■世界の食べもの 食の文化地理<石毛直道>講談社学術文庫 20170309
世界的視野で「食」を比較すると、あたりまえと思っていたことがあたりまえではないこと、ほんのちょっとしたきっかけで食文化が変化することがわかる。
たとえば、主食と副食という区分はヨーロッパにはなく、パンは「主食」ではなく、多くの料理のひとつにすぎない。
コメは小麦などに比べて、粉にする必要がなくて料理が簡単だから、現代でも食べる地域が広がり、北アフリカやサハラ砂漠以南でもつくりはじめている。
麺類が発達したのは東アジアとイタリア、中東から北アフリカのイスラム圏で、中国→ペルシャ→アラブ→イタリアという経路で伝播したとも考えられる。
家庭の食事は、ヨーロッパでは17世紀以後にナイフやフォークが普及するまで手づかみだった。民衆はごった煮にパンをひたして手づかみで食べた。ポタージュやコンソメのようなスープが一般的になるのは19世紀になってから。手づかみでは熱い汁物料理は発達しない。スープ料理が発達したのは、箸、匙、椀を使用してきた東アジアだった。
サハラの砂漠地帯の遊牧民は、オアシスのナツメヤシを乾燥させた、干し柿のような味の食べものを主食とした。山脈を北に越えた地中海岸の農耕地帯では、パンとクスクスが主食となった。
ちょっとしたことで食文化が変化するというのも興味深い。
朝鮮半島の食事につきものの飲みものはスンニュンという釜底のおこげに水を差してわかしたものだが、自動炊飯器が普及して、スンニュンが減って麦茶が飲まれるようになってきた。
コメの炊き方は、大量の水で米を煮たあと湯を捨てて蒸らす「湯取り法」と、日本のような「炊き干し法」があるが、燃料を節約するため、あるいは大量の飯を炊かなくてもよいようになって、炊き干し法が中国や東南アジアでも盛んになってきた。自動炊飯器の普及もそれを後押ししている。
江戸を起源とする握りずしが全国を制覇したのは、戦中・戦後の統制経済が原因だった。すし屋に米をもっていき加工賃を払うと、握りずし5個と巻き寿司5切れを一人前として交換するという政令が施行された。東京のすしを基準につくられた法律のために、全国のすし屋が握りずしをつくるようになった。
茶は漢族が嗜好飲料に仕立てて全世界に広まった。エチオピア産のコーヒーがアラビア半島で流行するのは15世紀後半で、その中心はメッカだった。
ヨーロッパで茶を飲む風習が定着したのは、オランダとイギリスだった。両国の東インド会社が中国からの輸入をほとんど独占し、イギリスがインドやスリランカで、オランダがジャワで茶のプランテーションをはじめたのが原因だった。インドネシアでコーヒープランテーションを経営したオランダでは、コーヒーも飲まれるようになり、第二次大戦中のドイツ占領下で茶の供給が途絶えたことで、現在ではコーヒーが茶にとってかわった。アメリカは、1773年のボストン茶会事件を契機に、コーヒー愛好国への道をたどった。
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▽主食という概念はヨーロッパ言語にはない。東アジアや東南アジアは、食事というものは主食と副食の2種類のカテゴリーで構成される。
▽14 チベット高原では、小麦の耕作がむずかしく、オオムギが主作物。…華北のコムギ地帯では、練って発酵させたものを蒸した饅頭や、麺類にする。東アジアのほかに麺類が発達したのはイタリア。
▽コメ インド以西では、ピラフのように、油脂や塩、香辛料で味付けをした料理法が普通。パンに比べて、コメは料理法が簡単で味が良いから、現代でも米を食べる地域は広がりつつある。西アジアや北アフリカでも。サハラ砂漠以南でも、稲の栽培面積が増えている。一般に穀物は粉食にするのがおおいが、米は粒食をするのが特徴、
▽根栽作物類 金属の鍋が輸入される以前、土器の製作が発達しなかったポリネシア、ミクロネシアでは、作物を焼いたり、焼け石の上にのせてそれをバナナの葉や土でおおう石蒸し料理にして食べるのが普通だった。
