■森の思想<南方熊楠、責任編集中沢新一>河出文庫 20170124
「南方二書」が圧巻だった。
中沢新一の解説よりも話の幅が広く、わかりやすい。たしかに冗長でくどい部分はあるが、だれにでもわかる言葉で、深い内容を伝えてしまう。合祀を巡る村々の細かな事件から最先端の学問まで把握し、産土神とその森を失うことは、単に自然環境を失うだけでなく、人々の信仰が失われ、人心の荒廃を招き、コミュニティじたいが解体してしまうと訴える。実際、神のいなくなった森は次々に伐採された。熊楠のエコロジー思想は、生態のエコロジー、社会のエコロジー、精神のエコロジーという3つのエコロジーが結合されていたという。民俗学や文化人類学、宗教、植物、動物……すべてを網羅し、そのすべてがマンダラのようにつながっていると熊楠は考えていた。時代遅れの「博物学者」ではなく、マルクスやウェーバーをしのぐ全地球的な構想をもっていたことが伝わってくる。
愛郷心という土台があってこその愛国心なのに、愛郷心と郷里の自律を破壊しておきながら国家を愛せというのはおかしい、と主張する。自律したコミュニティという根っこを破壊することによって国家の力が個人に直接及ぶようになり、根無し草のナショナリズムが伸長するという現代の課題を先取りしている。そして彼の預言の多くは当たってしまった。
彼のあげた集落のうち私も10から20ほどを歩き、神社も見てきた。熊野古道の九十九王子は昔はムラの産土神として信仰され、森が形成されていたが、大半は石碑しか残っていない。合祀先となった神社には本殿の横にミニチュアの社殿がならんでいるが、これらはそれぞれのムラの神だったのだ。そうやって合祀された様子を熊楠は「合祀で10社20社まるで眼白が籠中に押し合うごとく詰め込まれて境内も狭くなり、少し迂闊とすれば柱や燈架にいきあたり、犬の屎を踏み腹立つのみ」と惨状を生き生きと描写し批判した。森と切り離された社殿はもはや信仰の対象として機能しなかった。
合祀によって信仰心を増す、という権力側の主張に対しては、「全国で第2番に合祀の多く行われたる和歌山県に全国最多数の大逆徒と、無類最多数の官公吏犯罪を出し…」と大逆事件も引き合いに出して反論した。
合祀によって、もっとも近い神社が往復10里も離れてしまう例もあった。子どもの名づけにも困ることになった。私が取材した龍神村の集落では、廃仏毀釈で寺が消え、神社も合祀され、寺社の存在感が薄かったからキリスト教会ができたという例があった。
多くの伝承や宗教は、土地の具体的な地形や景観とむすびついて伝承されている。それらの伝承は、土地から引きはがされると生命を失ってしまう。熊楠は戦後の構造主義人類学の視点を先取りしていた。集落の神社の居住福祉資源としての役割も強調していた。
神社合祀の手法のえげつない手法もよくわかる。一定の基本財産がないと廃社となり、廃社にしたい和歌山の行政権力は、その基本財産の額を500円から5000円に釣り上げ、神林を切り尽くしてもためられないほどの額にして廃社を迫った。合祀によって社殿を整備し、神主を置くことも求めた。社殿がなく、神主を置けない産土神は廃されていった。地方交付税削減という脅しを使った平成の大合併と同様の手法である。
熊野には「熊楠が守った」と伝わる神社や森がいくつもある。でも「二書」を読むと、熊楠個人が守ったのではなく、産土神を失いたくないという必死の思いが住民のなかにあったことがよくわかる。合祀でご神体を移すとき、多くの村人が嘆き悲しんだ。そんな住民の思いを聞き、ネットワークを築いていたから熊楠は強烈な反対運動をつづけることができたのだ。熊楠は孤立してはいなかった。
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□解題 森の思想<中沢新一>
