父の入院2

 7月末、K病院に入院。病院に連れてこられた父の表情は思いのほか明るかった。
 散髪し、ヒゲもきれいに剃ってもらい、清潔な服装に整えられた父の姿を見て、施設の職員さんがどれだけ大切にしてくれていたかがわかる。入院の荷物も要領よくまとめられていた。

 食事介助用のエプロンやスプーンも入っている。絶食になるのがわかっていながら、これらを入れてくれたのは、「口から食べさせたい」という家族の気持を 理解してくれたからかもしれない。
 しかし父は病室に案内された途端、不安そうな表情になり、「痛い、痛い」を連発。職員さんに横にさせてもらうがおさまる気配なし。
 午後、担当医に呼び出される。動脈瘤と胃ろうする場所が重なり、危険なため手術でいない、とのこと。代わりの方法が、経鼻胃管(鼻チューブ)だという。
 せっかく覚悟したのに、いいんだか悪いんだか。
 施設で受け入れしてくれるか確認するためタクシーで向かい、 職員とX病院の医師に相談する。
「メンテナンスの面からも、ここの施設ではもう限界だろう」と医療施設へ移ることをすすめられる。
鼻チューブの必要性を聞くと、個人的な意見と断り、
「まだ本人に意識も生きる気力もあるのだから、 やってみた方がいいのでは」
 胃ろうの処置後、再び受け入れるつもりで送り出してくれた施設職員さんが、申し訳なさそうな表情で唖然としている。
その表情を見て、ああ、もう十分やってもらったな、と いう気持ちになった。
できることなら戻りたいのだけど。
 父は病気になってから 「管につながれてまで生きながらえたくない」と言い、「延命拒否」と紙に書いていた。
私は父に胃ろうの手術について、
「ちょっとだけお腹から栄養入れようね。 良くなったら施設に帰って、体力が付けば おうちにも帰ろう」と説明した。
「管につなぐな」という父の意思に逆らい、 ごまかし、希望まで持たせる言い方をしてしまった。
 在宅でない限り、施設や医師の指示に従うしかない。
 鼻チューブになった時、そのしんどさに 父は耐えられるだろうか。
生きる気力を失ってしまわないだろうか。
 翌日、病室のベッドをのぞくと、父がクシャクシャの笑顔で迎えてくれた。
笑顔は父の体調のバロメーターだ。
「どう?調子は」
「もう大丈夫や。帰る」と起きあがろうとする。この調子の良さ……。
 そこへ担当医が来た。
「肺炎の炎症がだいぶ治まりました。顔色がいいのは水分が十分取れたからでしょう」
 入院してたった1日で良くなっているのを見ると、父にとって医療の必要性を考えさせられる。
 前日実家に、父の同級生がふらりと立ち寄ってくれたことを伝えると
「友達いうんはありがたいなぁ」とはっきりした口調で言った。私が帰ろうとすると
「一緒に帰ろう」と起きあがろうとする。
「おとうさんはまだ安静だよ。まだ点滴中やん」と 説明する。
「ああ、そうか」としょんぼりしている。せつない。
「明日はお母さんが来てくれるよ」と言うと
「ややこしいなぁ」と言う。
 わたしに対する気遣いだろうか。
「お母さん、来ていらん?」
「うん、来ていらん」
「私は?」
「いる」
「お母さんとわたし、どっちが好き?」
 照れて寝返りをうってしまった。 こんなおだやかな時間が救いだ。
 入院5日目。 肺炎の炎症はすっかり治まった。
 肺炎は典型的な「誤燕性」のものではなく、抵抗力が落ちたときにかかる症状だったそうだ。
 「誤燕性」と「細菌性」のどれほどの差があるのかわからないけど、「むせ」が原因でないなら、胃ろうの必要性はなかったのでは、と疑問が残る。
 胃ろうに頼りすぎてないだろうか。
 担当医は鼻チューブに代わる方法として、もう一度燕下訓練をしながら経過を見よう、と 言ってくれた。
 なんとか施設にもどれないものか。

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