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今日の芸術<岡本太郎>

■光文社文庫240702

 岡本太郎は「芸術は爆発だ」のへんなおじさん、あるいはコメディアンだと幼いころは思っていた。
 1950年代に書いたこの本を読むと、岡本が芸術のために必死でたたかっていたことがわかる。
 家元制度などのかたちで、師匠の模倣を重視するのは「芸ごと」や職人の技能だ。芸術とはそれとは正反対で、平易な技術で、たえず新しいなにかを創造すること。その証拠にゴーギャンもゴッホも絵画の「技術」はヘタクソだった。ピカソは「私は、日ごとにまずく描いてゆくからこそ救われてるんだ」と言っていた。
 ヨーロッパでもかつて絵かきは職人であり、パトロンの貴族の好みにあわあせてえがいていた。18世紀までそうした名人芸が貴ばれたのは、手工業時代で、すべてが職人の手で作られ、すぐれた作品は名工の神業によって生み出されていたからだ。ギルド的な集団のなかで、何十年も辛抱しなければ芸術家にも職人にもなれなかった。
 フランス革命後、近代的な生産様式や自然科学が勃興し、ブルジョワジーが台頭する。絵画でも展覧会などの市場ができあがる。パトロンの好みにあわせて描いていたのが、だれのためになにを描くのか苦しみ、虚無と対決する。この苦しみをのりこえてはじめて、絵画は「芸術」になった。
 市民社会が成立し、手工業的の技が不要になることで、技術的には低かったセザンヌらが台頭した。ゴッホやゴーギャンも絵はズブの素人だった。
 フランス革命後、貴族文化の絵空事を否定する精神から、身近な自然を題材とした自然主義がおこる。次に、より科学的な意図から絵画を分析し創造する印象派や新印象派があらわれる。20世紀になると、素朴な科学主義をこえた高度な宇宙観に対応して、自由に構成され、抽象化された芸術形式がでてきた。
 自分でも描けるような、平易で単純だけど、生活的な積極性をもった形式こそが「今日の芸術」だ。芸術に特殊技能がいらなくなり、だれでもがつくれる自由なものに変わってきた点にこそ革命の意味がある。
 太郎の敵は、たとえば「八の字」つまり富士山の型や、赤丸チョンチョンの太陽のような形式主義だ。
 モダンアートの「裸婦」や「静物」を日本人が描くことも「お宅ではお母さんやお姉さんが、素っ裸でごろごろしていますか?」と疑問を呈する。ヨーロッパでは夏の暑い時期、真っ裸で生活しているから自然なモチーフだが、日本人がヨーロッパの19世紀自然主義の画材を盲目的に繰り返すのは滑稽なのだ。
 芸術は社会の変化とともに進歩しつづけなければならない。芸術は新しくなければならない。「きれいさ」というのは、その時代の約束ごとによってきめられた型だから「芸術はきれいであってはならない」。
 「新しいこと」をもとめつづけるこのころの太郎は進歩史観の影響をうけている。だが今、赤瀬川源平の解説にあるように、前衛芸術的なやりくちが「ふつうのスタイル」になり、「前衛」は雲散霧消してしまった。「新しいと言われればもう新しくない」のだ。
 太郎はこの本を書いたころか、ちょっとあとに縄文文化にであう。沖縄の御嶽、エスキモーの芸術、アステカの絵画などを見直していく。それのよって進歩史観的芸術観をのりこえていったことが「美の呪力」を読むとわかる。

 そういう意味で「岡本太郎」が完成する以前の太郎の姿がわかるのがこの本なのだけど、いかにも太郎らしいのが、「すべての人が描かなければならない」という主張だ。
 絵でおのれを表現することは、不必要な価値観念を捨て、自分を正しくつかむ手段であり、それによって、精神の自由を獲得することができる。
 その際「うまく」描いてはならない。「うまく」ということはかならずなにかのまねになり、のびのびした自由感が阻害されるからだ。
 自分の絵を壁にはりつけておくと、自由な気持ちで描いたつもりでも、なにか自由でない、こだわっているものがあることを発見する。でも、無心に描くなかで、フッと気がつくと、今までの自分の知らなかった、なにか透明な気分が定着されているのに気がつくことがある。それが芸術の出発点だ。
