全国愛農会をつくった小谷純一氏(2004年10月1日死去)による愛農運動の原典の改訂増補版。1978年に出版された。
17歳の時から「人間はどう生きるべきか」「どのようにしたら自分の村を改善し理想の農村を建設することができるか」を探究し、「日本の農村を愛と協同の理想農村とすることが神から与えられた私の使命」と思い定め、敗戦直後に和歌山県で若手農家とともに愛農会をはじめる。
従来の農村運動は農民でない者が農村に働きかけてきた。愛農救国運動は、心から農を愛し、村を愛し、国を愛する農民自身の手によって理想農村を建設しようという運動だという。
1.7ヘクタールの田畑を耕し、毎月1万部の「愛農新聞」と「正会員だより」を一人で発行し、日々数十通にのぼる会員からの手紙に返事を書いた。搾油事業を中心とする愛農農産加工農業協同組合も経営した。
戦後1960年までは、政府と国民が一体になって食料増産に励み農業立国を目指した。この間に愛農会も急拡大した。だがその後、全国に生まれた食料増産技術研究団体は壊滅した。
愛農会だけが農業者の唯一の自主組織として生き残った。
愛農会は、神を愛し・隣人を愛し・土を愛する三愛精神に目覚めた「人づくり」による「村づくり」、愛と協同の人類社会建設を目標にしていた。
組織よりはまずは「人」だった。
何のために生き、何のために死ぬべきか、真の幸福とは何か、理想社会とはいかなる社会であるか、という確固たる人生観をもった愛農救国の同志をつくることに注力した。
国や村を改革する前に自分自身をよい人間に改革しなければならない。
人間はほかの動物と異なり死を自覚することができる。次の瞬間にも「死」によって否定されるかもしれない「生」を自覚したとき、一瞬一瞬の「生」の意味を知ることができる。「死」によって滅び去らない霊的生命を命がけで求めなければならない、という。
自ら幸福でない者は、人を幸福にすることができない。人を幸福にしてくれるものは愛である。愛は、一切の労苦、死でさえも幸福に変えてしまう魔力をもっている。
人生の目的が「愛の実践」であると自覚しつつも、自分には人を真に愛する能力がないことを自覚したとき、神や仏にすがることを知る。人生における最大の事業は「神を発見すること」という。
「エゴ」を捨てきり「神の子」の本性に立ち返ったとき、「私」の肉体は神の使命を果たすために神から与えられた大切な預かりものとなる。小谷は自らを「神の子」=キリストと信じて使命のために生きてきた。
神の子の自覚をもつ同志を1つの町村に1人ずつつくる。そんな同志が、農業技術の腕前をみがき「やって見せる」。それによって農民の信頼を得て組織化する方向性を示した。「組織化をなしとげないかぎり、日本農民は永遠に救われない」と考えた。
農家生活を豊かにする具体策もあげている。
畜産のような副業を導入し、養鶏で肥料になる鶏糞を生み出す。
日本の農業の基本は自給自足であり、農家所得の大部分は現金よりも現物だ。農業経営の目的は、豊かな農家生活を営むことであり、そのためには食生活を豊かにする必要があると考えた。有機農家の食卓の豊かさはそんなも考えからきている。(大内さんの食卓〓)
娘を3人嫁にやれば家がつぶれると言われる豪奢な冠婚葬祭を簡素化する。それも「やってみせる」ことを提起した。
日本の政治が農業立国から工業中心の貿易立国に大転換し、9割以上が専業農家だったのが、9割以上が兼業農家になっていく。新卒者の農業就業人口は40万人もあったのが、1990年は1800人になった。
そんな農業が衰退する時代においても、愛農学園における「人づくり」に力を注いだ。愛農高校生には「少なくも毎日2時間以上読書する農業者たれ」と叫びつづけてきた。愛農運動の「人づくり」とは、自己中心の我利我欲のかたまりである人間を、愛と奉仕に生きる捧の精神に満ちあふれた人間に改革することだった。
また、「人づくり」による「村づくり」運動は、農業者の主体性確立運動でもある。自分の地域の農業と農村をどうするか? という重要な問題を他人まかせにしないで、自分の問題として真剣に考える新しい農業者を育ててきた。
発心・決心・継続心の3つのうち、決心まではできるが継続は難しい。)
「永続的に推進していく原動力となるのは仏教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、深い信仰に生かされている人であるのは当然であります」
(大内さんの場合は〓
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2004年10月1日死去。
▽ 愛農運動の原典。改訂増補版は昭和53年。もう1冊は「愛農救人類の書」。昭和34年の山岸会事件。
青年会問題によって大半の青年会員が「独立農業者の会」として、袂を分かったあとの青年部再建時代に改訂増補版。愛農聖研に梁瀬義亮先生を講師としてお迎えし、近代農法から有機農法へと大きく重点を移す時期でもあった。
……先生が地上の生涯を終えられる直前……9月17日、病床の先生に本書のゲラ刷りをお見せした……ややあって、先生は原稿の上で手を合わせて、静かに眼を閉じ、しばらくの間、真剣に祈っておられた。聞き取りがたい言葉ながら、力強く、しっかりと。
主よ! 感謝! 感謝! アーメン! アーメン!
