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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか<内山節>

■日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか<内山節>講談社現代新書 20170324

1965年ごろを境にして「キツネにだまされた」という話が発生しなくなったという。
高度成長、合理的社会の形成、進学率やテレビの普及などの情報のあり方の変化、都市の隆盛と村の衰弱などの理由が考えられる。
伝統的なムラでは、生命とは全体の結びつきのなかでそのひとつの役割を演じているという生命観があった。個体としての生命と全体としての生命というふたつの生命観が重なりあって展開してきた。通過儀礼や年中行事を通して、人々は、自然や自然の神々とも、死者とも、村の人々とも結ばれていることをかんじてきた。キツネにだまされる人間の能力とは、単なる個体的能力ではなく、共有された生命世界の能力だった。人々が、自然や神々、歴史とのつながりを感じる精神を衰弱させ、経済を媒介とするコミュニケーションを中心として自分の精神をつくりだすようになって、キツネにだまされなくなってしまった。
人間の歴史には、知性でとらえる歴史と、身体性に結び付いた歴史と、生命性と結びついた歴史があるという。
知性でとらえる歴史は「国民の歴史」のようなもので、因果関係をもとめ、一直線に発展してきたと考える。一方、後者の2つの歴史は、循環するもので、知性ではとらえられない。
身体の歴史は生きる「技」の伝承である。農耕などの技を受け継いだとき、同じように畑を耕してきた人々の身体とともにある歴史を感じられる。そして生命性の歴史は直接観察できないから、田の神や水の神、それらを祀る儀式、通過儀礼などの形に仮託されて受け継がれてきた。
今の時代は、知性によってとらえられた歴史だけが肥大化し、それ以外の、広大な歴史や世界が萎縮し見えなくなってしまった。とくに生命性の歴史が感じる能力が衰えてしまうことで、キツネに騙されなくなってしまったのだという。