「芸術をもつことは、自由を身につけることであって、その自由によって、自分自身をせまい枠の中から広く高くすすめてゆくことなのです」
 こどもの自由は、許されているあいだだけ花ひらく。一方、すぐれた芸術家の作品にある爆発する自由感は、心身の全エネルギーをもって社会と対決することで獲得する自由感なのだという。

「国粋主義者ほど日本のよさを主張するときに「外国人がほめた」などという理屈に合わない証明のしかたをしたがる」という記述。今のSNSの「ニッポンすごい」と同じだ。半世紀経ってもメンタリティは変わっていないんだなぁ。

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▽21 芸術は、…人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
すべての人が、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、そのよろこびが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。
…だれでも、その本性では芸術家であり、天才なのです。…いずれにしても、現在を不毛にし、生活を味気ないものにしている、よけいな夾雑物を切りすてることこそ急務です。
「八の字」つまり富士山の型を重宝する、封建主義的な絶望的な形式主義。
 モダンアートの「裸婦」や「静物」 お宅ではお母さんやお姉さんが、素っ裸でごろごろしていますか。ヨーロッパの19世紀自然主義の画材で、それが何十年ものあいだ、あきもしないで、盲目的繰り返されてきたのです。
 …ヨーロッパでは、…夏の暑いあいだなど、真っ裸で生活しています。裸体は、したしい生活のうえにあるモチーフなのです。
▽41 実生活から浮いてしまった貴族文化の絵空事を否定する精神から自然主義がおこった。…20世紀の自由な精神は、さらに積極的に新しい課題にむかってつき進んでいます。
▽54 
▽63 戦後直後、すべてのものが動揺し、混乱し、模索し、しかしそこからなにか新しいヴァイタリティーがのびていくような希望が燃えていた。
 だがそのうちに…古い秩序がふたたび力を盛り返してきた。
▽73 芸術は、絶対に新しくなければなりません。…新しいがゆえに、きわめて残酷に非難されてもきたのです。
▽76 フランス革命後、身近な自然を題材とした自然主義がおこる。表現も市民生活に密着した、現実的なものにかわってき、印象派、および新印象派のようなより科学的な意図から絵画を分析し、創造するという努力があらわれてきます。近代的な生産様式と
勃興機の自然科学に影響をうけているものです。
 20世紀には、素朴な科学主義をのりこえた、より高度な宇宙観にあい応じて、自由に構成され、抽象化された新しい芸術形式があらわれてきます。
…(過去を模倣する)仕事をやるほうが正統でありまじめだと思われ、権威になっているから困るのです。
▽82 日本では明治以来、新しいものは、いつでも外国からはいってきました。…
▽93 関東大震災をさかいに、一般もどんどん洋服を着るようになってきましたが、大戦前までは、ふつうの女のひとはほとんど着物でした。
…日本橋の三越が全部お座敷で、入口に下足があり、履き物をあずけて上がったような時代です。
▽104 
▽106 20世紀はじめの立体派は、アフリカや南洋の黒人芸術から影響をうけていますし、…野獣派や、さらにさかのぼってゴッホ、ゴーギャンなどの後期印象派は、日本の浮世絵版画の影響をのぞいては考えられません。
▽117 芸術も人生も同じ。まともに生きることを考えたら、いつでもお先まっくら。いつでもなにかにぶつかり、絶望し、そしてそれをのりこえる。そういう意志のあるものだけに、人生が価値をもってくるのです。…人生も芸術も、つねに無と対決しているのです〓〓。
▽135 芸術は「きれい」であってはならない