▽52 熊楠は、生命現象にとって、観察者の立場は相対的なものに過ぎない、という点を強調している。変形体の状態にある粘菌は、生と死のなまなましい交換がおこなわれているまっただ中で、まさに「生きている」。ところが観察者は、「痰のような」生き物が生きているとは思わず、「死物同然」と思う。逆に、子実体の「茎」が伸びてきて、胞子や美しい胞壁が形成されてくるプロセスを見て、活発な活動をしていると喜ぶが、実際におこなっているのは、活動的勝つ動物的な変形体が死んで、それが植物組織に変容しつつあるのであって、死物にむかって、接近しようとしているのだ。
▽90 原神道は森の宗教だった。森が神聖だから、そこに宗教感情がかたちづくられたのではなく、人が森にふみこんだときにおぼえる「被密議」の感情がベースになって、宗教が形成されるようになったのだ。…原神道では、神は表象される必要がなかった、表象化を避けるべきものとされていた。なにかの権力をバックに「神々の体系」などに組織されてはならないものだった。…神々が森に住んでいたのではなく、森そのものが神だったのである。森は、神聖なるカオスとして、神が生まれるトポスだった。
▽93 中世になって原神道の思想が仏教と深い結びつきをつくりだし、神仏習合という宗教形態が成長した。中世の伊勢神宮の神官たちを中心に、神道の思想を密教のマンダラの理論などを使って理論化するという試みに着手した。
▽99 神仏分離や廃仏毀釈。廃滅の対象になったのは、国家によって権威づけられない神仏のすべてである。
▽112 かつて、村よりも上の機関は、村の自治能力に余るものだけを、処理していればよかったから、おのずと威厳も出てきた。ところが神社合祀が実行されると、共同体の自律性が決定的に損なわれることになる。そうなると、その上に立つ機関は、警察機能を強化しなければならなくなるだろう。些細な事件にも、国家的な警察機能が介入してくるようになって、威厳の対象であったものが、ただの抑圧機関に変貌してしまう。村の自治機能が奪われると、個人は権力に直接ふれあわなければならなくなる。
▽118 家郷を愛する心がすべての土台となって、ついには諸家郷を集合した国を愛する心が生まれるのであって、その逆ではない、と熊楠は語るのだ。…その土台を破壊して、国への愛を国民に強いようとしている。それは、この国をひどくすさんだものにしかねないのだ。
▽120 由々しいことは、文書記録に残らない、村々の口碑や伝承が、無残にも破壊されようとしているという事実のほうだ、と熊楠は強調する。
▽122 多くの伝承は、土地の具体的な地形や景観とむすびついて、伝承されている。それらの伝承は、土地から引きはがされたとたんに生命を失ってしまうような性格をもっている。
▽125 熊楠は広く地球を放浪したが、いわゆるコスモポリタンにはならなかった。彼は、人間の生存する空間には、地盤が必要であると考えていたからである。(鶴見の比較文化論でも、地盤がない比較の無意味さを説いている〓)
▽129 神社合祀反対の運動を通して表明された、熊楠のエコロジー思想においては、3つのエコロジーが結合されようとしていた。生態のエコロジー、社会のエコロジー、精神のエコロジー。
□フィラデルフィアの顕微鏡
□粘菌、動植物いずれともつかぬ奇態の生物
□粘菌の神秘
▽201 神島の森のタブ、これは線香製造に必須の木。
□粘菌の複合
▽219 新庄村長と村人が神島の林を保安林とせしは日本最初の植物保護の実施せるもので……新庄村が目下日本で知られるうちに海外で名をはせる訳だ。
□フィサルム・ギロスムの色彩
▽229 紀州は和歌山より田辺までは京阪の風俗にて、新宮はこれに反し昔より江戸の風俗に有之候。…田辺の安藤家も紀州侯へ付けられたるなれど、これは主として和歌山に詰め、水野は江戸に詰め候。