▽4 和歌山県に愛農会をはじめる。……ほとんどの農村運動は農民でないものが農村に働きかけてきた。愛農救国運動は、心から農を愛し、村を愛し、国を愛する目覚めた農民自身の手によって理想農村を建設しようという運動であります。
17歳の時から「どのようにしたら自分の村を改善し理想の農村を建設することができるか」を探究。
▽まず自分が他に負けない農の実践者でなければならないとして、夫婦共稼ぎで1.4ヘクタールの経営地に多収穫の成績をあげながら、……各種講演会などで、同志と愛農の道を研鑽していつもほとんど夜を徹する。月々刊行される「愛農新聞」「正会員だより」……発会満4年にならないうちに近畿各府県に府県愛農会が結成され……
……毎月1万部近い「愛農新聞」および付録の「正会員だより」を一人で発行。執筆編集し、発想し、会計整理まで……日々数十通にのぼる会員との文通対応。搾油事業を中心とする愛農農産加工農業協同組合も経営。執筆と編集は朝1時から起きてするのだという。「愛農会を通じて日本の農村を愛と協同の理想農村とすることが神から与えられた私の使命」〓〓
▽15 本書の初版は、愛農会が生まれて4年目。
昭和20年から35年まで、政府と国民が一体になって食料増産に励んだ農業立国時代を私は愛農運動の第1期と名づけている。わずか10年余の間に全国各地に広がり、会員も倍増につぐ倍増。
しかしきびしい試練の時代がやってきた。全国に生まれた食料増産技術研究団体(10万ほどの会員をもつ会が10近くあった)は完全に壊滅してしまった。愛農会だけがこの苦難期を突破して農業者の唯一の自主組織として生き残ることができたのはなぜか。
愛農会はたんなる食料増産技術を目的とする組織ではない。「人づくり」による「村づくり」を目標にして、究極的には愛と協同の人類社会建設を目標としてスタートした農業者の自主的組織。
神を愛し・隣人を愛し・土を愛する三愛精神に目覚めた「人づくり」をすること。全国から青年男女を集めて、愛農短期大学講座を開き、愛農学園農業高等学校を設立したのも、三愛精神に目覚めた「人づくり」以外に日本の農業と農村を根本的に救う道がないことを確信するからであった。
エゴイズムのかたまりである人間が、信仰によって神中心の隣人愛の実践者に生まれかわらないかぎり、愛と協同の明るい家づくり/村づくり・地域社会づくりは空理空論である。
……愛農運動の原点は正しい信仰による自分自身の「人づくり」を全生涯をかけて祈り求めること。(1978)
■本文
▽6 組織よりもまずは人。「私はこのために生き、このために死ぬ」という確固不動の人生観を把握した愛農救国の精神に満ちあふれた同志をつくることが第一歩。
人間は何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬべきか、真の幸福とは何であるか、理想の社会とは如何なる社会であるか、という根本問題について明確な回答を与えることのできる真の指導者によってのみ、新しい日本は再建されなければならない。
その解答を与えられない人間が人を指導するのはまちがっている。
彼らはまず日本の国を救う前に自分自身を救わなければならない。。自分の村をよくする前に自分自身がよい人間にならなければならない。
……社会制度の改革に邁進しなければならない。しかしその前に自分自身の改革を成し遂げなければならない。
(〓政治組織よりもきびしい)
▽12 人間とは死を自覚することのできる動物である。私たちは死を自覚したときにはじめて真の「人間」になる。
……次の瞬間にも「死」によって根本的に否定されるかもしれない「生」を自覚したときに、私たちははじめてこの一瞬一瞬の「生」がなにを意味するのかを把握することができるのである。……「死」によって肉的生命が否定されることで、はじめて霊的生命が生まれる。
