鉄道マンはみな家族のようなものだった。同じ釜のメシを食い、組合で議論し、泣き笑い……。それがある日、鉄道が廃止されることになる。組合幹部の言うままに、自主退職して金銭を獲得する道を1人をのぞいてみながえらぶ。
職をうしなった男たち。ある男はタクシー運転手になり、ある男は病気の息子をかかえ薬を買うカネもなって警備員になる。街頭でサンドイッチマンになった男はその後、強盗となる。鉄道は誇り高い職場だった。その職を失っただけで、多くの人たちの人生が音をたててくずれていく。
日本のかつての国鉄労働者や、炭鉱労働者の無念を想起させる。炭鉱労働者は、危険な仕事だけに団結力がつよく、みなが家族のようなつきあいだった。それが突然、閉鎖され、都市にながれ、日雇い仕事をくりかえしホームレスにある……。そんな人がどれだけいたろうか。
澱のように重い。
もし今つとめている会社をクビになったら……とサラリーマンなら思うだろう。こんな苦労、あんな苦労……と。つとめつづけても真綿の地獄、やめたら経済と家族の崩壊。正社員にさえなれない若い人たちは、自分の将来にだぶってみえるかもしれない。今の日本の状況だからこそ、身につまされる映画だ。
映画における救いは、自殺した男の息子とその友人である。絶望的な状況でもあきらめない。なんとかしようと、あがく。その「あがき」にこそ希望の芽があるのではないか。
「あきらめ」を、克服するべき「課題」に転じる気力と意思が必要とされ、その象徴が「列車を動かす」という一見突飛な行為だ。頭ではそうわかる。わかるけど、現実の重みの前にため息ばかりがでてしまう。
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