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ヒガンバナが日本に来た道-有薗正一郎

■ヒガンバナが日本に来た道<有薗正一郎>海青社 20160718
 ヒガンバナは四国に多かった。人間が植えているわけではないのに、田の畔や集落の周辺に生えていた。アンズのある集落は朝鮮半島からの渡来人のつくった集落だと聞いたこともあるが、ヒガンバナも朝鮮半島から持ちこまれたのだろうかと思った。
 長らく、日本の在来種なのか、大陸から来たのかという議論があったという。
 中尾佐助やその後を継ぐ佐々木高明は、縄文前期、照葉樹林文化の一部として伝わったとみる。猛毒のあるヒガンバナの根を水でさらすなどしてデンプンをとる方法が、照葉樹林帯に伝わるシイの実などの食べ方と同じだからそう考えたらしい。
 筆者はそれに異をとなえる。
 野外調査の結果、棚田の畔や屋敷地周辺に多いこと、縄文後期の遺跡周辺に多いことを明らかにする。中国のヒガンバナは種子で増えるものがあるが、日本のそれは鱗茎でしか増えない。さらに、ヒガンバナはそのイメージと異なり、冬から春にかけて明るい場所ではないと育たないという。照葉樹林の林床では生えないのだ。田んぼの畔にあるのは、農民が畔の草刈りをして明るくなるからだという。だから、耕作が放棄され、雑草が伸び放題の畔からはヒガンバナは消えてしまうのだ。
 そうした調査の結果、筆者はヒガンバナは稲作とセットになって中国の長江流域から伝わってきたと考える。もとは稲が不作の際に、鱗茎を毒抜きしてデンプンを採って救荒作物としたが、コメ生産が安定して利用されなくなった。だが四国や奈良県十津川村の山間部では20世紀前半まで毒抜きして食べる文化が残っていた。
 ヒガンバナの根は毒がありモグラを寄せ付けないから、畔に植えたという説も聞いたことがある。ネットで調べると「モグラはミミズを食べるのであり植物を食べるわけではないから関係ない」という説が有力のようだ。イノシシよけに使うのは今も試されているらしい。そういう活用法もあったのだろうか。四国に密集しているのは、遍路道などと関係ないのだろうか。そういった文化的側面も知りたいと思った。

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▽1 ヒガンバナは、水田稲作農耕文化を構成する要素のひとつとして、縄文晩期に中国の長江流域から日本に直接渡来した、というのが本書の結論。
…縄文晩期の遺跡があり、かつ棚田が多い集落に最も多く自生し、それより時代が古くても新しくても、自生面積は小さくなることを明らかにした。
▽11 ヒガンバナの生育地は東アジアの東シナ海周辺部に限られ、かつそのほとんどが自生地であり、植栽されることはほとんどない。
…鱗茎の表皮は黒いが中は白い。重量の10%あまりのデンプンが含まれていて食べることができるが、芯の部分にリコリンなどの有毒物質が含まれており、十分に毒抜きせずに食べると中毒死する。
▽14 墓場にヒガンバナが多いのは、かつて土葬をしていたころ、遺体を肉食獣に食べられないように、不快な臭気を放ち毒を含むヒガンバナの鱗茎を植栽したことの名残であるという説がある〓〓。
▽15 中国の長江流域には、種子ができる二倍体ののヒガンバナと、できない三倍体のヒガンバナが自生。日本のヒガンバナは、長江下流域から三倍体のものが選択的に西南日本に持ちこまれ、人間が鱗茎を移植することによって生育地を拡げて定着したとされている。二倍体のものよりも鱗茎が大きい分だけデンプン量も多い。鱗茎の移植によってのみ生息地が拡大するから、植栽後の管理が容易。…朝鮮半島南部と沖縄には自生していない。したがって、中国の長江流域から直接日本に渡来したようだ。
▽32 畑地と樹園地が卓越する集落ではヒガンバナの自生面積は小さい。
▽39 ヒガンバナは山麓緩斜面の棚田の畔に密生しており、畑にはほとんど自生していない。
▽41 佐々木高明は中尾佐助以降の研究に基づいて、中尾の発展段階説をプレ農耕段階(採集・半栽培文化)→雑穀を主とした焼畑段階(焼畑農耕文化)→稲作ドミナントの段階(水田稲作農耕文化)の3段階に整理。ヒガンバナについては中尾説を踏襲して、プレ農耕段階(縄文前〜中期)に保護や管理がなされていた半栽培植物のひとつであろうと述べている。
▽43 水田稲作農耕文化を構成する要素のひとつとして縄文晩期にトライしたか、または生育する場所が縄文晩期に人間の手で定まったヒガンバナは、ある時期までは救荒植物として水田の畔や屋敷地付近で半ば栽培されていたが、のちに穀物の生産が安定するようになると、かつて半栽培されていた場所で自生するようになった。人里の雑草になってからは、鱗茎でしか繁殖しない日本のヒガンバナは、自生地よりも低い場所に分布域を拡大することはあっても、高い場所に向かって拡大することはなかったと筆者は考える。
▽45 稲刈り前に畔の草刈りがおこなわれるが、これが、冬のあいだは地表面に張り付くように葉を広げるヒガンバナの受光環境をよくする効果を生んでいる。
▽58 日本のヒガンバナは人間の手がかなり入った場所、しかも秋から冬にかけて太陽光線が十分に当たる場所に密に自生する。
▽80 筆者は耕作放棄後数年を経た田畑に自生するヒガンバナは見たことがない。
▽83 中尾は、半栽培段階の根茎採取植物のひとつにヒガンバナをあげている。その根拠は記述されていないが、照葉樹林帯で見られる「水さらし法」によるデンプン採取技術が、ヒガンバナの鱗茎の毒抜きとデンプン採取に適用されるからであろう。
▽84 ヒガンバナは照葉樹が繁茂する林床には自生しない。落葉樹林帯内の南縁から照葉樹林帯へ人間が持ちこんだものであろうと筆者は考えている。
…水田の畔に多く自生するのは、しめった土地を好むからではない。稲刈り前に草を刈るために、秋から早春にかけて日のよく当たる場所になる。草刈り後に葉を出して光合成をはじめるヒガンバナの生育期と一致するからである。…耕作放棄された水田の畔には、数年を経ないうちにヒガンバナが生えなくなる。
▽87 日本列島の西海岸に持ちこまれ、水田稲作の東方への拡大にともなって、人間が水田の畔に鱗茎を次々に移植することによって、東北地方南部まで分布地を広げていったというのが筆者の見解である。

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