……巨万の富があっても「死」の審判がくだるとき何の役に立つのか。「死」によって滅び去らないもの、否定されないもの、私たちは命がけでこれを求めなければならない。
私たちは永遠に滅ぶことのない霊的生命を養う糧のために働かなければならない。
▽15 「みずから幸福でない者は、人を幸福にすることができない」
私たちを幸福にしてくれるものは、愛である
▽20 人生の目的が「愛の実践」にあることを自覚しつつも、それが自己の力によっては不可能であることを知ったとき、はじめて「信仰の門」が開かれてくる。自分には一人の人をも真に愛する能力がないことを自覚したとき神や仏の力に頼るよりほかに「愛の実践者」になることが不可能であることを発見する。
……自分を憎む者、自分を責める者をも愛することができる人間にならなければならないのである。
▽24 人生における最大の事業は「神を発見すること」
▽34「エゴ」を捨てきり「神の子」の本性に立ち返ったとき、……私の肉体も私の者ではない。神の使命を果たすために神から与えられた大切な預かりものなのである。〓
▽42 世の中の労働は「はた」を「らく」にするためにおこなわれている。……愛のもっとも具体的な実践である労働こそ人生の目的である。
▽一切の労苦を幸福に変えてしまう魔力をもっているものが「愛」である。死でさえも幸福に変えてしまう不思議な力をもっている。
▽49 まず1つの町村に1人の、理想を同じくする同志を求める。1府県で数百人の同志が鉄の団結を結べば必ずその府県を動かすことができる。
▽55 村の農民から信頼されるには、農業技術の腕前をみがく。やって見せることが農民指導の最良の方法。……自分の土地や気候に適した増収技術を生み出していく。
▽ 5,6反の農家でも、兼業になるよりも、畜産部門のような副業を導入するべき。乳牛1頭は水田1ヘクタールに匹敵する収入をあげると言われている。
100羽養鶏することで、年産2.6ー3トンの鶏糞を田畑にほどこせる。
……ナタネ サツマイモは1反あたり7.5トンの収穫も可能。
▽75 現在ある農民組合は、農民自身が下から盛り上がる熱意によって結成したものではない。政党が選挙地盤を確保するためにつくったものである。
▽80 日本農民の組織化をなしとげないかぎり、日本農民は永遠に救われないのである
。
自己の名誉や利益を求める心を完全になくすこと。すべての団体が分裂するのは自己の名誉や利益を求める人間がいるからである。自己を捨て去って、ただひたすらに日本農民の幸福を念願し、理想農村建設の使命に一命を捧げる決意をしている同志が集まっているならば分裂など起きるはずがないのである。
▽84 搾油業者の搾取を防ぐため、みずから搾油機を購入……本来農協がするべき仕事。だが現状の農協は……仕事の能率はきわめて悪い。……官僚化した農協よりも、親切で仕事をする商人の手へどんどんと移りつつある。
▽92 農家生活を豊かにする根本は、農家所得の大半を占める自給生産物の最終処理である料理の腕前にかかっている。(〓まゆみさんの腕前、生活改善)
▽99 農家生活の改善には、伝統的悪風である冠婚葬祭に、生活レベルに見合わない費用を費やすことを改革しなければならない。……昔から娘を3人嫁にやれば家がつぶれると私の地方でいわれてきたのであるが……爪に火を灯すようにしてためたカネを娘の衣装のためにつぎこんでしまう。……模範的な結婚を「やって見せる」しかない。
文化の低級な国民ほど冠婚葬祭に費用をかける率が大きい。日本は中国に次いでこうした無駄な費用を多く使う国といわれている。愛農会も、強力な結婚改善運動を展開しよう。(〓加藤も青年団も 二本松は?)
