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イエスの生涯<遠藤周作>

■イエスの生涯<遠藤周作> 20170925
 遠藤周作が描くイエスの伝記。
 ローマ帝国によって支配されている時代背景や、傀儡政権のように統治する宗教指導者や権力者、政治犯たちの立場と心理を小説家の想像力で具体的に描くことで、イエスの生き様の意味を浮き彫りにする。
 小説家の表現力と、クリスチャンとしての立場が絶妙にからみあうことで、緊張感が途切れることなく一気に読んでしまった。なかなか理解できなかった新約聖書の世界が映像となって浮かび上がってきた。

 イエスは、ユダヤの大工の子として生まれた。当時のユダヤ民族はローマ人に支配され、政治や宗教の権力者は、ローマ人と妥協しながら権威を維持していた。
 人々は自分たちのクニをもたらしてくれるメシアの出現を待ち望んでいた。イエスが最初に弟子入りした男は、民族のリーダーとして期待され、信者を増やしていったが、危険人物とされて殺された。
 すると、一番弟子と目されたイエスに期待が集まる。
 ユダヤ教の神は人々を容赦なく罰する父のような厳しい存在だ。
 それに対してイエスは、弱いもの、貧しいものによりそう母のような神を求めた。
 奇跡をおこして信者を増やし、ユダヤのリーダーになってくれるという期待が否応なく高まる。
 イエスの求めるものと、周囲の期待のギャップは深まっていく。そして独立運動のリーダーになることを拒んだイエスは、民衆から見放された。
 そして最後、自らの死を覚悟して、ユダヤのナショナリズムがもっとも高まる日に弟子たちと共にエルサレムにおもむく。もう一度、リーダーになることを望む民衆が大きく盛り上がったそのとき、イエスはふたたびそれを拒絶する。弟子のユダが裏切り、それ以外の弟子たちもイエスが逮捕されると逃げ出した。
 イエスの影響力の大きさを危惧して捕縛を躊躇していた権力側は、民心がイエスから離れるのを見て捕まえ、十字架にかけて殺した。
 イエスは、人々の支持を失い、奇跡も起こさず、無能で無力な人間として殺されていった。
 なぜイエスはそんなつらい思いをしなければならなかったのか。
 だれよりも苦しみを背負わなければ、苦しむ人に寄り添えないからだ。「愛」ゆえに無力で無能で救いのない、徹底的にみじめな最期を迎えなければならなかったのだという。
 新約聖書は、どん底まで突き落とされる物語だからこそ、深みがあり、さまざまな解釈の余地が生まれ、さまざまな意味が付与される可能性が生まれた。遠藤周作はこう解釈したけれど、まったく異なる解釈をした本もある。なんとでも解釈できるという融通無碍さが、聖書を2000年間も人々の心に大きな影響を及ぼすテクストにしているのだろう。

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