■歴史の話 <網野善彦 鶴見俊輔> 朝日新聞出版20151120
高度成長は、南北朝期とならぶ大転換期であるという網野善彦の主張を簡単に記述しているものがないかと思って読むことにした。おもしろくて一気に読んでしまった。
まずは、「気配の感覚」。科学とはいっても、その人の視座によって何かが微妙に変わる。そのことを知る感覚が大事だという。観察者自身が状況に影響を与えることも留意しなければならない。学生時代、民青の連中が口にする「科学的社会主義」という言葉が教条的でうさんくさく感じたのを思い出した。ただ、そうは感じたけれど、「おまえらはまちがっている」とは指摘できなかった。「科学」を教条化することのこわさ。なんとなく感じる違和感は大事にしなければならないのだ。
網野によれば、江戸時代でも海外とのつながりは密接で、「島国」なんかではなかった。なのになぜ「日本人は同じ」という感覚になったのか。要因の一つは文字だという。中世から江戸時代、鹿児島から東北まで、文体も書体もそっくりだった。文字が国家を媒介し、そこから均質性の幻想が生まれてきた可能性があるらしい。
「文字」も、「百姓イコール農民」という見方も、出発点は律令国家だった。土地税を基礎にしているから、それを負担する百姓は農民である必要があった。魚類は、名前も字も地域によってちがうのに、農作物は全国同じなのは、農業は国家に統御されていたが、漁業はそうではなかったからだという。
「日本人」意識はいつからできたのかも、掘り下げる必要がある。アイヌと沖縄は別の王朝があり、3つの王朝が並行して日本にあったことを認識しないと、100年単位の未来を考えると問題が起きてくる。逆に、「日本人」の起源をさぐり、事実を知ることで、国際的な視野を広げることができるという。
同様に、天皇制が骨がらみであることを自覚する必要がある。鋳物師とか木地屋とか遊女は天皇制と結びつけて自分を位置づけていた。農本主義の体制とずれている広い世界まで天皇制という絵柄が及んでいた。自分の生活のなかに天皇制が入りこんでいることを見すえなければ、天皇が病気になって井上陽水の「お元気ですか」のかけ声まで消えてしまうという状況に出くわしたとき、対処できなくなってしまう。
明治以降に翻訳で導入された日本の学術用語は、語と意味が一対一で対応している。だから受験にはぴったりで、論文をつくる能率が上がる。一方で「意味の重層性」を欠くから、状況の転換期に対応できない。皇国史観は敗戦で終わり、知識人の世界ではナチス流のものが消えてマルクス主義になった。マルクス主義もまたソビエトが消滅するとひっくり返った。「農奴」「封建制」「領主制」といった重層性のない言葉は使われなくなりつつある。意味の重層性のない言葉は、バラストがない船のようなもので、大転換期に対応できないという。
高度成長期は大転換期だという。それ以後の世代と以前の世代との間には、生活の形態が大きくかわって、共通の言葉が激減した。若い人は、計量単位の「石」や「斗」も知らないし、「火鉢」や「五徳」も知らない。「おじいさん、おばあさんが生きてきた世界を、自分たちは何も知らないんだということを、今の若い人に知っておいてもらう必要がある」と網野は言う。高度成長によって断絶しているという「事実」を知ること、「同じ日本」ではもはやない、という自覚が必要なのだ。
それを受けて鶴見は、「今の若い人は、気分だけは世界大だけど、実は封鎖されている。戦前・戦中になかった特別の鎖国状態にある…経済力が強くなって、封鎖によって日本文化がカプセルに入っている状態になっている」と指摘する。その自覚がないところに、今の若者のナショナリズムが芽生えてきたのだろう。
こうして読み通すと、高度成長の断絶も、「日本人」意識も、天皇制も、「百姓」の意味の変化も、学術語の重層性の欠如も、若者の鎖国状況も、先入観を廃して、丹念に事実を見極めなければ危険だ、ということなのだろう。
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▽12 津田左右吉の戦後初期の発言について、網野さんは「当時の革命運動の空想性、幻想性を暴露した津田の批判は、基本的に正確であったと言わなければならない」と評価。津田は自分がつくっている視座について、何が自分に見えてないかの気配の感覚をもっていたと思う。だけど、転向した状態から、戦後に元のマルクス主義者にもどってきた人たちは、気配の感覚を失っていた。戦争中に自分が別の立場をとってきたのを忘れて、そのことを隠してしゃべっているんだから、どうにもしょうがない。
科学としての歴史と言った場合に、視座の問題は入らないと思っているのは、科学についてのとらえ方が浅いんです。
▽13 天皇制という言葉は、コミンテルンの32年テーゼが日本で翻訳されたとき、非合法化の共産党関係者が訳語としてはじめて使用したもので、イデオロギー色が強い政治用語なのである。 …コミンテルンの政治的脈絡から移してきたもの。これを科学だと思っちゃった。
