MENU

紀州 木の国・根の国物語 <中上健次>

■紀州 木の国・根の国物語 <中上健次>角川文庫 20150703
紀州の被差別部落をめぐったルポルタージュの傑作。
紀州は「輝くほど明るい闇に在る」闇の国だと位置づけ、被差別の地の独特の生命力と性と聖、そのうごめくようなエネルギーと暗さを探求する。それを描くのは記紀の方法だという。
たんに差別の構造を告発するのではない。被差別部落を描くことで、深い歴史の層をほりおこし、伝説や地霊の世界までおりていく。
小栗判官の物語は差別の対象だったハンセン氏病と「聖」のつながりを示す。
大石誠之介や幸徳秋水も酒を飲んだ新宮の遊郭は、隠国や闇の国とつながる。大逆事件は、隠国を熊野にひきおとし、地方分権や地方文化を一挙に中央集権化したもの−−という。
旦那衆が猟師を差別する背景には、自然と分離してしまった人々のアニミズムへの怖れがあるという。古い形の差別が残る出雲と似ている。
===============
▽7
半島的状況。大陸の下股、陸地や平地の恥部のようにある。恥部、いや征服することのできぬ自然、性のメタファとしてとらえてみた。
神武以来の敗れつづけた闇に沈んだ国。熊野・隠国とは、この闇に沈んだ国とも重なってみえる。その町々、土地土地をめぐり、たとえば新宮という地名を記し、地霊を呼び起こすように話を書くとは、つまり記紀の方法である。
▽11 ブラジルもアメリカも彼方。補陀洛は彼方。…紀伊半島は海と山と川の三つの自然がまじりあったところである。(サルバドルのアカフトラで彼方を思う)〓
…新宮。観光地ではないが、材木商たちの取引場所であり、金の捨て場であった大王地という花柳界を持つ新宮。材木とともに栄え、材木が新宮に降りてこなくなって衰退しはじめた大王地は、隠国、闇の国ともつながっている。…大王地の「養老館」〓とは、幸徳秋水や大石誠之助が酒を飲んだところである。(〓遊郭の記憶〓)
…大逆という汚名を着せ、キリスト教徒や新思想者を勾引処刑することによってイメージとしての隠国を熊野にひきおとし、地方分権、地方文化を一挙に中央集権化したものと私は取る。
▽14 小栗判官 聖なるものの裏に賤なるものがある。賤なるものの裏に聖なるものがある。…紀伊半島をめぐる旅とは、その小栗判官の物語の構造へ踏み込むことである。道筋に点在する被差別部落をめぐる旅にもなる。
▽17 新宮に3代住んでいる家はほとんどない。
▽27 「お燈祭り。あの火祭りの中に自分を置いた二時間というものは、たえまなく私には尊いものですね」
▽32 柳田国男の「毛坊主考」…その建物は寺ではなくテラであり、説教所であり、坊さんではなく毛坊主である。
▽41 イルカの生肉のさしみ、内臓のゆでものを出された。(天満)
▽48 古座は古座川があることによって、串本よりもかつては栄えた。大きな遊郭があったのは古座、古座の向かいに見える紀伊大島、それと新宮である。
▽55 紀伊大島
▽57 海岸線に良港のない紀伊半島の状況…大島の遊郭が最も盛んだったのは、大正年間。その頃の女郎たちは、尾鷲・木本・新宮から来た。…漁師はおおしまのなかで、一種軽んじられてある。神社の儀式の時、お神酒をかわす大座に氏子総代の地下のものと並んで、漁師が座ることはなかった。
…アニミズムを内に持った者(漁師)への、自然と分離してしまった者(地下の旦那衆)らの賤蔑視をみる。アニミズムへの畏れが、賤視なり蔑視なりを生む。
(〓島根のM神社でも、舟に乗れない人たちがいた。古い形の差別が残る出雲と似ている)
▽61 樫野の灯台そばにトルコ軍艦遭難記念碑。そこでキンカンを売っている山口光造さん…スペイン語を知っている。戦時中フィリピンにいた。