▽118 キリストは、私自身が彼の十字架のあがないによって一切の罪から完全に解放され、神の子となり、キリストになることを望んでおられる。私はキリストなのだ。
▽126 日本の農業は自給自足を本体とすることを忘れてはならない。農家所得の大部分は現金よりも現物である。農業経営の究極の目的は、愉しい豊かな農家生活を打ちたてることである。食生活を愉しい豊かな生活にすることによって、農家の生活はどんなに潤いと豊かさを増し加えるかしれない。(大内さんの食卓〓)
▽132 農民の手によって編集され刊行される農民新聞は、「愛農新聞」のほかにはない。平易で実用的で安価な農民新聞。
■1978年増補 愛農運動30年の歩みと未来展望
▽145 愛農運動第1期は池田内閣成立(昭和35年)まで。
日本全国に雨後の竹の子のように、集落単位、町村単位、府県単位や全国的な食料増産技術研究の農業者の自主組織が生まれた。おそらく数万に達したのではないか。会員数数万、十数万という食料増産研究団体が10指を数えるほどもあった。
それらが十数年もしないうちにほとんど解体してしまったのはなぜか。なぜ愛農会だけ生き残ったのか。
愛農会がほかと決定的に相違していた一点は、常に「人づくり」による「村づくり」という最高目標を明確にかかげていたこと。私たちの研究は、愛と協同の理想農村建設という愛農運動の最終目的達成のため仲間づくりをするための手段に過ぎなかった。
「村づくり」を継承してくれる後継者づくりに私たちは全力投球してきた。
▽147 第2期は、国内自給率が85パーセントとなった昭和35年から高度経済成長の夢が破れ長期不況に突入した昭和47,8年から50年にいたる15年間。
日本の政治が農業立国から工業中心の貿易立国に大転換した時代。
そのために国内農業も大企業経営にきりかえ、労働生産性の高い農業にするため、化学肥料、農薬、機械による農業の工業化が推進された。120万戸自立経営農家の育成と農工間の所得格差解消を2つの柱とする農業基本法農政が実施された。選択的規模拡大による企業的単作大規模経営を奨励。
国際分業論。
この第2期、総力をあげて愛農学園における「人づくり」をやって来た。愛農教育の目標は、神を愛し・隣人を愛し・土を愛する三愛精神がみちあふれた「人づくり」。「農業者である前に人間であれ!」をスローガンに、神を愛し、隣人を愛する「愛の実践」の人生観を確立するために、私は毎朝清書講じた。
愛農学園農業高等学校も創設。
▽153 第2期を通じて、9割以上が専業農家だったのが、9割以上が兼業農家に。
▽155 第3期は昭和50年から30年間。
本気で国民食料の自給をやろうとすれば、農業基本法を廃止して、食料基本法を制定すべき。
▽161 第1期において新卒者の農業就業人口は40万人もあった。昭和50年には男女1万人まで現象、1990年は1800人になった。
……せめて愛農学園農業高校だけでも、中学校で学力中以上の者でなければ入学させないとがんばってきたが……
▽170 人生の正しい目標とは? 「愛の実践」「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」
▽175 「人づくり」による「村づくり」運動とは、農業者の主体性確立運動
自分の地域の農業と農村をどうするか?という決定的に重要な問題を他人まかせにしないで、自分の問題として真剣に考える新しい農業者を教育する。
昭和50年に「愛農シンクタンク」を結成。
……愛農高校生に、少なくも毎日2時間以上読書する農業者たれ、と叫びつづけてきた。
▽182 茨城県の新利根協同農場の「部落づくり」を見学。上野先生は「日本の農村改革は部落づくりからはじめるしかない。部落づくりができないかぎり、村づくりも、地域社会づくりも空理空論である」
愛農運動の使命は農業を守ると友に農村を守ること。農村を守らないで農業を守り抜くことはできません。農村を守らないで都市は守れません。
▽186 「人づくり」による「村づくり」 全生涯を理想農村建設に捧げようと決意した一人の愛農青年が生まれることがスタート。
発心・決心・継続心。決心まではだれでもできる。問題は継続心。持続させる原動力は信仰の力であります(大内さんの場合は〓)
「志」をもった「仲間づくり」に全力投球する。一生かかって10人の「仲間づくり」をする決意をし、忍耐強く努力をつづける。
……発心、決心までは人間の力でできますが、決心を全生涯持続することは信仰なしには不可能であります。永続的に推進していく原動力となるのは仏教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、深い信仰に生かされている人であるのは当然であります。
愛農運動の「人づくり」は、自己中心の我利我欲のかたまりである人間を、愛と奉仕に生きる捧の精神に満ちあふれた人間に改革すること。
▽191 優秀な生徒をひとりずつ愛農高校に送り出すこと、高校・大学を卒業して農業をはじめようとしている青年男女をひとりずつ愛農大学講座に送り出すことが、もっとも具体的な「仲間づくり」の実践活動である
▽192 子どもが親の人格を尊敬し信頼することができるような家庭をつくることが家庭作りの基本。
まず第一に性的純潔。家庭はひとりの男性とひとりの女性の人格的結合によって築かれます……
フリーセックス思想は性の解放という美名のもとに、男が女を、女が男を、自己の性欲満足の道具として扱いあう人格破壊の悪魔思想であります。
(〓うーん)
▽196 嫁と姑が最初から同居することが大事。……お互いに相手を人格として愛し、心をひらいて対話しあっていくならば、10年もすれば生みの母娘以上の人格的関係を築きあげることができないはずがない。(〓うーん)
▽199 霜尾誠一さんのあとがき 農村に数多くの農業団体が生まれましたが20年足らずでほとんどが消え去り、愛農会だけが今なお同志的団結によって、農民運動をつづけていっている。それは、農業技術講習にとどまらず運動の中核を愛と協同の精神に目覚めた人づくりにおいていたからなんです。
▽201 1950年早々の「愛農救国の書」は初版5000部、51年には1万部、55年にも1万部増刷。
愛農新聞は1954年当時、発行部数10万部。
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