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四国八十八ヶ所感情巡礼<車谷長吉>

■四国八十八ヶ所感情巡礼<車谷長吉>文藝春秋 20200831
 はちゃめちゃな人生を歩んだ無頼の作家という印象の車谷が、2010年に奥さんと遍路をしていたとは知らなかった。
 日記スタイルの文章は彼らしい。徳島は日本一ごみが多い、東京の女優と結婚した後藤田正純のような政治家がいる徳島県は不幸だ。安楽寺や香園寺はカネにあかせて建てた…。愛媛県の新しい町の名前は、愛南町、久万高原町、四国中央市など虚栄心の強い名前が多い……。などなどと毒舌を吐きまくる。
 車やバスの遍路を見て「楽をして極楽に行きたい。こういう考えが、私は一番嫌いだ」「四国遍路に来て思うことは、「先へ。」「先へ。」という考え方の愚かさである。……これでは極楽へ行けない」「楽をすれば、極楽浄土はないのだ。苦しみの果てに極楽はあるのだ」……と、楽をする遍路をこきおろしつづける。
 でも結願間近になると、お接待などを通じて少しずつ気持ちが変化していくのが読み取れる。無頼の人だからこそ、その変化が興味深い。
「バス、ハイヤー、タクシー、自家用車で来ている奴らはもちろん、歩き遍路も、死んだらそれで終わり……極楽へ往生することはない。極楽へ往生したい、という欲望それ自体が悪である。地獄へ行ってもいい、と覚悟することこそが大事である」となり、極楽じたい否定してしまう。そこが車谷らしい。
 僕もそういえば、遍路中に自分が極楽に行きたいなどとはただの一度も考えなかった。
 ほとんど毎日野糞をしているのも驚きだ。山の中だけではない。「徳島市内の目抜き通り……人の目を気にせず、パンツを脱いで大便小便をした」「…交番が留守だから、仕方がないので、交番の前でパンツを脱いで糞をする」。強迫神経症の薬といっしょに下剤をのむから何度も便をすることになり、時にパンツの中で脱糞してしまうらしい。
 僕も野糞はしたが場所選びに苦労した。車谷くらい堂々とできたら世界が違って見えたかもしれない。

 若いころさんざん苦労して、47歳でようやく本が売れて、48歳で東大出身の1歳年上の奥さんをもらった。最後は生のイカをのみこんで69歳で亡くなった。彼の小説をもう一度読んでみたくなった。
====================
▽9 上田秋成が崇徳の怨念を題材に「雨月物語」〓を書いた。
▽10 私の小説のモデルになった人は、みんな怒っているのである。
▽11 48歳まで独身だった。ところがその年(平成5年秋)、49歳の女と結婚した。文士には高齢で初婚の人がままいる。中勘助は57歳。石川淳も53歳。・・・47歳まではほぼ無名に近い物書きだったので、当然、嫁の来手もなく、ところが文学賞を立て続けに二つもらって一躍有名になると、つまり大金を手にすると、あなたのお嫁さんになって上げるという人が何人も現れたのだった。その一番手が、つまりうちの嫁はんで・・・「才能と金と根気が、この世の命である」と思うた。
▽14 安楽寺は金に飽かせて建てた、というようなたたずまいだった。
▽18 いやはや、東大出の女とくっつくと大変である。
「道端でうんこをした」
▽20 後藤田正純をこきおろす。東京生まれで東京に住み、女優を嫁にもらい、選挙の時だけ徳島県に帰ってくるのだそうだが、・・・県に対する愛情がないから、ごみだらけになるのは当然だ。
▽22 宿の植村初子さん。
「徳島市内の目抜き通り・・・人の目を気にせず、パンツを脱いで代弁小便をした。」
▽25 慶応文学研究会の仲間は・・・私をのぞけば、みんなより楽な道(高給サラリーマン)を選んで行った。楽をすれば、極楽浄土はないのだ。苦しみの果てに極楽はあるのだ。・・・より苦しい方を選ぶことが、極楽往生への道だ。
▽29 楽しみを求めることが、人間の最大の悪である。
▽31 ゆうべ宿でいっしょになった若い女は、平坦な自動車道を歩いて行くのだと言うていた。阿呆な女だ。ありがた味がない。
▽32 四国遍路に来て思うことは、「先へ。」「先へ。」という考え方の愚かさである。一日でもゆっくり、とは考えないのである。・・・これでは極楽へ行けない。出来るだけゆっくりと、これ以外は考えないことが大事だ。
・・・みな、手っとり早く極楽へ行きたいのだ。
▽39 阿波の国はごみの多い県だった。恐らく日本一だろう。(〓犬の頭が落ちていたこともあった〓)
▽43 バスから降りてくる男の大学生・・・お遍路の格好はしているけれど・・・楽をしてお遍路を廻る人は、死んでも極楽に行けないだろう。楽をして極楽に行きたい。こういう考えが、私は一番嫌いだ。