▽19 牧畜民にとっては、肉より乳製品が重要。乳を飲むよりは、むしろ食べている。
▽21 塩を必要としない民族も。動物の肉や内臓をおおく摂取していれば、食塩を特別に摂取しなくても身体は維持できる。
▽23 スパイスを求めて大航海時代がはじまった。新大陸からトウガラシとトマトが旧世界に導入された。このふたつの作物は世界の味を変えた。
▽24 家庭の食事は、世界の半分以上が手づかみ。ヨーロッパは長いあいだ手づかみだったが、17世紀以後になって、ナイフ、フォーク、スプーンhを使用する習慣が普及するようになった。
▽30 日本の朝鮮支配時代、日本には朝鮮半島の料理を食べさせるレストランはほとんどなかった。
▽31 日本料理での肉の料理法として考案されたのは、すき焼きと肉じゃがぐらい。肉はもっぱら洋食と中国の料理法で食べてきた。内臓は料理の対象にならなかった。
▽36 日本の伝統的製麺技術には、ネンミョンのように押し出してつくる製麺法はなかった。朝鮮半島にはそうめんづくりの技術が欠如していた。そうめんは、中国南部に発達した製麺法。
▽39 サラダをドレッシングで食べるようになる前は、日本では油は加熱して使用する食品で、調味料というよりは食材を加熱するさいの媒体としての利用法であった。朝鮮半島でのごま油の利用法は、調味料としての性格も備えている。
▽43 トウガラシのニンニクはキムチのなかのビタミンCの酸化を防ぎ、乳酸菌の繁殖を活発にする。キムチが世界でいちばん健康に良い漬物といわれるゆえんである。
▽46 朝鮮半島では酒は家庭で作るのを基本としたので、産業としての酒造は発達しなかった。日本支配下で自家醸造が密造ということになり、伝統的な酒造りが衰退。薬酒にかわって日本酒製造の技術でつくられる酒が進出し、単式蒸留法による焼酒が、連続式蒸留法による日本の甲類焼酎の製法に変化したり、ビールたつくられるようになるなどの変化が起きた。
▽47 朝鮮半島の食事につきものの飲みものが、スンニュン。釜底のおこげに水を差し、もう一度わかしたもの。自動炊飯器が普及し、スンニュンのかわりに麦茶がよく飲まれる。
▽48 伝統的に朝食がいちばん重要。
▽57 韓国では、食器を手で取りあげて食べるのは「乞食の食べ方」といって非難される。すべてを食べ尽くすのは「いやしい」とされる場合がある。
▽58 世界各国に受け入れられた食の文明は、巨視的にはヨーロッパと中国だけ。中国の場合は、国家権力などとは無関係に、おいしく、実質的な食事であることを現地の民衆に評価されることによって、中国料理店が世界中で営業するようになった。中国の食の伝統がいかにすぐれたものであるかをものがたっている。
▽82 東南アジア諸国では、さまざまな王朝が特色ある伝統的食事文化をつくりあげたが、国家形成がなされなかったフィリピンでは宮廷料理は生まれなかった。
…東南アジアでインドからもっとも遠い場所にあることが、香辛料が発達しなかった原因ではないか。
…スペイン料理が上層の人々にうけいれられたのに対して、中国人は商人としてきたので、中国料理は庶民の家庭からとりいれられた。
…フィリピン文化の見直しとともに手づかみで食事をすることをすすめる高級レストランもおおくなってきた。
▽シンガポール ニャニャ料理 ストレート・ボーン・チャイニーズ(海峡植民地生まれの中国人)の家庭でしか味わうことのできない料理だった。中国料理の材料をつかいながらも、ココナツミルクと香辛料の重厚な味と香りをもつ料理。
▽111 大航海時代は、モルッカ諸島にたどりつくことを目標にはじまった。このちいさな島々の領有権をめぐって戦争をした。4大スパイスといえば、コショウ、シナモン、チョウジ(クローブ)、ニクズクだが、モルッカ諸島はチョウジとニクズクの産地だった。
▽118 タロイモはサトイモ科の、地下茎を食用にする一群の作物の総称。ヤムイモは、ヤマノイモ科ヤマノイモ属のいくつもの種をふくんだ作物。現在のオセアニアでは、新大陸原産のマニオク(キャッサバ)の生産も盛ん。