▽69 和深 橋杭岩。枯木灘現象。海からの潮風が吹きつけ、作物はほとんど育たない。木は枯れる。かろうじて生えているのは、マーメともバベとも言う類いの木である。平地がほとんどない。山が崖っぷちになっていきなり海につき出す(〓表現)。和深はその崖と崖のくぼみの奥に出来た細長い平地である。
▽72 紡績工場。女工哀史。哀史とは知識階級の思い入れにすぎない。
和深の山奥に平家の落人が住んでいたとも、サンカらしい夫婦が住みつき、シダで籠をつくって売りに来たとも、言った。
和深のテラ。和尚さんがいたと言うが、毛坊主、あるいは堂守聖の類であろう。
…十津川の建設現場の女郎屋。
▽78 差別、被差別の歴史は古い。共同体の構成員に、たとえばその崖上の人らは加えられていなかった。
▽81 日置 周参見とは、すさび、荒び。周参見駅のすぐそばに、仏願寺という浄土真宗の寺があった。難破した者らの無縁仏の墓があった(〓〓無縁)。野の仏、海そばの仏が、寺のなかに収まったのである。…紀伊半島には禅宗は多いが、真宗の寺は少ない。(能登と正反対) 浄土真宗とともにたたかい滅びた雑賀孫一の雑賀党の落人伝説〓。
…住職は説教が有名。
▽89 三舞村
▽91 安宅(あたぎ) 朝来にも周参見にも出ることができるというところで、遍路の人たちが堂に住みついた話を聞いた。入ってくる者は多いが出て行くものは少ない。娘らは他所には住まず、亭主ともども安宅にもどって住むと三舞村の里の人らが言うところである。(〓今では?)
▽93 朝来 大辺路と中辺路が交差するところ。「救馬渓観音」
馬のたてがみ。毛を芸者さんのかつらなんかに使う〓。滝村久美子さん、24歳。
▽100 毛を抜きとりそろえている。肉のついた尻尾は塩漬けにしているが毛に何匹ものアブがたかっている。大谷の集会所で若者に集まってもらい話を聞いた。元共産党員のオーガナイザー。
▽105 皆ノ川ソビエト 2000頭の養豚計画を11戸のうちの7戸ですすめている。かつては炭持ち、木馬引きをするしかなかった土地。
▽108 現在の飼育頭数は600頭であり…。木馬引きや山の下刈りに行くのに、マンパワーとしてグループを結集して売る方が利は濃い。
進取の気性を持った皆ノ川の者が、土地の真ん中を流れる川に小さな発電機をそなえ、電気を起こす(〓小水力のはしり、源流)。…昭和20年に関西配電に頼み込み、集金は10年間皆ノ川でやるという条件で電線がひかれた。
「ソビエト」は、11戸のうち7戸でなりたつ。…高井勇治さん(45)、その次兄(40)、林初美さん(45)、中村もりおさん(49)、高井よしみさん(42)、高井さんの弟(34)、高井とうじろうさん(40)

共産党員であり、同時に天理教の信者でもある林さん。養豚をはじめたのは林さんが最初。
大川では山本音蔵さんを訪ねた。
…差別されてきたといわれる皆ノ川に壮年の者らの覇気があり、隣接する大川は、過疎と老いの疲れの中にある。
▽122 本宮 神の場所とは、貴と賤、浄化と穢れが環流し合って、はじめて神の場所として息づく。
本宮は文化に恵まれていた。書、生け花、謡、琵琶。俳句や短歌をやる人も。
…明治22年の水害。苔という地名のあたりの山が崩れ、川をせきとめ、大水害になった。苔とは被差別部落の地名である。その苔は、人家は2,3軒しか残っていない。ほとんどは、本宮大社の森の上にある祓戸に移った。
▽127 尾呂志 ウオータージェットの発着する志古の先、日足から橋をわたって川向こうへ。楊子の薬師。後白河法皇の頭痛と三十三間堂の伝説も。
…楊子の薬師堂から木津呂へ。そこから鉱山のあった板屋へ。そこから風伝峠に出る。風伝を越えて尾呂志へ。
▽133 尾呂志「ヒコソの灸」として近隣に知られた。
▽135 ヒル 山蛭は、ぽたぽた落ちてくるのではなく、足下から這い上がってくる。物音がするとその音の方に頭を上げる。一雨降った後の山が一等うっとうしい。男らは足に山蛭のきらいなたばこのヤニを塗る。他に山蛭がきらうのは、塩にガソリンである。