▽234 南米よりマテと申し甘茶の淡きようなものを輸入して自慢しおる人あり。…小生は20余年前試みしが何の益もなきものに御座候。それよりも南米チリ、ペルー辺でむかしより穀類同様に食用するquinoaと申し…ひとかど食料になるものあり。〓〓
…大辺路一帯の地、串本港などはサツマイモを常食にし、…。
□ハドリアヌスタケ
□酒泉等の話
▽248 吾輩幼時なお熊野辺で待屋という小廬を家ごとに別に構え、月事ある婦女は1週間その中に孤居した。…今に忘れ得ぬほど当時経行中の婦女は実際きわめて穢らわしいものだった。……今日、衛生処理大いに進み、古人が月水を大いに怖れた意味はとうていわからず。和泉式部が伏拝の詠などを聴かせても全然事実らしく思わず……。
▽251 耳塚の由来 柳田国男は、本当に耳を埋めたわけがない。太閤は敵の耳をとってこいと銘ずるような残忍な人ではない…というが、…(実際の残虐な例を列挙)
▽261 (木から酒がわく)杉その他の樹幹からかかる酒気ある液を噴出した例は多かったであろう。(伝説の真偽を実例で証明していく)
□オニゲナ菌
▽279 蟻に陰茎をかまれることで、全身が腫れる。それを引き起こす蟻は何の種かを知るため、体中に砂糖やニワトリの煮汁をぬり、オニゲナ菌が生えたところにうずくまっていた。(科学的な変人、科学を徹底する変人)
□へろへろほうきたけ、冬虫夏草
□牛肉蕈
▽311 ドイツと露国の村民、たいていの菌類を何の差別もなく酢にひたしたのち食うて中毒せぬ、アルカリ性の毒分が醋酸で中和されて無害となるんだ、という。
…牛肉蕈(フィスチュリナ・ヘパチカ)は、形色芳味まるで上等の牛肉だから、予はしばしばこれを食う(そんなキノコがあるのか)
…カリフォルニアの某民族は以前、ミミズを常食とし、ベネズエラ国で、チャイマ族の小児が、18インチのムカデを土から引き出して食うを見たという…シロアリや蜂の子は美味なるゆえ、本邦でも食う人今もあり…
□山婆の髪の毛
▽325 石鎚村で聞いた「天狗のひげ」のこと?
▽336 「熊野本地」の皇子、母が夫の死に際の流血を飲んで生まれた「金太郎」 この赤子たちと秀衡の赤ん坊は重なる。秀衡の赤ん坊は狼に育てられる。乳は岩からしたたる。この「乳岩」、今は滝尻皇子の裏山・剣山に「胎内めぐり」の大岩とともに現存。また大塔村鮎川にも剣宮あり。
…熊楠は弁慶を山の神と見た。3年3カ月を母の胎内にいたというこの異常児と、3年経っても足が立たなかったという蛭児すなわちスサノオは、この熊野の山で確かに出会っている。
□カウルとヒョウタケ
□情事を好く植物
▽358
ヒトラーは星占いを信じていた。彼の背後には、予言者で占星術師のハヌッセンがついていた。「星占い」はヒトラーにマンドラゴラを入手させる。…ハヌッセンは1933年1月1日、ヒトラーに呪言とともに献上。…1945年、瓦礫と化したベルリンのある家の地下室から、箱に厳重に納められたこの幸運のマンドラゴラが発見された。1953年、その首に当たる部分に結びつけられていた銀のカプセルが開けられた。羊皮紙には、「このマンドラゴラを持っているものは”星”をつかみ、その名を蒼穹に記すであろう。だが12年のサイクルが過ぎると、その事業は煙と炎の中に終わりを告げるだろう」という予言が記されていた。
□菌類額より見たる田辺及台場公園保存論–六日闘鶏社に於ける南方熊楠先生の講和
▽367 闘鶏神社でトリュフを発見した。…が、調べている間に樹が切られてしまった。
▽376 闘鶏神社も、新宮の阿須賀神社が阿須賀王子であったように、かつて若一王子と呼ばれた海の王子であった。
□□南方二書
▽381 熊野三山の荒廃はなはだしき今日、新宮には多少足利時代の神宝文書あるも、本宮には何もなく、那智には神宝3,4件を残すのみ。
(……古文書を証として、山林土地の払い下げを要求する動き)
