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火山と断層から見えた神社のはじまり<蒲池明弘>

■双葉文庫240821
 神社のはじまりは、火山とそれが生みだす「石」や温泉であり、旧石器時代までさかのぼるのではないかという着想がおもしろい。
 火山活動によって、温泉が生まれ黒曜石や翡翠も生み出された。とりわけもっとも鋭利な石器だった黒曜石は石器時代の最大の宝であり、黒曜石がとれる日本列島は旧石器時代は世界1の人口密集地だった可能性が高いという。
 旧石器時代は、黒曜石がとれる隠岐の島と島根県は地続きで、また、玉湯町の花仙山は碧玉やメノウ、水晶が豊富で古墳時代以降、最大の玉作りの産地だった。玉作りは、弥生時代にはじまり平安時代までつづいた。
 1万1600万年前、3年間で7度という急激な温暖化に見舞われ、隠岐の島周辺の黒曜石の産地は海に沈む。それによって出雲は覇権を失い、縄文時代の西日本最大の繁栄地は九州南部(日向)となった……。

 諏訪大社の信仰の源も和田峠周辺の黒曜石だ。伊勢神宮や古代王権のあった桜井市周辺には朱色の辰砂(水銀)の鉱山が昭和になるまで継続していた。糸魚川の翡翠は縄文時代には全国に流通していた。熊野本宮大社の信仰は、大カルデラ跡にわきだす温泉が源ではないか……。
 いずれも火山活動の産物である。
 国譲り神話にみえる諏訪の神(タケミナカタ=オオクニヌシの息子)と鹿島の神(タケイカズチ)の戦いは、縄文時代の「黒曜石の神」が、古墳時代の「鉄の神」に敗北した歴史としてよみとくことができる。
 また国譲りは、1万1600年前の縄文海進で、大地や黒曜石を失ったことを示す可能性もあるという。ノアの洪水やアトランティス島の沈没伝説も縄文海進をしめす可能性があるらしい。
 北陸や朝鮮半島から土地を引っぱりよせたという出雲国風土記の記述は、一般には、それらの地域との交流や征服を象徴すると理解されるが、縄文海進が終わり、ふたたび陸地が増えたことをしめす可能性も筆者は示唆する。
 出雲では「出雲国風土記」の前から製鉄がおこなわれていたが、全国一の大産地となるのは、砂鉄を原料とする製鉄システムが確立する中世から江戸時代だ。だから、鉄の歴史を国譲り神話と関連づけるわけにはいかないという。八岐大蛇伝説は、鉄穴流しの土砂堆積にともなう洪水をあらわすという説があったが、筆者によるとどうもちがうらしい。
 勉強になった。

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▽14 3万数千年前の旧石器時代の日本は、世界でも有数の人口密集地だったという説があります。黒曜石やサヌカイト(ガラス質の安山岩)をはじめとした、刃物や矢尻に利用できる石が豊富だった。黒曜石もサヌカイトも火山の噴火時に溶岩が旧レシテできた高密度の石です。
▽15 阿蘇の草千里 火山の周囲は、噴火が樹木の生育をはばみ、草原的な環境が広がる。九州南部や東北、長野など、火山の多いエリアに縄文遺跡が集中しているのは、狩猟採集の生活に適した良質の草原が広がっていたからでもあります。
▽21 出雲大社、諏訪大社、伊勢神宮などは、古代にはじまる「ものづくり」の歴史と奇妙に重なりあっている。……諏訪大社のそばには、北海道をのぞけば全国最大の黒曜石産地があり、島根県にも西日本最大級の黒曜石産地がある。出雲は古墳時代以降、国内最大の玉作りの産地でもありました。材料の碧玉、メノウが豊富だったからです。
▽25 本州の西と四国は火山がほとんどないが、島根県だけが火山が多い。三瓶山、横田火山群、青野山火山群、大根島、隠岐諸島。
▽27 東近江市の太郎坊山 7千万年前の巨大噴火で形成。近江商人の崇敬を集める。修験道の聖地。
▽36 出雲大社、熊野本宮大社、諏訪大社の鎮座地はいずれも、水田稲作では条件の悪い土地。
▽37 出雲でも古い時期から製鉄がおこなわれていたことは「出雲国風土記」でわかる。ただ全国一の大産地となるのは、砂鉄を原料とする製鉄システムが確立する中世から江戸時代の事です。鉄の歴史を単純に国譲り神話と関連づけるわけにはいかないのです。
 古墳時代の出雲は、全国最大の玉作り産地でした。材料は、碧玉、メノウ、水晶。
▽43 出雲大社は神社本庁の傘下にありながら、独自の教えをもつ教団組織をもっている。「出雲大社教」は神道系宗教団体のひとつ。教団組織が設立されたのは、明治政府による統制から独立性を守るためでもありました。
