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調査されるという迷惑 <宮本常一 安渓遊地>

みずのわ出版 200807

安渓さんという山口県立大の先生は、伊谷純一郎や宮本常一の薫陶をうけた人類学者で、アフリカや西表島でフィールドワークをしてきた。「バカセならいっぱいくるぞ」という痛烈な言葉でむかえられ、いったいその調査は地元に役立つのか、と自問するなかで、当事者にかたってもらう、という形をあみだす。しかしそれさえも、地元にさまざまな立場の人がいれば確執をうみだすこともある。
借りたものを返さない学者。「書くな」というのに書く学者。誠実でさえあればよい、という立場に安住する作家……。
筆者は、原稿を事前に調査対象の人たち、あるいは遺族にみせて、許可をえてから発表している。その結果、発表じたい不可能になったこともあるという。
難しい問題だ。事前に相手に原稿をみせる、というのは、メディアの論理では基本的にはしてはならない(本人の談話や聞き書きは除く)。相手が権力者のときは当然そうなのだが、相手がふつうの人である場合は、「みせる」というのは重要なのかもしれない……。
自分の「誠実さ」に甘えるな、という指摘も鋭い。「自分にとって一番大切なもの、なくしたら困るものほど、他者にわけあたえなければならない」などと考えて、大事なモノを知人に贈ったこともあったが、そんな「重さ」が加わるぶん、はっきり言って迷惑だったろう。
他者の立場を慮らない「誠実」は、滑稽であり迷惑である。「誠実さだけは自信があります」などと言う「まじめな」若者はけっこう多いが、過去の自分を見ているようで虫酸がはしるのだ。

「アフリカの田舎の状況を変える最先端の現場は日本だ。そこで希望を見つけないかぎりアフリカに戻れない」と筆者は考えて、アフリカから一時期遠ざかる。その感覚、よくわかる。だけどその後が私とはちがう。
小さな畑をつくり、稲作に挑戦し……山村で県産材で家を建て、里山の手入れをしながらそこにある木で風呂と暖房をする暮らしを送り、ようやく7年後、もう一度アフリカに行ってもいいかな、と思えるようになった、という。やっぱりそういうプロセスを踏まなければならないのかもしれない。-----------抜粋・メモ--------------

▽8 「地域がよくなっていくためには、地元から良いアイデアが出なくてはいけない。沖縄なら例えばインドジャボクという木を薬用に栽培するとか、さまざまな可能性が埋もれているはずだ……」
▽18 何のために調べるのか、なぜそこが調べられるのか、調べた結果がどうなるのか一切わからない。
▽23 会津若松の南方山中の大内という宿場。古い宿場が昔のおもかげを残している。明治になって忘れられてしまったが、村人は勤勉で、宿場で食えなくなると田をひらき、杉や唐松を植林し自立できる村にした。ところがテレビ局は「こういう古い村が残っているのは貧しいためだ」と放送した。主人公になった家では恥さらしの代表のように思え、すぐ家を壊して建て替えると言い出した。古い家を維持してきたことが罪悪のようにさえ思えてきた。……自信を失って自らの手で村を崩壊させていくほど悲惨なことはない。
▽25 東大経済学の教授が、地主と小作についての調査で、あらゆる現象を、搾取と被搾取の形にして設問しようとしている。村里生活はそれだけではない。地主もときに社会保障的な意味を持っている。農民同士の相互扶助もある。……理論がさきにあって、事実はそれの裏付けにのみ利用されるのが本来の理論ではなく、理論は一つ一つの事象の中に内在しているはず。
▽27 地方ですぐれた人を見ると、たいていはその地方を訪れた学者たちに接することによって、多くのものを学んでいる。少なくとも戦前までの調査は、調査を行うことによって、何らかの知識を落としているのが特色だった。なかでも考古学は、発掘に百姓たちが参加する。学者の野外調査によって、多くの在地の学級の徒が育った。
▽34 調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い。
==ここまで宮本==
▽46
▽50 自分に誠意があるから、すべて意のままに通ると思うのは、きったない甘えさ(〓エルサルはがき=独りよがりの誠意)。……島の外からやってくる、人間としての自覚のない人たち、誠意だけはあるけれどそれが甘えになってしまっている人たちに、私もずいぶん泣かされてきたわ。
▽57 立松和平被害 ……ひとつには、原稿の段階で当事者に見せて了解をもらう、という当然の手続きが無視されたためだった。地域のためを思って誠意をもってほめて書くなら、何でも許されるはずだと思いこみがちなよそもの……
▽68 島びととして、記録に残したいことと、研究者としての僕の興味は、こんなにもずれていた。……「話者が筆をとる」営みへ。「する側」「される側」の問題を乗りこえうるのではないか、と期待したこともあった。が、思わぬ落とし穴があった。正統な伝承をただそうとする少数派の伝承をまとめたとき、何が正統か、という激しい論争に。複数の伝承をもつ人々の間の主導権争いが一挙に噴き出すことがある。
▽76
▽83 「こんなアフリカの田舎の状況を変えるための最先端の現場は、自分が暮らす日本なんだ。そこで希望を見つけないかぎり、恥ずかしくてもうアフリカに戻れない」 パリでも、「近頃アフリカ研究に対する幻滅が広まっていて、フランスの田舎研究とかがはやっているの」
それからもう一度アフリカに行ってもいいかな、と思えるようになるまでに7年。実際に家族とともに戻って、再び「アフリカは元気です」と自信をもって言えるようになるまでに8年の年月がかかりました。その間、小さな畑をつくり、はじめての稲作に挑戦し……山村で県産材で家を建て、自分の里山の手入れをしながらそこから出てくる木で風呂と暖房をする暮らしに入った。
▽93
▽103 なぜ、論文という「堅苦しく」「つまらない」形式のものばかりを生産する苦行にいつまでも耐えなければならないのか。むしろ研究者自身が既成のアカデミズムの壁をやぶり、内容だけでなく発表の形式をも変えていくように、調査地の住民に励まされているととらえるべきではないのか。

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