▽388 あわもりしょうま (「婦人の病にもちいた」というと、7日後には1本もなくなっていた)…何か話すとたちまちその物を自宅へ持ち行き、栽え枯らすこと大はやりにて、こまったことなり
▽392 ホルトノキ
▽395 周参見の稲積島 この島神ははなはだ樹を惜しむと唱えて、誰も四時以後とどまるものなく、また草木をとらず、小生もこの島固有の名産タニワタリ1本とりにやりしに、杉の幼木1本買い、代わりに植えかえしなり。…しかるに例の合祀のため、この島周参見の汽船の着く所に近きを便利とし、このごろは大坂より植木屋多く入りこみ、なんのわけもなくおびただしく引き抜き去る由。
…古座浦の黒島も、この稲積と並んでタニワタリの名所なり。小生8年前行き、同島植物片っ端から採りしに、そのころは1本もなく……
▽396 神島 ワンジュ 古来の習慣で京都の数珠屋へ売る、……巡礼などこの豆を持たば旅中蛇蝮にかまれぬとて買いに来たり、役場にて売るなり。
…市江 不便きわまれる海浜の小村にて、もっとも近き他村へ、いずれへ歩むも二里ばかりあり。…故に数里離れた所へ合祀されて後は、小児の名づけ、その他に、自分ら祖先来の神に詣ることかなわず苦しみおれり。(〓民俗学。地元の細かい情報を徹底して調べている)
▽399 神社合祀 「大阪毎日」によれば…(表)長野は全社数の2分の1未満、埼玉は2分の1強、愛媛は3分の1未満に減じたるに、和歌山はほとんど5分の1、三重県は7分の1に減少せるなり。
…和歌山県は、最初は500円なりしを5000円まで基本金を上げ、5000円の基本金なき社をことごとく合祀し(実際5000円を積み得る社はひとつもなし)、また1村1社の制を設け、直径5,6里往復の大村にすら1社しか残立を許さず。これがため熊野九十九王子社は、3,4を除きことごとく滅却、神林は公売にさる。
…さらに1社ごとに神職をおくべし、神職なき社は滅却すべしという。
▽403 川添村は、14村社を合一して1万余円の基本財産あるつもりにて神林を伐り、社田を売りしが、…わずか2年後の今日、その本社の屋根もるるも修繕する銭なく、神主途方にくれおり。人民は本社へまいりたきも、往復10里を歩まずばならず、全く無神の状況にあり。
▽神島のごときも、千古斧を入れざるの神林にて、湾内へ魚入り来るは主としてこの森存するにある。
▽408 (田中神社など)7つばかりを、…もとは炭焼き男の庭中の鎮守祠たりしものを男の姓をとりて松本神社と名づけ、それへ合社し…松本神社の大きさを量りしに、わずかに……ばかりの小境内なり。それへ酒屋の倉の屋根のごときものを移し来たり、他の神社9を蜂の子のごとくに押し込み、その9社の跡の神林を私利のために伐り尽くさんとせしなり。
▽413 神威を借りるにあらずんば樹林の守護はできがたきなり。新庄という村の小学校、桃樹、桑樹1000ばかり植えしめしに1月たたぬうちにことごとく烏有となりおわりぬ……
▽418 当局者は、合祀は敬神の実を挙ぐとか、…いうが、成績ははなはだしく悪く、…合祀のもっともはなはだしかりし三重、和歌山の交界点たる新宮町に、大逆事件に最多数の逆徒を出せり。
▽427 当県は、土地に関係なき他国よりの出稼ぎ吏員多きこととて、…神狩りをはじめ、いつのまにやら5000円という大金を基本財産と定め…いかなる神社も5000円の基本金はできぬゆえ、泣きの涙で県庁のいうがままに一村一社の制をもちい…諸社をことごとく伐木し、地所を公売して指定の1社の財産とし、神官神職の俸給を出すこととなる。これがため人民の一番純朴なる有田郡は一村に一社の外の諸社はことごとく掃蕩され…。
▽429 上山路村のごときは、大小72社を東という所の社に合祀し、その神宝、古文書を一切集め…合祀を好まざる狂人ありて火を放ち、ことごとく燃えた。