▽139 有馬 神話の場所。花の窟。
有馬の正覚寺で話を聞いた鈴木(雑賀)孫市も…「有馬小学校百年誌」には、孫市終焉の地の石碑の写真。…雑賀党とは、新鋭を誇る鉄砲集団であり、忍法集団でもあった。孫市は本願寺に味方し、信長の怒りにふれ…。敗れて死んだとある孫市は、「死んだとみせかけて逢坂峠を越えて、根来らと一緒に山を越えてきたんでしょうな」と住職。〓〓
▽141 貴種流離譚が熊野に多い。後南朝、平家伝説。…
孫市…大塩平八郎…大逆事件の大石誠之助や高木顕明=敗れた貴種の系譜。
▽149 尾鷲 矢ノ川。昭和34年に紀勢線が開通するまではこの峠は峠としてあった。昭和11年に開通したバス以外に、交通は亡かった。それまでは海沿いを行く八鬼山越えの道が主な交通路だった。
▽175  松阪 市制30周年記念事業で「農村部落」を刊行。「都市部落」を再刊。
▽184 部落差別は封建遺制である、と言う。かつての京町は伊勢表なる草履をつくってきた。稲わらで編み、まんなかにすじがあった。…
▽189 伊勢 朝熊と書きアサマと呼ぶ地区に朝熊隣保館があり、…
▽218 十津川 天誅組の十津川郷の男らは、この山の気質を持ってまっすぐ京都という権力劇の舞台の地に乗り込んでいったのである。…私と他者の関係を都会風にあたりさわりなく滑らかに持って行けない。「私」なるものは、諸関係の総体ではあるが、「私」がその諸関係に犯され過ぎている。(濃すぎる関係はむしろ自殺を増やす=漁師町も〓)
▽221 吉野 熊野から吉野に運ばれた一塩の熊野鯖なる干物。
▽229 周参見の江住。レストランの名を黒潮茶屋といった。
▽233 田辺 紀伊半島の人の性格が、ともすればガンコで、ゲキしやすいのは…信仰に凝っている、とも聴くし、覚醒剤中毒が多いとも知った。

▽237 放屁の話を元に文を書くのは熊楠の大きさでもあろう。性に関する記述の奔放さ。柳田国男にも折口信夫にもない。
▽244 御坊 柳岡市次郎氏は、「この小さい面積のなかの70%ぐらいは部落の人がやっている。ここは農協を部落の人が握っているでしょ。農地委員会、いわゆる農業調整委員会も部落の人が握っているでしょ」と言い…「三分の一近くの人が同和地区の人や。混住も入れたら35%にもなってくるかもわからん」被差別部落の農家は裕福だ、と言う。
市議会議員も、定数23人中12人を占めている。…「御坊も排他的ではありませんよ、部落は」
▽255 和歌山
▽277 天王寺
▽288 この紀伊半島そのものが輝くほど明るい闇に在るという認識がある。ここは闇の国家である。日本国の裏に、名づけられていない闇の国として紀伊半島がある。
▽292 紀州とは、敗れた者らの棲む国である。神武東征以来、敗れた者らがこの海岸線を一歩入れば山また山の半島に敗れたその時の姿のまま棲息している。…敗れた者らは、物の怪として語られてある。たとえば有間皇子。…この皇子の悲劇がさまざまな形で分岐して闇の国家、紀州の敗れた者らの血の中に流れると言ってよい。
…雑賀孫市、大逆事件の紀州グループ。南朝、平家の落人伝説は、いまさっき戦で敗れた者らがここへ落ちのびたと言うように人は語った。天誅組の敗走は、100年ほどしか経っていない故、いっそうなまなましく見えた。
…ここは時間の吹きだまりでもある。敗れた者は、太古以来の時間が折り重なったこの隠国に不死の人としてある。
▽296 性と生殖とは、また同時に死を浮きあがらせる。性と生殖と死とは、また四の構造のことである。
…紀伊半島がまぎれもなく日本の紀伊半島であるのは、「熊野の荒ぶる神」のような被差別部落があるからだ、と映った。ここは輝くほど明るい闇の国家である。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次