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昭和・東京・食べある記<森まゆみ>

■朝日新書 230105
 東京のまんなかでそだった筆者だから書けた本。子どものころつれていってもらった店がいくつも登場する。
 神田の藪そばは有名だけど、浅草の藪、池之端の藪、アメ横の上野の藪もあるとは知らなかった。
 浅草の食通通りにある「ぱいち」も昔行った記憶があり、この本を読んで40年ぶりに訪ねたら行列ができていた。
 東大のある本郷の喫茶店は自由な雰囲気だという。東大って官僚的ってイメージだけど、やっぱりアカデミックなんだな、と。
「すずや新宿本店」の社長の「義父は新興歌舞伎をここに持ってこようとして歌舞伎町と名をつけました。その計画は頓挫したんですが、地名の方は残っちゃった」という発言も驚き。
 そのほか、椎名誠や沢野ひとしらがのみに通った居酒屋「池林房」、新宿の「どん底」……住んでないと書けないよなぁ、こういう本は。
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▽14 上野「精養軒」 アメ横は戦後の闇市が発祥(新巻鮭を覚えている)
 黒船亭 父がはじめたタウン誌「うえの」、ウェブ版も。
▽32 藪そば 神田の藪、浅草並木の藪、池之端の藪を三大藪と称する。アメ横の上野の藪がイイ。
▽44 雷門通りからちょっと入った食通通り、……ここにある角店の「ぱいち」は地元の人が通う店。(今は行列〓)
▽59 どぜう飯田屋 鰻も。 東京都内にどじょう屋は4軒しかありません。
▽70 台湾も韓国も中国もドジョウを食べる。(フィリピンのユーユ〓)
▽83 浅草は鰻屋が多い。「東京鰻蒲焼商組合」
▽102 本郷の喫茶店 やさしく自由で楽しい……本郷の文化(東大って官僚的ってイメージだけど、やっぱりアカデミックなんだ〓)
▽115 子どものころよく遊んだ交通博物館が大宮に越したのは寂しい(〓そうだったんだ)
▽116 神保町・新世界菜館 神保町は新橋田村町とrならんで、中国料理発祥の地と言われている。
 源来酒家 
▽132 ラドリオ ウインナーコーヒー発祥。京都のフランソワもウインナーコーヒーの魁と言われている。
▽162 学校給食のスパゲティ。うどんにまずいミートソースをかけた偽物。
▽165 イタリアのリゾット 須賀敦子さんの家でごちそうになったことがある。「ミラノ 霧の風景」には、トウモロコシの歩レンタを鍋で練るくだりがある。「北の貧しい人たちは小麦粉に手が出なくて、トウモロコシは要するに、粟ヒエみたいなものだったんですよ」
▽169 高野フルーツバーは閉店。
▽172 すずや新宿本店 「義父は新興歌舞伎をここに持ってこようとして歌舞伎町と名をつけました。その計画は頓挫したんですが、地名の方は残っちゃった」歌舞伎町は戦後のあたらしい名前
▽181 新宿西口の「思い出横丁」 昔は「しょんべん横丁」
▽184 ロシア料理「スンガリー」加藤登紀子の父母がはじめる。1950年代、満州やサハリンにいた日本人の強制撤去にともない、その妻たちも日本に来た。その人たちの仕事をつくろうと「スンガリー」を開店したんです。
……京都のキエフは、淑子の長男の幹雄の娘、美知世がやっております
▽191 居酒屋「池林房」 椎名誠、沢野ひとし、木村晋介さんたちがよく飲みに来た。
「どん底」
▽291 町屋 立花 もんじゃ焼き もんじゃはソースが定番だけど、塩だけで。〓〓
▽300 王子の山田屋 東十条の埼玉屋の焼きとん
 

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