▽442 高原の王子 800歳ばかりという大樟樹あり。この木を削りて棒とし、これを神体とす。(伐採し合祀を迫られて)宮本という男は基本金5000金を一人して出すべしと諾す。…催促に来るごとに、料理屋へつれゆき飲食遊宴せしむ。官吏酒に酔い遊ぶうちに日程尽き、自分の旅費日当足らずなり閉口して去る。かくのごとくして…今に神職に何もやらずに高原王子は立派に残る。
▽450 中村直勝は、本宮・新宮は「河川の信仰」、那智は「錬金の神であり、鉱山の神であり、鍛冶の神である」と言う。
五来は「海の信仰」として新宮と那智を捉える。那智大社から那智湾を望んだとき、五来は那智修験は「海の修験」であるとはっきり確認したという。これに対し山の川合の地に坐す「熊野神」をまつる本宮は「山の修験」の地なのである。〓
▽451「鈴木」姓の分布は熊野信仰の分布と対応している。鈴木は熊野本宮の神官の名である。
▽456 古座浦の黒島 「九龍島」紀州藩主がその竜神信仰の故をもって「九龍島」と書き改めた、と伝えられる。現在、社は九龍神社と称し、弁財天を祀る。由良町衣奈にも「黒島」がある。この辺に「黒島」の名の多きは、龍神信仰に由来するらしい(五来重)
□神社合祀に関する意見(白井光太郎宛書簡)
▽484 なるたけ多くの神社をつぶすを自治制の美事となし、社格の如何を問わず、大小と由緒、履歴を問わず、500円積めば千円、千円積まば2000円、和歌山県ごときは5000円、大阪府は6000円まで基本財産を値上げして、積み立つる能わざる諸社は、強いて合併請願書に調印せしむ。
▽486 厳命の下に、それ神職を置け、基本金を詰めと、短兵急に迫られし結果……
▽498 大字ごとに存する神社は大いに社交を助け、平成頼みたりし用談も祭日にかたつき、麁闊なりし輩も和熟親睦せしなり。只今のごとく産土神が往復山道1里乃至5里、はなはだしきは10里も歩まねば詣で得ずとあっては、老少婦女や貧人は、神を排し、敬神の実を挙げ得ず。
▽500 敬神すべき宛所が亡われおわりては、ないよりは優れりという心から、いろいろの淫祠を祭、蛇、狐、天狗、生霊などを拝し、心ならずも天理教、金光教など祖先と異なる教に入りて、先祖の霊碑を川へ流し、田畑を売りて大和、備前の本山へ納め……改宗はその人々の勝手次第なるも、かかる改宗を余儀なくせしめたる官公吏の罪はなはだ重し。
▽503 和歌山県の神主の総取締りする人が新聞で公言せしは、神社は正殿、神庫、弊殿、拝殿、着到殿、舞殿、神餐殿、御饌殿、御炊殿、盛殿…の18建築なければ設備まったしと言うべからずとて、いかに神林大いに茂り四辺神さびたる神社を見るも、設備足らずとてこれを滅却す。(どこにそんな設備がある神社があるのか)
▽511 合祀で10社20社まるでメジロが籠中に押し合うごとく詰め込まれて境内も狭くなり、少し迂闊とすれば柱や燈架にいきあたり、犬の屎を踏み腹立つのみ。
……合祀は敬神思想を盛んにすと口先で千度説くも何の功なきは、全国で第2番に合祀の多く行われたる和歌山県に全国最多数の大逆徒と、無類最多数の官公吏犯罪を出し…
▽512 紀州地方より海外に出稼ぐ者多きが、つねに国元へ送金するに、まずその一部をおのが産土神に献じ…
▽518 和歌山辺に蟻吸という鳥多かりし。(シロアリを食べていた)神林を切り尽くし、和歌山辺へ来たらず。ために白蟻大いに繁昌し、紀三井寺から和歌山城の天守閣まで食い込み……
▽520 日高郡産湯浦という大字の八幡宮の産湯の井戸あり。応神帝降誕のみぎり、この井水を沸かして……この社を潰さんとせしより、…大いに怒り、170,80人徒党して郡役所に……合祀を免れたり。
隣村の衣奈八幡。基本財産作るとて大部分の冬青(もちのき)林を切り尽くさせ…
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