▽44 国造が地域社会の宗教的シンボルとして近世まで存続したのは、出雲以外には紀伊、阿蘇ぐらい。
▽51 三種の神器のうち、剣と鏡は輸入品である確率が高い。八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) 「玉」は古代日本の代表的な産物だった。
▽61 桜井市の大神神社、御所市の鴨津波神社、高鴨神社の祭神が出雲系
▽63 出雲国造が天皇に献上する玉は、最大の効能を誇るスーパーパワーストーン。
▽67 出雲大社境内遺跡 縄文時代晩期から現代までつづく複合遺跡。
▽70 出雲大社のルーツが弥生時代より古い年代にさかのぼる可能性。
▽71 明治時代に出雲国造は千家氏に固定。だが北島氏も国造の家系としての権威が維持されている。「北島国造館」
▽72 古代の玉作りの材料となっているのは糸魚川産だけ。
▽77 日本海エリアの激しい火山活動に由来する美しい石は日本海エリアに集中。
 越後国の「奴奈川神社」は糸魚川市の天津神社境内にある。
……長者ケ原遺跡から姫川を上流にさかのぼり、その支流である小滝川の流域などにヒスイの原産地がある。
……ヌナカワヒメ
▽81 玉作りの人々は単なる職人集団ではなく、信仰にかかわる精神文化を運んだ人々であったはず。原初的な出雲信仰が全国各地に拡散する歴史において、玉作り集団のはたした役割は大きかったと思います。
▽85 埼玉に玉作の産地はないのに、古代から「さきたま」の地名をもつ。……明治になって埼玉県知事に就任したのが、出雲大社の宮司から政界に転じた千家尊福だった。
 平安時代の「先代旧事本紀」の「国造本紀」では、成務天皇のとき、出雲氏の始祖から10世孫の兄多毛比(えたもひ)という人が武蔵国の初代国造に任命されたと記されています〓。成務天皇はヤマトタケルの兄弟、古墳時代のはじめごろということになります。
……出雲の人が武蔵国に派遣され、出雲系の神社が広がったという説明はそれなりに筋が通っています。
……出雲系の神を祀る神社は東北の湯殿山神社(鶴岡市)、飛鳥神社(酒田市)、太平山三吉神社(秋田市)など東北の代表的な神社にもひろまっている。
▽88 2000年、「東北型石器」が玉湯町湯町で出土した。
▽95 東北から出雲への旧石器時代の移住があったから、東北弁ににた方言になったのでは。
▽115 島根県立出雲歴史博物館 出雲大社に隣接。
▽123 さまざまな色と光沢をもつ花仙山の石の美しさこそ、オオクニヌシの女性人気の根拠なのではないか。
……玉の美しさと、石器文化の歴史、火山に由来する温泉の霊威。こうしたもろもろが出雲大社を背負うオオクニヌシに、国つ神の「王者」としての資格を与えていると思うのです。
▽137 那智の滝を生み出す巨岩は柱状節理。マグマが冷えて固まるときの収縮によって、縦方向に角張った柱状の節目ができると考えられています。……100メートルを超える柱状節理は、ほかには高千穂渓谷など数えるほどしかない。
……神様の数を、ひと柱……と数えるのは、柱状節理に関係するという説があります。「鬼滅」の「柱」には神のニュアンスが漂っています。
▽145 熊野の本宮大社ができる前にあったのは、自然湧出する温泉に対する素朴な信仰ではなかったか。
▽147 太平洋プレートが沈みこむときに発生する高温の流体が、熊野カルデラに由来する亀裂や岩脈を介して上昇していると説明されることが多いようです。
▽150 熊野古道の巡礼者が,ダルにとりつかれると、……一步も進めなくなる……近現代になってもダルにつかれるという体験が報告されています。……大地からもれくる何かが、熊野を特別の場所としているのではないか(ガス)。
▽159 諏訪大社 須和は家庭にひかれている天然温泉の普及率が、別府市、熱海市に匹敵する。
▽162 間欠泉 のそばに「曽根遺跡」。沖合300メートルの湖底の遺跡です。旧石器時代から縄文時代のはじめにかけての遺跡。
▽164 氷期だった旧石器時代、朝鮮半島と列島のあいだの海峡がせまくなり、暖流が日本海に流れこまなくなっていた。雨・雪がへり、湖の面積が縮小していた。曽根遺跡。
▽167 伊豆 延喜式の神名帳は、全国で2861カ所の神社、祭神の数は2132座。大和国の286座が最も多く、伊勢が253座、出雲187座が3位。小さな国である伊豆は92座もある。東日本でもっとも式内社が集中していた。
……三島市の三嶋大社が伊豆の国一宮。主祭神の一柱としてコトシロヌシが祀られている。オオクニヌシの長男格。
