20090502
日本中で餓死が相次いだ享保の大飢饉の前後、幕府の天領である石見国の銀山領に赴任した60歳の代官・井戸平左衛門は、役人の汚職を厳しく禁じ、地主などへの借金返済を5年間免除し、共同耕作によって上流と下流の争いを治めた。
いくら努力しても止まぬ飢饉に頭を悩ませていたとき、旅の雲水からサツマイモというどんなやせた土地でもできる作物について聞く。さっそく16人の若者を鹿児島に向かわせ、難破船を装って敵対意識の強かった薩摩で種芋を買い集める。領内に種芋を植えさせ、1,2年目は食べることを禁じて種芋を増やしていった。だが最後の1年、どうしても食糧が足りない。最後の手段として、自らの死を覚悟して幕府に送るはずの米をすべて領民に開放した。
代官を罷免となり、岡山で蟄居し、幕府からの命令を待たずに切腹して果てた。その翌日、江戸から到着した使者は「長崎奉行」の栄転の知らせを携えていた。
実はこの本は昭和のはじめに書かれたものだ。筆者は、島根県川本町出身でサンデー毎日にもつとめ、戦後は川本町教育長をつとめ、76年に亡くなっている。劇画調ではあるが、ぐいぐい引き込まれ、古さを感じさせない。あきらめない人々、たたかう意志を貫くリーダーのいるムラは何があっても生き抜くことを伝えようとしている。中山間地が疲弊する今の時代にこそ読まれてもよい内容だ。08年に復刻したという。
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▽幕府がサツマイモを知ったのは、遅れること3年であった。青木昆陽が薩摩の武士に教えられ、甘藷記をつくって大岡越前に上書した。……平左衛門こそ、甘藷を本州へ移植した最初の人。
▽石見の国では、どこの町村に行っても、井戸平左衛門の頌徳碑がある。
宝重山・長江寺 邑智郡川本町湯谷783 0855-72-1150
発行者 山口嘉夫
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