▽15 「科学」という言葉を津田さんはほとんど使わなくなる。…「科学」という言葉がマルクス主義者によって独占されたからですよ。
▽19 「天に代わりて不義を討つ」は日露戦争のときの歌。私はそれよりも「敵の大将たる者は/古今無双の英雄で…」と、敵を最大美化する西南の役の時の軍歌のほうがすばらしい。官軍が「烏合の衆」だという自覚を持っている。
▽20 私は人間相互のちがいが重要だと思ってるんです。敵の中でおもしろい人がいれば、それを見ていたい。安保賛成の人でもおもしろい人は認めますよ。
▽22 「文字の世界だけ見ると本州/四国/九州の日本列島主要部の社会は非常に均質に見える。特に公文書の世界は全く均質です。そこに日本人の均質性、単一民族などの幻想が生まれてくるのだと思います」
▽24 百姓を農民とみる見方にしても、文字にしても、出発点はみな律令国家。…土地税を基礎にしている国家にとって,それを負担する百姓は農民であってもらわなければ困る。だから一貫して「農本主義」。…中世は統一的な国家がなかったので、その虚構性がやや見えやすくなっている時代だとは思うんですけど…。南北朝・室町期には「農本主義」は表面に出てきませんが。
▽37 言葉や習慣などの違いを明治以後の外圧と国家教育制度でつぶしちゃった。いまは国家教育制度とテレビですね。
▽44 港町にはだいたい真宗寺院がある。戦国期の真宗は、本来、商工業者に支えられた宗教だと思う。
▽48 フレーザーの王権についての論文を岡正雄が訳そうとしたら、柳田にとめられた。天皇を王権の問題としてとらえることに強い反対を表明した。
▽59 市場という場は、そこに入ったr、物も人もいったんは無縁の状態になる。だから、贈与や互酬ではなく、商品として物や人の交換ができる。
▽60 海岸線は本来は無主・無所有の場所だった。そこを管理するのは「公」であるということで、国家が出てきて公有地になる。だから海岸線が一番開発しやすいことになってしまい、渚がたちまち破壊された。
▽68 騎馬民族説の江上さん、岡正雄さん、石田英一郎さん。柳田と対立する。
民際学の誕生という点からいうと、新渡戸、柳田の線も大きく働くが、宮本常一、渋沢敬三、松本信裕、岡正雄、石田英一郎というのは、からみながら対抗していくダイナミクスがある。この系譜はおもしろい。
▽76 魚の名は地域によって違う。字も違う。古文書でも統一されていない。鰒は「あわび」だけど、若狭では「ふくらぎ」と読む。農産物は日本全国で、名前文字も同じで、文字の世界です。国家の影響が強いのでしょう。魚は権力によって統御されていない。制度に組み込まれていないから、非常に地域によって多様なんですね〓
▽102 網野さんは、25歳以後の形成期に、日本史の古代、中世、近世、宮本常一でいえば現代史、それが全部一緒に入ってくるでしょう。普通、研究者は、ある時代のある文書だけを研究するんですが。
▽106 「意味の重層性」を欠く日本の学術語。ものすごい勢いで翻訳した日本語をつくる。意味の重層性なんか棄てる。19世紀半ばの学問をひとつの完成体として見て、即席でこれを日本語に移した。だから日本語に移された「次元」その他の学術語は、意味の重層性を持っていない。一つの意味しかない。
▽111 「農奴」「奴隷」「封建制」「領主制」という概念。学術用語に違和感を感じた。「百姓」という言葉、長い歴史と重層性をもっているが、いつからか「農民」となってしまった。…江戸時代の学舎はまだ「百姓」は四民の通称であることを知っていた。こういう言葉の重層性が決定的にきえるのは近代以後の教育だと考えざるを得ない。〓さらにマルクス主義の影響もあって「農奴」「小作農」「地主」「富農」「貧農」などの言葉も付け加わって…
…重層性を消すと、船がバラストを捨てるようなもので、論文をつくる船足が速くなる。能率があがる。受験に適した言語になる。そのかわり、状況の転換期にひっくりかえる。皇国史観も敗戦で終わった。知識人の世界ではナチス流のものは全部終わって、マルクス主義になって、ソビエトが消滅するとまたひっくり返った。高度成長流の用語も、ばらすとなしだったらまたひっくり返るでしょう。
▽116 中江兆民の「三酔人経綸問答」はバラストのある用語でなければあの対話は書けない。それ以上の対話篇は書けなくなった。バラストがない言葉になると、意味が一義的に決まってしまうから、先生と生徒の対話になる。
▽119「百姓イコール農民」という思いこみの背景には、中国文明の農本主義に学んだこと…そあらに、言葉の重層性を持たない学術用語でヨーロッパの学問を受け入れたことも重なっている。西欧の近代史学じたい、根底に農業中心の傾向がある。
▽124 上時国家の襖の下張文書。金融業をやっていたことがわかった。廃棄された文書から見える世界は、蔵に保存されていた文書から見える世界とは大きく違うことがわかった。
