽だということは、実感できるはずです。
▽江戸時代の歩行術 「五輪書」には1日に160キロから200キロ行く者がいたと書いてある。大坂から高崎まで3日で帰ってきたという話を千葉周作が書いている。1日200キロ。幕末に来日した外国人が馬と馬丁を雇ったら、馬と一緒に80キロぐらい走ってきて、自分が休んでいる間に馬の世話をしていたと驚いている記録がある。
▽江戸時代、今日のように手を振って歩くこということがなかった。強いてふるとしたら同側の手足が出るが、それは「肩で風を切る」というようなやくざ風の特殊な歩き方だった。
▽武智鉄二のナンバ論。西南の役で徴兵令で集めた兵が薩摩兵に斬られてばかりで使い物にならず、……集団移動ができない、行進ができない、駆け足ができない、突撃ができない、匍匐前進ができないという、近代戦のためには致命的な欠陥が発見された。克服するため、学校教育に兵式体操を取り入れ……マーチのリズム感を身につけさせるために、「西洋風音楽の常識を唱歌を通して教え込んだ」
西南戦争を契機として、一般人を近代軍隊の兵士とすべく身体教育が進められた。
身体教育によって改造される以前の日本人の歩き方を、武智はナンバと呼んだ。
▽166 日本人はノコギリを引いて使い、欧米では押して使うのは日本人は引くのが得意……と日本人論的な説明されるが、間違い。ノコギリは絶対に引くほうが合理的。薄い板は引けばまっすぐになるが押せばどうしてもたわむ。押して使うノコギリでは材料を多く削って無駄が出る。
▽188 現代剣道では胸を張って背筋を伸ばして構えるが、明治になってからの姿勢。西欧的な価値観にすり寄った。それ以前は、剣術の構えは、スッと胸が落ちたような姿勢だった。
… 日々の労働とは無縁な、構造としての身体の営みとして、歩き方や運動の仕方も指導される。学校教育は、生きるということと無関係な身体を築くべく教育する…労働の刻印された身体は蔑視され、……それは頭脳を尊重し身体を軽視する琴と同時に進行した。
▽226 一本歯の高下駄で体幹部のバランスを養う〓。
▽232 介護流柔術 岡田慎一郎
▽262 大親友の名越康文
▽264 甲野は「人間の運命は決まっているのか、いないのか」という問題に悩んだ末に「運命は決まっているが、同時にまったく自由である」という結論にたどりついた。「これは私の身体的実感です」
「必然感のなかにあって、その必然感は瞬時の自分のチョイスで決まっているという、運命が決まっていて自由という、そのきわきわの刃の上に自分がいる……今こうしてお会いして話をしているときに、そのなかにじぶんがどれだけちゃんとおれるかっていうことが、次の展開につながっているという必然感もあるし、同時にそれは完全に自分に任されているという実感もある。どう自分をこの空間に置くか、それは身体的な感覚。それを意識しているということは、ある流れのなかに身をゆだねて無意識的に動いてはいないということです。つまり、前より自由になっている」
▽273 意識を身体の多様性に向けて開くことは、身体を世界に向けて開くことでもある。偶然と必然とが一致し、運命と自己決定とが重なっているという感覚は、身体が世界と共鳴する場として生きられているときの実感と言えよう。
▽岡田慎一郎「古武術介護入門」。中島章夫・田中聡「技アリの身体になる」で河野の技を学ぶために考案してきた稽古法紹介。
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