…オセアニアの家畜はブタ、イヌ、ニワトリだけで、いずれも食用に供される。
…石蒸し料理はオセアニア全域に分布する。…祭では、巨大な穴で石蒸し料理でブタを何頭も丸焼きにすることも。
…日常の食事では、手間のかかる石蒸し料理はしないようになり…現在、オセアニアの島々でいちばん歓迎されている食物は、なんとコンビーフの缶詰。
▽128 マグレブ料理 オアシスのナツメヤシ。乾燥させて食べる。干し柿とおなじような味。遊牧民の主食。…砂漠では火を使用しない食事。
…地中海岸の農耕地帯では、パンと、クスクスが主食。
▽135 モロッコのパステーラ。100枚以上のパイ皮で、鳩料理などを包んで円盤状に形を整え、パン焼き窯にいれて焼きあげる。
▽149 日本 蒸留しないでつくった醸造酒としては、アルコールが20%に達する世界でいちばん度数の高い酒を造る技術を開発した。
▽161 1960年代からコメの消費が減少した。パンを食べるようになったからではなく、副食(おかず)を多く食べるようになったから。
…先進諸国では日本人は魚をいちばんおおく食べる。1人1日100グラム。2位のデンマークの2倍以上。
▽171 仏教によって肉食禁止。それが民衆にも浸透(アイヌと沖縄以外)。中国では僧侶は禁じられたが民衆は肉食が許されていた。朝鮮はモンゴル人王朝に征服されて肉食が復活した。
▽179 伝統的日本料理における洗練の追求は、不健康な傾向を帯びる危険性をhらんでいた。「食べる料理ではなく見せる料理」になる可能性をもっているし、材料の持ち味に依存することは、その季節の材料の最上の部分を使える富んだ者と、入手できない貧しい人との料理の格差を大きくするものだった。1950年代以前には、貧しい農民の食卓に刺身が今日されることはほとんどなかった。焼き魚も毎日食べることはできなかった。農民の食卓で毎日食べられたのは煮物料理であり、それも野菜を煮たものがおおかった。
▽200 アメリカ人にとっては日本料理は、日系人だけが食べる食事だった。アメリカ人が日本料理店に出入りするようになったのは1970年代後半になってからのことである。
エスニック料理店というのは、異国に住む人々に故国の食事を供するものとして出発するのが普通。日本におけるエスニック料理は、日本人の顧客を相手につくられたものがほとんど。やむにやまれぬ必要に応じて成立したものではなく、「食のファッション化」とでもいうべき世相が生みだしたもの。
▽206 世界の米料理。コメは料理が簡単だから普及したという一面も。
…東アジア、東南アジアでもち米が行事食につかわれることは、うるち米以前にもち米が重要な作物であったことをうかがわせる。
…大量の水で米を煮たあと、湯を捨ててから蒸らす「湯取り法」。日本は「炊き干し法」。燃料を節約するため、あるいは小家族化によって大量の飯を炊かなくてもよいようになって、炊き干し法が、中国や東南アジアでも近年さかんになってきた。
…自動炊飯器の普及によって、炊き干し法が世界をおおうようになりそう。
▽216 江戸を起源とする握りずしが全国制覇をしたのは、20世紀になってから。戦中・戦後の統制経済のもとで、すし屋に米をもっていき、加工賃を払うと、握りずし5個と巻き寿司5切れを一人前として交換するという政令が施行された。東京のすしを基準につくられたこの法律のために、全国のすし屋が握りずしをつくるようになったのである。
▽219 琵琶湖のフナずし、和歌山のサンマのなれずし、岐阜のアユのなれずしなどが現代にのこる日本のなれずしの代表である。
▽228 麺の歴史 伝統的に麺類を食べていたのは、中国を中心とする東アジア、イタリア、中東から北アフリカにかけてのイスラム圏にかぎられていた。
…中国を起源とするアジアの麺は、中国の影響。近世になると、華僑の進出とともに東南アジア諸国にも広まった。
…イタリアの麺は、マルコ・ポーロが中国から持ち帰ったという説が流布しているが、ローマ時代以前からあったとする説も。…14世紀以後になって麺食が普及するようになった。