…襖の下張り文書の世界では北前船の船頭で、相場を見て取引をやるだけの力量のある人物が、蔵に保存された文書の世界では貧しい小作農に見える。
▽128 「公界」「世間」という古くからの言葉。これが学術用語でいうと、「社会」という明治以後につくられた言葉に流れこんでしまう。翻訳の結果、重層性が消えていく。
▽133 14世紀に手形システム。コメも手形になっていた。「替米」と言って…米は貨幣や手形にもなった。「切手」「手形」「仕切」「相場」という言葉は中世からある。日常生活でそういう相当のことをやってきたという意識を、日本史の学者は自覚していない。
不渡りがでたとき、公権力はあまり保障しない。これを保証している組織が中世に「悪党」「海賊」といわれた人たちの組織だと思うんです。
…国家が管理したいけどできない。執拗に弾圧するが「悪党」といわれる組織は生きつづける。(流通を公共が牛耳ろうとすると、血管がつまる。ニカラグアの例)〓
▽139 天皇制 鋳物師とか木地屋とか博打打ちとか遊女、古くから天皇制と結びつけて自分を位置づける。大変恐ろしい構図。
天皇制という絵柄があって、これに対してどういう読みときをするか、それが大きな意味での日本史学の問題でしょう。
…土地税の上に乗っかって組織されている体制とずれているところに広い世界がある。そこまで、この図柄は及んでいる。
▽145 津田左右吉は「生きた生活」という言葉が好き。儒者も国学者もマルクス主義者も、生きた生活から離れている、という言い方がで批判を加えていく。一貫して生活から離れた知識人批判。
津田さんさえも、天皇制の図柄にからめとられていったということが、実は問題で、それを見すえるところから敗戦後、出発しなければいけなかったと思う。
津田さんは、生活という感覚から離れたくないという気持ちから維新の獅子が大嫌いで、むしろ幕臣のほうを評価した。水戸学派なんてきらい。それがマルクス主義者に対する嫌悪と完全に重なってくる。
▽150 〓若月俊一は島木健作の「生活の探求」を読んで感激して、農村の医者になる。 …島木の小説を農村の生活に役立てるような医学をやらなきゃいけないという刺激としてうけとる。系譜読みだけが著作の読み方ではない。そのおもしろさ。
…われわれの生活のなかに天皇制の枠が入っていることは確かなんです。だから「天皇制なんてものは科学的精神からいって撲滅すべきだ」と言うと逆に生活が見えなくなっちゃう。その反対に、自分の生活のなかに天皇制が入っていることに気がつくほうがよい。一木一草の中に天皇制がある、というのはそのこと。
…天皇が病気になると井上陽水の「お元気ですか」のけが消えちゃった。
▽155 天皇を支える柱はふたつある。一つは、田地からとった税金を吸い上げる国家の君主としての顔。もうひとつは、海民や職人を神として直属させている神聖王としての顔〓。この後者の顔はいままでほとんど見えてなかった。
▽159「コメ問題」は、1300年にわたって国家が管理してきたコメを、公権力が管理を放棄しようとしているところに問題のひとつがあるのは間違いないので、農民が反発するのは当然。しかし、うっかりすると、国家や天皇のほうに身を寄せていこうとする姿勢のなかで、現在の問題が起こっているところがあるので…
▽165 高度成長〓 高度成長期の以後と以前とに分けてしまいます。ここで社会はずいぶん違っていると思います。敗戦後しばらくまでは、前の世代と言葉が通じる。高度成長以後の若い世代と私たちの世代との間には、共通の言葉がずいぶんなくなっている。生活の形態そのものが大変化してますから。
若い人は、石高制といっても「石」が何の単位か知らない。「斗」も知らないし、「升」もあやしい。「火鉢」「五徳」なんて全然知らない。
…新井和子の「雑貨屋通い」(1992) 「はえ取り紙」とか「火鉢」とか。雑貨屋には生活の必要に応じた文化がある。それで自分が育った時代を再発見する。
…おじいさん、おばあさん、父親、母親が生きてきた世界を、自分たちは何も知らないんだということを、今の若い人に知っておいてもらう必要があると思うんです。だから夏休みのレポートは、前期に「忘れられた日本人」を読んでもらい、祖父母父母から実際に経験してきた生活の話を聞いて、宮本常一さんみたいなレポートを書いてこい、と言うんです。
…今の若い人は、気分だけは世界大だけど、実は封鎖されている。戦前・戦中になかった特別の鎖国状態にある。日本の経済力が強くなって、しかも封鎖によって日本文化がカプセルに入っている状態になっているから、今の日本文化がインターナショナルになっているとは言いがたい。そのことの自覚がない。世界中の学生がいまの日本の学生と同様に勉強しないと思っている。それは幻想。高度成長以後というのは、新しい特有の仕方での鎖国です。そのことの自覚がないのがこわいです。
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