 きれいさ、というのは、自分の精神で発見するものではなく、その時代の典型、約束ごとによってきめられた型。…きれいさというのは本質ではなく、なにかに付随してあるもの、型だけであるものです。 
▽149 「私も描けたらいいな」と思ったら、描いてみなければいけない。
▽151 浮世絵は、西洋からの逆輸入によって、芸術作品として取り上げられるようになったのです。
…特権階級の専有物だった絵画は、「見せない」という不明朗な気配でとじこめられていました。秘蔵のものは、見せないことを建前としていたのです。
…とくにえらんだ大事な客に見てもらう…
▽159 戦前は、正倉院をはじめ、桂離宮や修学院離宮などの遺産は一般の人には見ることができませんでした。
▽161…フランスで、内容的にも市民らしい、独自の絵画作品を生み出すまでには、フランス革命ののち、数十年の期間が必要でした。
…19世紀終わりごろになって、やっと印象派という生粋の市民芸術が生まれた。
▽163 現代絵画の父とよばれるセザンヌ。生前は社会から相手にされずに終わった。
▽168 近代芸術は、型どおりの技術、アカデミックな約束ごとを必要としなくなった。だからこそ、できそこないのヘッポコと思われていながらも、ずば抜けてかがやかしい近代芸術の創造者となりえたのです(セザンヌ)
…個人の自由をみとめ、許したという市民社会の新しい雰囲気こそ、セザンヌがあのような大芸術家として市民芸術を完成した絶対的条件です。
…ゴッホ、ゴーギャンは後期印象派と言われていますが、かれらはまるっきりズブの素人絵かきです。
…マネ、ルノアール、セザンヌなど印象派の人たちは、権威からまったく否定されていた革命児で、いっしょになって尖鋭な芸術運動をやっていた。…その連中にさえゴッホは認められなかったのです。
 ゴーギャンは株屋さんだったが35歳ぐらいから絵かきに。
▽174 18世紀までは、絵がものすごくうまいことが絵かきになる絶対条件だった。…20世紀になってはじめて、いわゆるうまい絵かきよりも彼らのほうがはるかにすぐれた芸術家であると判断されるようになってきました。
…今日の絵ではある意味において、下手に描くということが芸術家の目的になっております。ピカソ自身が「私は、日ごとにまずく描いてゆくからこそ救われてるんだ」と言っていますが…
▽178 18世紀まで、うまい名人芸だけが貴ばれたのは、その当時までは生産が手工業時代で、すべてのものが職人の手によって作られ、すぐれた作品は名工の神業によってのみ生み出されていたからです。
▽182 …ギルド的な集団のなかで、ながいあいだ辛抱しなければ、芸術家にも職人にもなれなかったのです。…家元制度のなかでは、師匠のやるとおり、習いおぼえることが絶対条件で、…
▽189 単純な、平易な技術のうえに立った、ほんとうに人間的な心情の豊かさ、すばらしさを現にピカソらがいきいきと示しているではありませんか。
…自分が描いてもいい、すぐ描けると思うような、平易で、単純、だがしかし、生活的な、積極性をもった形式こそが、今日の芸術、今日の美なのです。
…芸術が特殊技能をもつ名人にしかできないものではなくなって、だれでもがつくれる、ほんとうに幅ひろい、自由なものに変わってきた、その点にこそ革命の実体があるのです。
 だが「だれでもが作れるものになった」だけでは、まだ不十分です。これからは「すべての人が描かなければならない」
▽198 シンの芸術化の名に値しない絵かきたちは、旧態依然として自然を見えるように描く、つまり自然のまねをしてみたり、外国のすぐれた画家や、新しい流行を追っかけたりして、苦心惨憺ごまかしているのです。
…「自由に描いてごらん」と言われて、…描けなくなる。これは、いかに「自由」にたいして自信がないかを示すものです。
▽200 絵を描き、おのれをすなおに表現するということは、不必要な価値観念を捨て、自分を正しくつかむ、きわめて直接的で純粋な手段であり、それによって、もっとも人間的な、精神の自由を獲得することができるのです。