…イタリアでもスパゲティが家庭の日常の食卓に載るようになったのは、17世紀に機械で押し出して麺をつくり、それを乾燥した状態で販売するようになってからのことである。民衆が家庭で麺を食べられるようになったのは、乾麺が商品化されてからのことである。
…日本でも、一般家庭で麺類料理が日常的につくられるようになったのは、明治中期に製麺機がつくられてから。
▽235 麺が中国→ペルシャ→アラブ→イタリアという経路で伝播したとする仮説。
▽237 微量成分をのぞくと、栄養源としてほとんど価値のない野菜を何種類も畑で栽培するのは、文明社会のことである。
…野菜サラダが独立したカテゴリーとしておおきな顔をするようになったのは、20世紀になってからのアメリカ人の食生活の影響がつよいと思われる。
…日本人は、野菜を世界でいちばん食べてきた民族のなかにはいる。肉を食べず魚はごちそうで、ふだんの副食は野菜であった。
▽酒 248 穀類や芋類を口で噛んで酒をつくる方法は、旧世界では、モヤシやカビをもちいる方法にとってかわられた。アイヌや沖縄には、口噛み酒があった。…中南米では、中米からアンデスにかけてトウモロコシ、アマゾンではマニオクが口噛み酒の主な原料で、中米からアンデスにかけてチチャとよぶところがおおい。
▽252 茶を嗜好飲料に仕立てたのは漢族。
…朝鮮半島では李朝による仏教弾圧で飲茶の風習は断絶してしまった。
…エチオピア産のコーヒーが対岸のアラビア半島において飲みものとして流行するのは15世紀後半においてで、その中心はメッカだった。
▽256 ヨーロッパで茶を飲む風習が定着したのはオランダとイギリス。両国の東インド会社が中国からの輸入をほとんど独占し、後に、イギリスがインドやスリランカで、オランダがジャワで茶のプランテーションをはじめたことが原因。
インドネシアでコーヒープランテーションもおこなったオランダでは、コーヒーも飲まれるようになり、第二次大戦中のドイツ占領下で茶の供給が途絶えたことから、現在ではコーヒーが茶にとってかわってしまった。
アメリカは、1773年のボストン茶会事件を契機に、コーヒー愛好国への道をたどってしまった。
▽262 ヨーロッパではスープを「食べる」と表現する。中世にはスプーンの使用が一般化せず、民衆はごった煮にパンをひたして手づかみの食事をしていた。ポタージュやコンソメのように液体の多いスープが一般的になったのは19世紀になってからのことである。
…手づかみで食べるところでは、手にやけどをするような熱い汁物料理は発達しない。世界でスープ料理が発達したのは、箸、匙、椀を使用してきた東アジアである。日本では、口につけて汁を吸うことができる木椀が発達した。
▽266 非牧畜の米食地帯では、動物性食品ではなく、穀物にふくまれる植物性タンパク質からタンパク質を摂取した。麦類に比べて米にふくまれる必須アミノ酸のバランスは優れているので、米飯のどか食いをすれば、米をたんぱく源として生きることも可能なのである。
▽268 MSG(味の素など)はじゅうらい化学調味料とよばれてきたが、現在は「うま味調味料」と改められている。昆布のうま味はグルタミン酸、カツオ節はイノシン酸、椎茸はグアニル酸
▽278 魚醤とMSGの併用がおおい。…塩分は魚醬油が100ミリリットルあたり26グラム、醬油は17グラム。塩辛いから魚醤油は大量に使用できない。そこで、おなじグルタミン酸のうま味をもつMSGをくわえることで、魚醤のうま味を引き立たせる。
▽283 魚醤の仲間が発展して穀醬がつくられた。酒造り以外では麹を使用する食品が発達しなかった東南アジアにおいては、魚醤がうま味のもととなる食品としてもちいられてきた。巨視的にみると、東アジアは穀醬卓越地帯、東南アジアは魚醤卓越地帯ということになる。
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