(そういえば極楽に行きたいとは考えなかったなぁ〓)
▽48 山道を歩いていると、般若心経ばかりが口をついて出る。
▽49 安芸市の「野良時計」。庄屋の屋敷に時計塔。
▽52 高知県の人は信仰が篤いのか、・・・両手をあわせて、こちらを拝んでくださる人がある。ごみの量も徳島県の百分の一である。
▽54 国分寺は茅葺き屋根で、一番美しいお寺だった。
▽58 お遍路に来てはじめて、ゆうべ順子さんのお乳とお尻をなでなでした。
▽66 昔風のお遍路宿に泊まると、料理がおいしくて、料金が安い。現代風の宿に泊まると、料理がまずく、料金が高い。
▽68 黒潮町の「ホテル海坊主」 料理は四国へ来てから一番だった〓。一流の板前がいる宿屋である。
▽71 久百々の宿・・・野中の喫茶店「田吾作」
▽75 人間というのは、自分が阿呆だということが分かった時に、はじめて作家になれるのだ。自分のことを偉いと思っている阿呆が余りにも多い。
▽80 愛媛にはいると遍路道ではごみを全くみなかった・・・観自在寺・・・ちゃちな本堂だった。鉄筋コンクリートづくり。「本堂再建のためん」
▽83 今夜の宿「大畑旅館」は獅子文六の小説「てんやわんや」の舞台になったところ(〓読んでみようか)。女中さんが飛び切りの美人。
▽84 宇和島 医院の多い町だ。・・・交番が留守だから、仕方がないので、交番の前でパンツを脱いで糞をする。
・・・強迫神経症の薬を飲むと、便秘になるから、下剤もいっしょにのんでいる。ためにしばしば時ならぬ時に便所に行きたくなって、パンツの中で脱糞してしまうのである。
▽87 卯之町の松屋旅館。犬養毅、尾崎行雄、金子兜太も泊まった。
▽90 大江健三郎の母校と生家。小田川の清流は大江氏の精神そのものである。
▽91 愛媛県の新しい町の名前は、愛南町、久万高原町、四国中央市など虚栄心の強い名前が多い。強い虚栄心は、高い自尊心、深い劣等感とともに人間性の三悪だ。作家はこの三悪を見つめる人だから、深いに思うのだが、役人はこの三悪を屁とも思わない人たちだから、こういう名前にするのだ。(〓地名の問題も)
▽93 岩屋寺 四国お遍路で一番いいお寺だった。
▽102 香園寺は二階建てビルディングで、ありがたいところがなにもないお寺。
▽111 (車のお遍路が)群をなして般若心経を上げていた。楽をして極楽へ行きたい、という虫のいい考えの人たちの浅はかな声である。・・・私は物書きだから、恐らく地獄へいくだろうが、この楽をして極楽へ行きたい人たちも、恐らく地獄へ行くだろう。
▽111 哲学者の野家啓一氏とか鷲田清一氏。私より年が若いが、2人に教えられることが多かった。
▽113 本山寺の本堂は国宝で鎌倉時代の建物。一番美しい建物だった。
▽122 望海荘は屋島の上にあって、瀬戸内海の眺めがすばらしい。四国遍路では随一の宿だ。
▽124 87番札所まで来て思うことは、バス、ハイヤー、タクシー、自家用車で来ている奴らはもちろん、歩き遍路も、死んだら、それで終わり、ということだ。極楽へ往生することはない。極楽へ往生したい、という欲望それ自体が悪である。地獄へ行ってもいい、と覚悟することこそが大事である。

 若いころさんざん苦労して、47歳でようやく本が売れて、48歳で東大出身の1歳年上の奥さんをもらった。最後は生のイカをのみこんで69歳で亡くなった。彼の小説をもう一度読んでみたくなった。
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▽9 上田秋成が崇徳の怨念を題材に「雨月物語」〓を書いた。
▽10 私の小説のモデルになった人は、みんな怒っているのである。
▽11 48歳まで独身だった。ところがその年(平成5年秋)、49歳の女と結婚した。文士には高齢で初婚の人がままいる。中勘助は57歳。石川淳も53歳。・・・47歳まではほぼ無名に近い物書きだったので、当然、嫁の来手もなく、ところが文学賞を立て続けに二つもらって一躍有名になると、つまり大金を手にすると、あなたのお嫁さんになって上げるという人が何人も現れたのだった。その一番手が、つまりうちの嫁はんで・・・「才能と金と根気が、この世の命である」と思うた。
▽14 安楽寺は金に飽かせて建てた、というようなたたずまいだった。
▽18 いやはや、東大出の女とくっつくと大変である。
「道端でうんこをした」
▽20 後藤田正純をこきおろす。東京生まれで東京に住み、女優を嫁にもらい、選挙の時だけ徳島県に帰ってくるのだそうだが、・・・県に対する愛情がないから、ごみだらけになるのは当然だ。
