■イリオモテのターザン<水田耕平>南山舎 2009年 20151220
西表島の果ての白浜という集落から、船でしかいけない船浮という集落へ渡り、さらにそこから30分船に乗ったウダラ浜という無人の浜に、何十年も住みつづける「ターザン」と呼ばれる男性がいた。
彼を紹介するテレビを見て、都会での生活に疲れた筆者が西表島を訪れた。無為自然にあこがれてキャンプをする浜をさがしていたら、ふとしたことから、ターザンと共同生活をすることになった。
ターザンこと恵勇爺は、宮古島出身だ。2人の女性と生活したが別れた。会社を経営した時代は夜のまちで遊びまくった。
占領下の米軍基地でカーペンターをした。カツオ漁師やたたき売りの商人もした。幼いころ、糸満の漁師の家に養子に出されそうになり泣きじゃくった……。
3倍に薄めた泡盛を朝から晩まで飲みつづけながら、あげっぴろげにおもしろおかしく語ってくれる。それは実は沖縄人独特のホスピタリティだった。語るべき中身をもっていなければ、客人を喜ばせることはできない。沖縄のホスピタリティは人間の中身が問われるのだ。
ターザンの語りを通して、沖縄の民俗や歴史が浮かび上がってくる。
マングローブの森で巨大なシジミをとり、島バナナを栽培する。魚の餌にするヤドカリは、息を吹きかけて貝殻から取り出す。潮の満ち引きを読んで漁をして自在に料理する。イノシシは竹の束に火をつけて、その上に置いて回転させ、毛を焼いたあと、山刀で焦げて残った体毛をこそぎとった。
ターザンの暮らしからは、西表の自然や食文化も浮かび上がってくる。型にはまらない、ターザンという人間の大きさが描かれる。
定年間近の美術教師である筆者はそんなターザンにひかれ、いとおしげに事細かにその日々を記す。その感受性は、硬直した大人のものではない。西表の大自然とターザンは、老境にさしかかった教師の感受性をも子供のように純化してしまったようだ。
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▽鹿川でテントを張っている青年。鹿川仙人の三浦さん。
▽沖縄ではよ。子どもは叱って育てるさ。叱れば叱るほど、子どもは親になつくもんさ」
▽沖縄の子どもたちは、男の青年を「ニィニィ」、若い女の人は「ネェネェ」。その人なつっこさたらありません。
▽タコのいるところ。巣穴の前の石見たらよ、そこだけキレイになってるさ。
▽「海の中照らしたらダメよ。光、向かって飛んでくるからよ!。…ダツ(巨大なサヨリのような魚)に腹貫かれてよ、死んだんだよ。…一直線によ、襲って来るからよ」
▽別れは唐突に
▽朝から晩まで酒を飲み、食い物さえ確保できたら、あとはずうっと話ばかりして過ごしました。
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