▽173 出雲でコトシロヌシ信仰の中心は美保神社。伊豆半島や伊豆諸島もコトシロヌシ信仰のもうひとつの中心となっている。
▽175 コトシロヌシは国譲りによって出雲の土地を失ったので、伊豆に移動したという伝説もある。国譲りの戦いに負けたタケミナカタが諏訪に逃げたことからの連想なのだろう……
▽179 熊野、出羽三山、キリシマ、白山。修験者が拠点とした土地の多くは温泉地。……聖地に共通してみえる背景は古代からの温泉なのです。
▽181 日本は世界でもきわだって黒曜石が多いところ。
▽184 諏訪信仰の源流は、縄文時代に見ることが半ば常識化しています。
 「縄文王国の首都」といわれるほどの繁栄は、北海道をのぞけば最大の黒曜石の産地だったことを原因のひとつとしてあげることができます。
▽188 黒曜石は、石器素材として世界史でも最高位。
 手術用のメスにもなる。黒曜石は特別の価値をもった石。
▽191 和田峠の周辺は黒曜石の採取地。
▽196 中央構造線と糸静構造線の交点にある。中央構造線は秋葉街道。太平洋側の産物を運ぶ「塩の道」。糸静構造線は千国街道 松本市から糸魚川に向かう道や大糸線と重なる。
▽199 断層は、摩擦や圧力で岩石は崩れ、水やガスが地下から湧き出しやすくなっている。
▽204 謎多き精霊であるミシャグジ信仰の総本宮のようになっている御頭御社宮司総社は、上社本宮から徒歩15分〓。「神長官守矢史料館」の敷地内。守矢氏は、上社の神菅家のなかでも古い家系であるとされ、ミシャグジ信仰の管理者であったとも伝わっています。
▽207 糸魚川市にだけ大きなヒスイの産地があるのは、プレート運動に連動して、地下にある蛇紋岩といっしょにヒスイがもちあげられたから。……
▽212 糸魚川静岡構造線の「道」が縄文時代の交易のメインロード。……断層の連動によってつくりだされた直線道路。……活断層によって形成された直線地形が、歴史ある街道となっている事例はいくつもある。
▽215 中央構造線の道によって、諏訪は伊勢ともつながっている。
▽220 伊勢神宮に近い多気町に、昭和期まで辰砂を採掘していた鉱山の跡がある。そこから歩いて15分ほどのところに丹生神社が鎮座。……辰砂は戦後昭和期まで採掘されていた。
▽223 全国的にみても、縄文時代の朱の生産に関与した遺跡がこれほど集中している地域は他になく、南勢地域は朱の特産地域と解釈することができる。
▽224 伊勢の朱産地にある縄文遺跡で、長野県や北陸、東北の特徴をしめす縄文土器が出土。東日本各地の人びとが訪れていた。三重県でみつかっている黒曜石の石器は、長野県諏訪地方の者が65%を占め、中央構造線ルートの交易が確認されている。
……天皇家のはじまりよりはるかに古い縄文時代から、伊勢を行き交っていた。伊勢神宮よりも古い聖地。
▽228 古代王権の中心だった桜井市、隣の宇陀市は、伊勢地方とともに、最大級の辰砂(水銀朱)産地。
 奈良県南部では、中央構造線から枝分かれした亀裂に沿っていくつもの水銀鉱山があり、1970年代まで採掘がつづけられていた。朱の鉱物のもつ聖性によって、奈良も火山列島の古代信仰につながっている。
▽229 大神神社の祭神は出雲系
 考古学のデータからは、奈良盆地の勢力が強大化して全国に支配圏を広げたというよりも、吉備、終わりなどの地域をふくむ広域連合めいた性格がヤマト王権には見えるといわれています。
……誕生まもない王権を守護する神として頼りにされ、出雲の神は奈良盆地に招かれた。それに伴い、神祀りにかかわる専門家集団が出雲から三輪の地に移り、定住することになった……そう考えれば、古代王権の発祥地で、最も偉大な神として出雲系の神が祀られた歴史を整合的に解釈できると思います。
▽237 列島で古代製鉄が本格的に営まれるのは古墳時代の6世紀からだとされているが、その中心は吉備国。岡山には巨大な前方後円墳がある……奈良盆地でヤマト王権が誕生するとき、吉備の豪族が重要な役割をもって参画したからという説があります。古代製鉄の中心地としての経済力がその背景にあったとも言われています。
▽238 室町から江戸時代になると、出雲が全国一の鉄産地になるが、オオクニヌシの信仰に「鉄の神」の性格が顕著になったようには見えません。(八岐大蛇神話が鉄穴流しから、というのはちがうのか……)
▽239 黒曜石は石器時代のあいだは、世界全体でも「最強の石」。狩猟でも戦いでも、黒曜石の鋭利さにかなう石はなかった。諏訪の神が、狩猟の神であるとともに軍神でもある根拠は、「黒曜石の神」としての歴史にあると思います。