▽22 宿の植村初子さん。
「徳島市内の目抜き通り・・・人の目を気にせず、パンツを脱いで代弁小便をした。」
▽25 慶応文学研究会の仲間は・・・私をのぞけば、みんなより楽な道(高給サラリーマン)を選んで行った。楽をすれば、極楽浄土はないのだ。苦しみの果てに極楽はあるのだ。・・・より苦しい方を選ぶことが、極楽往生への道だ。
▽29 楽しみを求めることが、人間の最大の悪である。
▽31 ゆうべ宿でいっしょになった若い女は、平坦な自動車道を歩いて行くのだと言うていた。阿呆な女だ。ありがた味がない。
▽32 四国遍路に来て思うことは、「先へ。」「先へ。」という考え方の愚かさである。一日でもゆっくり、とは考えないのである。・・・これでは極楽へ行けない。出来るだけゆっくりと、これ以外は考えないことが大事だ。
・・・みな、手っとり早く極楽へ行きたいのだ。
▽39 阿波の国はごみの多い県だった。恐らく日本一だろう。(〓犬の頭が落ちていたこともあった〓)
▽43 バスから降りてくる男の大学生・・・お遍路の格好はしているけれど・・・楽をしてお遍路を廻る人は、死んでも極楽に行けないだろう。楽をして極楽に行きたい。こういう考えが、私は一番嫌いだ。
(そういえば極楽に行きたいとは考えなかったなぁ〓)
▽48 山道を歩いていると、般若心経ばかりが口をついて出る。
▽49 安芸市の「野良時計」。庄屋の屋敷に時計塔。
▽52 高知県の人は信仰が篤いのか、・・・両手をあわせて、こちらを拝んでくださる人がある。ごみの量も徳島県の百分の一である。
▽54 国分寺は茅葺き屋根で、一番美しいお寺だった。
▽58 お遍路に来てはじめて、ゆうべ順子さんのお乳とお尻をなでなでした。
▽66 昔風のお遍路宿に泊まると、料理がおいしくて、料金が安い。現代風の宿に泊まると、料理がまずく、料金が高い。
▽68 黒潮町の「ホテル海坊主」 料理は四国へ来てから一番だった〓。一流の板前がいる宿屋である。
▽71 久百々の宿・・・野中の喫茶店「田吾作」
▽75 人間というのは、自分が阿呆だということが分かった時に、はじめて作家になれるのだ。自分のことを偉いと思っている阿呆が余りにも多い。
▽80 愛媛にはいると遍路道ではごみを全くみなかった・・・観自在寺・・・ちゃちな本堂だった。鉄筋コンクリートづくり。「本堂再建のためん」
▽83 今夜の宿「大畑旅館」は獅子文六の小説「てんやわんや」の舞台になったところ(〓読んでみようか)。女中さんが飛び切りの美人。
▽84 宇和島 医院の多い町だ。・・・交番が留守だから、仕方がないので、交番の前でパンツを脱いで糞をする。
・・・強迫神経症の薬を飲むと、便秘になるから、下剤もいっしょにのんでいる。ためにしばしば時ならぬ時に便所に行きたくなって、パンツの中で脱糞してしまうのである。
▽87 卯之町の松屋旅館。犬養毅、尾崎行雄、金子兜太も泊まった。
▽90 大江健三郎の母校と生家。小田川の清流は大江氏の精神そのものである。
▽91 愛媛県の新しい町の名前は、愛南町、久万高原町、四国中央市など虚栄心の強い名前が多い。強い虚栄心は、高い自尊心、深い劣等感とともに人間性の三悪だ。作家はこの三悪を見つめる人だから、深いに思うのだが、役人はこの三悪を屁とも思わない人たちだから、こういう名前にするのだ。(〓地名の問題も)
▽93 岩屋寺 四国お遍路で一番いいお寺だった。
▽102 香園寺は二階建てビルディングで、ありがたいところがなにもないお寺。
▽111 (車のお遍路が)群をなして般若心経を上げていた。楽をして極楽へ行きたい、という虫のいい考えの人たちの浅はかな声である。・・・私は物書きだから、恐らく地獄へいくだろうが、この楽をして極楽へ行きたい人たちも、恐らく地獄へ行くだろう。
▽111 哲学者の野家啓一氏とか鷲田清一氏。私より年が若いが、2人に教えられることが多かった。
▽113 本山寺の本堂は国宝で鎌倉時代の建物。一番美しい建物だった。
▽122 望海荘は屋島の上にあって、瀬戸内海の眺めがすばらしい。四国遍路では随一の宿だ。
▽124 87番札所まで来て思うことは、バス、ハイヤー、タクシー、自家用車で来ている奴らはもちろん、歩き遍路も、死んだら、それで終わり、ということだ。極楽へ往生することはない。極楽へ往生したい、という欲望それ自体が悪である。地獄へ行ってもいい、と覚悟することこそが大事である。

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