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▽19 日本の伝統的な食事は、生命の根本的なものをいただく、というものだった。だから伝統的な食事のマナーは、静かに厳粛に食べることを基本にしている。
…日本では神が人に与えた糧ではなく、生命的世界、霊的世界からいただく糧であり、食事のときの祈りの対象は神ではなく霊的な世界になる。
…近代化とともに食事でとるものが生命から栄養にかわり、人間は他の生命からミをいただきながら生きているという感覚がなくなったとき、伝統的な食事の作法も崩壊した。
▽30 可視的な、不可視的なさまざまな生命の存在する世界、それがかつて村人が感じていた村の世界である。
▽36 山村の過疎化を促した大きな要素は、燃料革命による炭焼きの崩壊。それが1950年代後半から。60年代に入ると農山村の学校卒業生たちが、都市で就職するようになる。都市の労働力不足の穴を埋めた。
▽38 自然や神々、歴史などと自分との間に、大事なコミュニケーションが成立していることを感じながら暮らしていた人々が、その精神を衰弱させ、経済を媒介とするコミュニケーションを中心として自分の精神をつくりだすようになる。
▽42 「大和魂」「日本人の器用さ」を信じた末の惨めな敗戦を経験し、科学的に説明できないものはすべて誤りという風潮が広がった。
▽43 1960年代に入ると、電話やテレビなどのメディア。
▽46 テレビは、人々から「読み取る」という操作を消し去らせ、与えられた情報を事実として受け取り、その乾燥のみを感じるという、情報に関する新しい作法を生みだした。…村人が必要とする情報のあり方やその伝達のされ方が大きく変わった。コミュニケーションの形を変えた。
▽48 かつて村には、家族や地域の人々が日常の中で教える教育、子どもたちのなかで
先輩から後輩へと教える教育、学校教育という3つの形態があった。さらに通過儀礼や年中行事があった。
…村で暮らす人間を育てる一環にあった学校が、受験を最優先する学校に変わった。村の自然を教わり、村の神々を教わり、村で暮らす技や知恵を教わっていた村の教育の世界が消え…。
…進学率の向上とともに起こった村人の精神世界の変化。
▽52 かつて、自然の世界を清浄なもの、人間の世界を穢れから免れないものとしてとらえていた。生きることは「自己の本質」を穢していくこととしてとらえていた。
…ヨーロッパの思想は、「人間らしさ」を未来をつくりだしていく可能性として肯定する。日本の伝統思想は、知性を持つことによって自然であることを失ったと考える。
▽54 近代社会が形成されると、人間は自然から離脱し、共同体からも離脱し、包んでいる世界がなくなった。生も死も裸の個人のものになった。信仰のあり方も、包まれているもの(風土、土地、場)とともにあった信仰が、裸の個人を救済するものに変わった。
…包まれていた世界と響き合っていた個人が、響き合わない個人になっていった。
▽72 上野村 主要産業は養蚕であった。村には昔から貨幣経済があり…金貸しもいて…生活が破綻すると「山上がり」をした。「山上がり」を宣言したものは、誰の山には行って暮らしてもよい。森の所有権を無視してよい。共同体の救済の仕組み。
…豊かな山と、何でもできる村人の能力、最低限のものは提供してくれる共同体という要素があってこそ「山上がり」は成立しえた。
…人々は自然を信頼していた。自然を生きる糧にするだけの能力を人間たちは持っていた。
▽79 江戸時代とは、霊の通俗化が進んだ時代。…農村では、霊への信仰が家単位の祖先信仰になることによって日常世界に降りた。超越的な霊の世界が、日常的な霊の世界に移行しはじめた。
明治以降は、少しずつ霊の無視が信仰しながら今日に至っている。
▽84 修験道 明治5年の修験道廃止令以降の弾圧で打撃を受けた。
…文明を捨て、人間を捨てて、自然と一体化することに救済を求める修験道的な伝統精神。
▽104 自然界のなかでオノズカラ生きるならばよいが、我欲なき営みのつもりの行為にも、無意識に我欲が入りこむかもしれない。それは人間が「自己」「我」「個我」をもっているかぎり避けられない。そのことに気づいたとき日本の仏教は、日本の自然とともに花開いたといってもよい。
▽110 伝統的な精神世界のなかで生きた人びとにとっては、生命とは全体の結びつきのなかで、そのひとつの役割を演じているという生命観があった。個体としての生命と全体としての生命というふたつの生命観が重なりあって展開してきたのが、日本の伝統社会だったのではないか。
…通過儀礼や年中行事などを通して、人々は、自然とも、自然の神々とも、死者とも、村の人々とも結ばれることによって自分の個体の生命もあることを、再生産してきた。…キツネにだまされる人間の能力とは、単なる個体的能力ではなく、共有された生命世界の能力であった。
▽131 かつてあった「村の歴史」は、国民の歴史のような歴史ではなかった。それは、自然と人間が交錯するなかで展開する歴史であり、生者と死者が相互性をもって展開していく歴史であった。なぜなら「村」とは生きている人間の社会のことではなく、伝統的には、自然と人間の世界のことであり、生の空間と死の空間が重なりあうなかに展開する世界のことだからである。
…「国民の歴史」が書かれるのようになると、現在を過去の発展した形で描く、という性格が付与された。…現在の価値規準で過去を描く。たとえば経済の発展という価値基準にしたがって過去を描く。
▽136 近代社会の形成によって生じた矛盾に目を向けたマルクス主義も、より強力に歴史を発展史としてとらえてしまった。
…国民国家と資本主義の形成を肯定的にとらえた側と、それを批判的にとらえた側の双方が、歴史を発展史として語るという現実が生まれてしまった。
▽138 「みえない森と人間の歴史」のなかに、生者と死者とが結びあって展開する歴史もまた成立していた。…発展とか発達、乗り越えていくといった言葉とはいかなる結びつきももたないこれらの歴史が、「みえない」が故に切り捨てられてきたのがいま私たちが知っている歴史である。キツネにだまされてきた歴史も、「見えない歴史」のひとつだということはできないだろうか。
▽157 言論の自由、教育の機会、選挙制度…問題はあるけれど、知性が見つけだした発達した社会のイメージは、そのほとんどが実現しているといってもかまわないと思う。実現したのは「物質的な豊かさ」だけではない。
にもかかわらず、充足感に乏しい。
知性を介してしかとらえられない世界に暮らしているがゆえに、ここから見えなくなった広大な世界のなかにいる自分が充足感のなさを訴える。だからこそ、この充足感のなさを「心の豊かさへ」などと知性の領域で語ってみても、何の解決にもならないだろう。
▽159 知性による歴史の認識は歴史に合理性を求める。歴史は発展してきたととらえさせる。時間に発展を要求するといってもよい。
…「発展してゆく歴史」は、知性が歴史の合理性を求めたことによって、そのようなものとしてみえてきた歴史であって、それだけでは身体や生命を介した歴史はつかむことができない。…身体や生命の記憶として形成された歴史は、歴史を循環的に蓄積されていくものとしてとらえなければつかむことはできない。
▽168 自然という神とご先祖様という神が一体化して、村の神として祀られるという形がここにつくられた。そして仏教の仏もこの神と習合することによって、村に定着したのである。
▽172 村人たちは、自分たちの歴史のなかに、知性によってとらえられた歴史があり、身体によって受け継がれた歴史があり、生命によって引き継がれてきた歴史があることを感じながら暮らしてきた。個人とはこの3つの歴史のなかに生まれた個体のことであり、3つの歴史と切り離すことのできない「私」であった。
…知性の歴史は誤りを生みだしかねない歴史。人の考えたことは間違うことがある。その理由を、人々は、人間には「私」があるからだと考えた。私があるから私の欲望が生まれるし…

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