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沖縄文化論 忘れられた日本<岡本太郎>

■沖縄文化論 忘れられた日本<岡本太郎>中公文庫 20180107

 映画「岡本太郎の沖縄」を見て、そのもとになったこの本を読んでみることにした。
 岡本は、日本の風土と運命が純粋に残る辺境から生活力や生命力を掘り起こそうと考え、日本各地の辺境を訪ね、沖縄に行き着いた。
 そういう生命力は、今や日本の田舎はほとんど失い、わずかに古老の間に記憶として残るだけだ。私の母の阿蘇の実家は、祖父母が生きていた時は家がまとまっていたが、しだいに崩れ、田畑もつくらなくなり、集落総出の野辺送りも祖父母の時を最後になくなり、100年以上つづいた家も焼けてしまった。岡本がいたころにはまだ可能性を秘めたエネルギーがあったのだろう。
 この本は、占領下の1959年の旅をもとにつくられている。
 沖縄には、王朝文化や芸術に感動するものはない。沖縄にしかないという力のある芸術は見当たらない。
 岡本がまず感動するのは「何もない」空間である「御嶽」だった。
 それから労働や生活のなかで生まれた歌だった。沖縄民衆は人頭税に苦しめられ、読み書きができない人が多かったから、民衆の歌には観念的な装飾がない。一方で音感やリズムが洗練され、琉球の詩の多くが整然と韻を踏んでいるという。
 岡本から見ると、楽器がメロディーを歌い人間の声をなぞるようになると、人間の声が逆に楽器によって規制され、生命の感動が浮いてしまう。本土の民謡や芸者のお座敷芸は、所作の技巧が多すぎて表現の直接性を失い、クロウトではないと理解できなくなってしまったと批判する。その対局にあるのが沖縄の歌や踊りなのだという。
 昔の日本の神髄を、岡本は久高島に見る。後生(グソウ)と呼ばれる風葬や、女性司祭の「のろ」による12年に1度のイザイホー祭りがつづく。神体も偶像もない御嶽がある。日本の神社もそのようなものだったと岡本は考える。今でも熊野には社殿のない社が数多く残っている。野迫川村などでは水葬の跡も多い。
 神事の際、海の水で身を清め、塩水や水をまじないに使うのは、熊野や出雲にもある。
「塩をまく」というのも海水で浄めた名残りという。日本人の風呂好きも「みそぎ」なのだという。
 こうした日本の文化は東洋文化ではなく、太平洋島嶼文化と考えるべきだと岡本は考える。一方、日本独自のものではなく、法隆寺や仏像・仏画は、古代中国の文化遺産であるという。

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▽21 日本の風土と運命が純粋に生きつづけている辺境に強くひかれる。そこには貧しいながら驚くほどふてぶてしい生活力がある。そういう隠れた生命力を掘り起こし、…もう一度、この現実に対決する生き方を究めたい。
▽方言札、固有の芸能の白眼視…日本の官僚主義は沖縄のよさを、すべて、システマティックにぶちこわそうとしたのだ。
▽私をもっとも感動させたものは、まったく何の実態も持っていない、といっても差し支えない御嶽だった。
▽石垣島 2,3年前までは、島を一巡りするのに4泊5日かかったという。
▽マラリアの島 米軍の防疫対策が功を奏して克服され、放棄されていた北部の開拓がはじまる。
▽時間にいつも追いかけられている…。瞬間瞬間はかえって空虚になる。実際にはきりきり舞いしてやっていても、なんにのもしなかったんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。…半月ぶりに家に帰った時、うずたかく積まれた留守中の新聞…(無意識のうちに時間に追われ、のみ込まれている。毎日新聞を読むことに何の意味があるのか) …もっと平気で、素っ裸のままの時間というのはないんだろうか。底抜けで、無邪気で 。
▽田植えの歌 ユイマール。かけ声をかけることで黙って働くより仕事が早まる。
▽明治末期に人頭税という悪法が廃止され、解放されてから、いったいなにを生み出したというのか。今日なお美しいものは、過ぎた時代の思い出である。自由になってからはかえって悲惨な過去に生命の幻影をかずけているだけのように見える。
▽151 久高島 …古い権威である女性の宗教的指導力は、現実的な男性の政治権力とぶつかり、押さえ込まれてくる。 …17世紀初め、島津氏に征服された。支配者で知識人だった武士階級は、儒教的教養を身につけて、女の祭りや神託なんて、始末に負えない迷信と考えるようになった。
▽老婆の手には「ハヅキ」といいう入れ墨。(入れ墨は海洋民の風習? 熊野も?〓)
▽「イザイホー」12年に一度の神事
▽耕地の私有制が発達するにはあまりに貧しすぎ、地割制度がつづいた。人数に応じて割り当てた。
▽169 神体も偶像も、イコノグラフィーも無い。日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に何もなかったのではないか。…今日の神社は、ほとんどがやりきれないほど不潔で愚劣だ。いかつい鳥居、イラカがそびえ…(熊野に残る自然のままの社〓)
▽202 明治以来、西欧的な文化意識に目覚め、日本にもこんなものがあるぞと対抗的にもちだしたのが仏像など。向こうの価値観で自分の方を作りあげてしまった。西欧文化の影にすぎない。「物」が「ある」という前提に立って対立させては、日本文化の本質はとらえられないと思う。
▽205 空の教義、虚無の哲学というような東洋思想は、大陸の厚みのある文化を背景に、人間的な物の重みが前提になっている。その否定として深められ高められた。その精神は貴族的。禅が貴族やインテリにはあれだけ力を及ぼしたのに、庶民層には浸透しなかったし、沖縄では仏教じたいがついに根をおろさなかった。はじめから何もない天地で、今さら「物への執念を断て」「一切は空だ」なんていったってシャレにもならない。
▽220 再訪1966、久高島の「イザイホー」
▽224 南部の戦跡にほとんど全部の県が競って慰霊碑を建てている。…そのデザイン、珍無類なこと噂にたがわず。正気の沙汰とは思われない。グロテスクデザインのコンクールだ。
▽228 独特の、原始共産制ともいうべき地割制度がある …後生(グソウ)に案内してもらう。「風葬」。原始的葬制(熊野にも野迫川にも)
▽248 一見「何もない」文化の本質、意味を、沖縄の人は今こそ、強烈に自覚してもらいたい。…日本の内部はまったく同質化してしまっている。…顔つきから服装、生活のなかにおける意識、道徳観、生活環境もほとんど変わりがない。ところが沖縄は、まったく異質の天地なのだ。

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