戦後の復興期、公団で各地の団地造成にかかわり、愛知県の高蔵寺ニュータウンのデザインもつくった津端修一さんと妻の英子さんの晩年を撮影したドキュメンタリー。
雑木林の豊かなニュータウンをめざした津端さんだったが、高蔵寺ニュータウンは、経済優先の世相に負けてありふれた新興住宅地になってしまった。そこに300坪の土地を得て住みついた。
家は、30畳の1部屋しかない平屋建て。尊敬するヨーロッパの建築家の家をまねたという。この家の写真は私も本で見たことがあった。
ブルドーザーでならされた殺風景な土地に雑木や果実の木々を植え、その落ち葉を畑にすきこんで土を肥やし、そこに野菜や果物が実る。地道な作業を2人でこつこつと積み上げることで、 40年かけて実り豊かな小さな里山環境をつくりあげた。
小さな小さな生き方の積み重ねが、豊かな実りをもたらす。「人生フルーツ」という題はそこから導かれているのだろう。
修一さんは90歳なのにマウンテンバイクにまたがって走る。餅もつく。87歳の英子さんも、機を織り、梅干しやジャムをつくり、バスと電車を乗り継いで名古屋まで買い物にでかける。
穏やかでほほえましい暮らし。だがある日、終わりが訪れる。庭で作業をしたあと昼寝をした修一さんは二度と起き上がらなかった。
ベッドに横たわる亡骸は、つやつやしていて、疲れ切った様子は見られない。生きているかのようなその姿が切ない。
台風が上陸した日、長年小鳥が水浴びしていた庭の水盆が割れてしまった。
このまま英子さんも老いてしまって、夫婦の住まいは丹念に育てた木々に覆われ、雑木林になっていく……という流れを想像した。寂しいけれど、それもまたよいのかもしれない、と思った。でもちょっとだけちがった。バトンを受け継ぐ人がいた。
内山節の本を読んでいるような錯覚も覚えた。
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