 だとしたら、国譲り神話にみえる諏訪の神と鹿島の神(タケイカズチ)の戦いは、縄文時代の「黒曜石の神」が、古墳時代の「鉄の神」に敗北した歴史としてよみとくことができます。
▽242 世界でもっとも黒曜石産地が集積しているのは、米大陸西岸から日本列島につづく環太平洋火山帯。メキシコや中央アメリカは、ヒスイの世界的産地である点でも日本と似ている。
▽251 黒曜石の5大産地。十勝、諏訪、隠岐の島、伊豆、九州北部。
 黒曜石が「神社のはじまり」に関係していると推定。
 島根で黒曜石利用がはじまるのは3万何千年前の旧石器時代。そのころの隠岐は本州と地続きだった。旧石器時代の採取地は、周辺の海の底にもあった可能性。
 黒曜石をめぐる物流のひとつの中心が出雲エリアにあったことは、聖地の関市を考えるうえで見過ごせない情報です。
▽255 隠岐も延喜式記載の神社が密集するエリア。式内社が16座ある。伯耆国(鳥取)は6座、安芸国は3座しかない。
 縄文人は丸木舟で黒曜石をもちだしていた。
 伊豆諸島の島々の式内社は少なく見積もっても20数座に及ぶ。政治的軍事的重要性はないのに。神津島は黒曜石の産地。
▽261 出雲のオオクニヌシ、諏訪のタケミナカタ、伊豆のコトシロヌシの3神に代表される「国つ神」の歴史は、旧石器時代にはじまる黒曜石の歴史と重なりあっている。
 タケミナカタが黒曜石の神であるならば、翡翠の女神ヌナカワヒメとの親子関係を、貴石のネットワークの一環として理解することも可能になります。
……黒曜石は最良の石器素材です。日本でとれる美しい石のなかでも、翡翠の神秘的な輝きは最も人びとを魅了しました。大地の恵みである貴重な石が動いた道に、「神社のはじまり」が見えたとしても、ごく自然なことだと思うのです。
▽276 出雲を舞台とする「国譲り」の直後、なんの説明もなく出雲の話題は放棄され、「天孫降臨」によって舞台は九州に変わってしまう。その後、出雲が歴史の展開にかかわることは一度もありません。
▽280 
 中川毅氏は若狭町の水月湖の年縞のデータから、今からおよそ1万1600年前、突然、気候が変わったことがみえるという。3年で7度という急激な変化。氷期がおわり、一気に海岸線の土地が浸食された。それが、国譲りやノアの方舟、アトランティス島の沈没伝説ではないか、といわれはじめている。
……出雲地方は何より大切な黒曜石の産地が海にのみこまれたことに。
……島根半島が陸地から切り離され、島になっていた時期さえある。「島根」の名はそこに由来するという説がある。
▽289 日本に1万4000を超える後期旧石器時代の遺跡がある。「遺跡の密度は世界一」。当時の日本は、世界でもっとも時濃密度が高い地域であった可能性がある。海流の影響で、大陸エリアより暖かだったことにくわえ、黒曜石などの石器素材が豊富であることが理由であると思われます。なかでも出雲はきわだって繁栄していたのでは。
……旧石器時代は、良い石があるかどうかで、その土地の価値が左右された。出雲は隠岐の黒曜石、花仙山の玉髄というふたつの石器素材の産地があった。
▽292 旧石器時代の西日本で繁栄していたのが出雲だとしたら、縄文時代の最大の繁栄地は九州南部つまり日向です。……畿内およびその周辺の人口が、九州南部を上まわるのは弥生時代になってから。
 1997年、霧島市の上野原遺跡で、縄文時代初頭(1万年くらい前)の大規模な定住遺跡が発見された。〓
……氷期の旧石器時代が終わり、温暖期の縄文時代がはじまる時期の西日本に視線をむけると、出雲の「国譲り」と九州の「天孫降臨」は、現実の地域社会の浮き沈みと整合的です。
旧石器=出雲
縄文=日向
弥生・古墳=近畿
▽296 国引き神話による国土拡大は、縄文海進が終わり、海岸線が退いていったことを示す、という説も。
 ……(従来は政治/軍事の進出とからめて解釈されることが多い。交易を象徴するという人も)
▽303 自然環境の変化に着目すれば、旧石器時代と縄文時代の境界線こそ、日本列島の歴史のうえにみえる最大の断層です。
▽316 神仏分離の追い風で、明治になって神葬祭がさらに普及しはじめたのもつかのま、明治政府の政策によって、神職が葬送にかかわることは次第に難しくなったといいます。国造家の主導で、出雲大社教の前身となる新教団が旗揚げされた背景には、出雲大社の別働隊によって神葬送を継続しようとする意向もあったようです

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