▽202 今すぐに、鉛筆と紙を手にすればよいのです。まず描いてみる、これだけなのです…うまく描くということは、基準を求めていることです。かならずなんらかのまねになるのです。だから、芸術の絶対条件である、のびのびした自由感は生まれてきません。
▽205 無心にこだわらずに描いたとしたら、そこに自由感があらわれてくるに違いありません。まずいと思いながら、フッと気がついてみると、今までの自分の知らなかった、なにかひじょうに透明な気分が、そこに定着されているのに気がつくことがあります。これが芸術の出発点です。
…自分の絵をはりつけておいて、ときどき眺める。あんがい自分がいくじなしだということがわかるものです。自由な気持ちで描いたつもりでいても、時間や距離を置いてみると、やっぱりそのなかに、なにか自由でない、こだわっているものがあることを発見するはずです。
▽210 芸術は、自由の実験室です。
▽213 芸術をもつことは、自由を身につけることであって、その自由によって、自分自身をせまい枠の中から広く高くすすめてゆくことなのです。
▽224 自由な気分で自然を写生し、…という芸術教育は、西洋画の印象派の影響だったのです。…クレヨンが図画教育に取り入れられる。…クレヨンになってから、原色がなまのままで使われるようになった。
▽230 赤丸チョンチョンの太陽は子どもの「八の字」
▽236 こどもの自由は、許されているあいだだけ花ひらく。…すぐれた芸術家の作品のなかにある爆発する自由感は、心身の全エネルギーをもって社会と対決し、戦いによって獲得する。…はばんでくる障害をのりこえて、うちひらく自由感です。
▽243 「日本文化」 ほんとうに自分自身の生活から生まれた、素朴で健康なものではない。爛熟した外来文化をそのまま拝借してばかりきたのです。
▽252 芸術は創造。芸ごと(芸能)は正反対に、古い型を受け継ぎ、みがきにみがいて達すもの。
▽260 芸術という言葉は明治につくられた。「恋愛」もそう。その以前はイロゴトという言葉。
▽264 ブルジョア革命後、ブルジョアは、お出入りとかおかかえという直接の関係はなくなって、それにかわる、展覧会というような市場が盛んに。
 それまでは××侯爵の好み…と注文主の好みがはっきりわかっていた。
 それがご破算になり、だれのために、なにを描くのか絵かきは苦しみます。虚無と対決して、自分の力で新しく創造してゆく。この苦しみ、虚無をのりこえてはじめて、絵画は芸術になったのです。
▽266 絵かきは職人だったが…19世紀にはいってから、絵画は芸術の問題として、純粋な絵画制を追究し、…自然主義、印象派、さらに、立体派から抽象画、ダダイズムからシュールレラリスムをとおして…
▽286 日本の文化には責任の所在がどこにもない。聖戦を一手に引き受けたような勇ましさだった文化人が、終戦後、とたんに、まるではじめから戦争反対者だったようなことを言う。…しかも引きつづいて権威の座に謙虚におさまっているのです。
▽288 現在にないものは永久にない、というのが私の哲学です。逆に言えば、将来あるものならばかならず現在ある。
そこで私は「私はすでにピカソをのりこえている」と卑屈なインテリどもをくやしがらせているのです。
「絵画の石器時代は終わった。…ほんとうの絵画は私からはじまる」
▽298 国粋主義者ほど日本のよさを主張するときに「外国人がほめた」などという理屈に合わない証明のしかたをしたがる〓
 なるほど外国人の鑑賞眼には実績があります。日光がさわがれはじめたのはドイツのブリンクマンやモース博士のおかげ。浮世絵や仏像も、フェノロサが美をみとめてからようやく芸術を考えられだした。桂離宮もブルーノ・タウトが絶賛してから。
▽赤瀬川源平の解説
 前衛芸術的なやりくちがあふれた結果、それがただのふつうのスタイルになっている。前衛芸術はだれもがやるもっともふつうのスタイルになることで、どこかへ蒸発してしまったのである。
「新しいといわれればもう新しくない」

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